見出し画像

父親からの贈り物

父親から学生時代に渡されていた本とは「金持ち父さん、貧乏父さん」である。
今でこそ金融リテラシーという言葉が持て囃され、お金について書かれた本が多く出版されているが私の学生時代は今ほど多くは無かったと思う。
言うまでもなく「金持ち父さん、貧乏父さん」は金融リテラシー本の界隈ではベストセラーであり、投資をはじめたい人が最初に読むべき本である。
そんな本を父は私が18歳の時に贈っていた。


サラリーマンから大家業へ

父親は元々サラリーマンであるが、今思えば普通の経歴ではない。
高卒で某大手建築会社(ダイ⚪︎ハウス)就職。
30歳でCoCo壱に転職。
当時のCoCo壱には頑張ったら店長として店を出させてもらえる制度があったらしく、自分がトップの立場で仕事をしたい想いがあった父は転職したらしい。
ちなみに30歳の父には俺、姉の2人の子供がいた為、かなり思いっ切った転職だったと思うし、母親も大変だったろうと大人になって感じる。
結局CoCo壱で店を出させてもらうことは叶わなかったため、再転職。
今度は寿司屋である。銀のさらのような配達専門の寿司屋をオーナーとして始めた。
寿司屋は5年くらい続けたが、上手くいかず閉店した。
前職の経験を活かせる設計、構造診断の会社に転職をした父であった。
その後10数年サラリーマンとして勤めた会社を退社し専業大家となったのであった。


自分の父親は金持ち父さんだった

サラリーマンだった父親はいつの間にか大家になっていた。
きっかけは寿司屋をしていたときに、テナント入居していた建物が競売にかかったこと。
寿司屋で借りている1階と住居の2階といった造りの建物だった。
当時、寿司屋の経営は苦しい状態であったが親戚から借金をして競売にかかった建物を購入したのであった。
寿司屋は閉店してしまったが、次の入居は決まり、2階の住居にも入居がついた。
この経験が父親の大家デビューだった。
寿司屋は上手くいかなかったが、不動産投資という後に人生を変えるきっかけを掴むことができた挑戦だったと思う。
この最初の不動産投資をきっかけに、サラリーマンに戻った父は地道に物件を増やしていき50歳で脱サラを達成した。

金持ち父さん貧乏父さんの教え

小学生になった俺は父親が多くの借金をしていることを知った。
寿司屋をしていた建物を買う借金、アパートを買うための借金。
借金の金額は知らなかったが、アパートを買うたびに母、親戚から多くの借金をしてどうするつもりなんだ、と言われていることは知っていた。
俺もどうするつもりなんだと思っていた。当時の実家は県営住宅で、自分の部屋も無い。友達の家は立派な一軒家だった。
借金してアパートを買う前に、家族のために家を買って欲しいと、俺も姉も母も思っていた。
アパートが増えて借金が増えていく度に父親に対する不満は溜まる一方だった。

今の俺には分かるが当時は分からなかった。
父親は金持ち父さん貧乏父さんに書いてあることを実行していたのだった。
「借金=悪」この考えから普通の人は抜け出せない。
当時は「借金=悪」で考えていたから、どうしようもない父親だと思っていた。
父は間違っていなかった、負債でなく、資産を買い進めていたのであった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?