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白いワンピースと魔除けと私

以前に、中学生の時にした年賀状配達のバイトの話を書いたことあったが、その後もう少しヘビーに郵便配達のアルバイトをした時に起こった奇妙な事件のことを書いておこうと思う。

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早いもので(何がだ)俺は大学生になっていた。東京の学生寮に住んでいたのだが、毎年お盆の期間は管理人さんがいなくなるのでその間は寮の部屋を空けなければならないことになっていた。例年その期間、俺は実家に帰ったり、友達の下宿に転がりこんだりして過ごしたりしていたが、その夏はどう過ごすか考えあぐねていた。

そんな時、学生課の掲示板にバイト募集の張り紙を見つけたのである。別荘地での郵便配達だと言う。期間は確か3週間くらいだったはずだ。

珍しいバイトだった。勤務地は泣く子も黙る軽井沢。応募資格は、健康である事、原付免許できれば自動二輪免許を持っている事、それくらいだった。そして何と宿舎も提供されて三食付きだと言う。寮を追い出される身としてはおあつらえ向きだった。

さらに勤務時間以外は完全自由と書いてある。完全自由! なんと期待ふくらむ響きであろうか。喘息で療養に来ている白いワンピースの少女との出会いなどもあるかもしれない。

俺は寮に戻ると食堂に行き、飯を食ってる奴らに声をかけて見た。皆その期間どう過ごそうか考えていたようで、免許を持っている何人かが直ぐに乗ってきた。即決である。免許を持っていないやつは悔しそうだった。確か合計5~6人だったと思うが、翌日一緒に学生課に行き無事申し込みを済ませたのである。

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さて、あっという間に夏休みがやってきた。時間だけはあるので経費節約のため皆で一緒に在来線の普通列車で軽井沢まで行った記憶がある。「金がない」ということでは当時の日本でもかなりの高順位にランクインしていたであろう貧しい奴らである。

郵便局は別荘地の中心一等地にあった。局内で説明を聞きちょっとした手続きをすると俺たちは近くの宿舎に案内された。宿舎というのでなんとなく、その時生活していた学生寮のようなものを想像していたのだが、案内された先には、郵便局が借り上げた二階建ての大きな一軒家があった。その家に全国の学生(と言っても30人くらいだったが)が集まり寝泊りしたのである。

その宿舎に入ると、既にかなりの数の学生が到着しており、地元の国立大学の学生もいた。まず初日は他大学の男同士で軽いメンチの切り合いである(まあ体育会系大学生といえば聞こえはいいが、しょせんはガキなのでそんなもんだった)。しかし一緒に飯を食い同じ大部屋で寝るので、いつまでもそんなことをしていられない。すぐに空気も和らぎ学校の垣根を越えて仲良くなっていった。その辺は健全な奴らである。

そしてしばらくすると誰かが麻雀牌を買ってきて夜中に麻雀大会も開催されるようになった。しかし酒はほとんど飲んでなかった気がする。夜中まで素面(しらふ)でいつまでも騒いでいる訳だ。その辺も健全な奴らだった。

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御飯は毎日三回地元のおばあちゃんが作りに来てくれた。申し訳ないことに具体的に何を食べたかよく覚えてないが基本的に温かい田舎料理で美味しかった記憶がある。

一日のスケジュールはまず朝起きて、並んで歯磨いて、トイレの行列にならぶことから始まる。テレビの大家族スペシャルのようである。そして、眠い目をこすりながらおばあちゃんの作ってくれた朝飯を食ったら郵便局まで歩いて行くのである。

1.まず朝、局に行って仕分けをして午前の配達
2.終わったら一回宿舎に戻って「笑っていいとも」見ながら昼飯
3.しばらく昼寝
4.午後、局に戻りもう一回配達したらその日の仕事は終わり
5.帰って飯食って麻雀
6.就寝
7.以下くりかえし

というアホを絵に描いたようなスケジュールだったように思う。

その合間に休日があると街に遊びに行ったりもするのだが、街は結構気合を入れて観光に来ている爽やかな若者で溢れているのでどうも落ち着かず、その若者達を眩しく見ながら、なんとなく仲間の待つ居心地の良い宿舎に直ぐ帰ってしまうのである。ま、先立つものが乏しいというのも長く街にいられない理由でもあった。

そして帰ると、むさくるしい男同士で、二階の畳の部屋でプロレス技の掛け合いなどしているという寂しい青春なのだった。当然、療養中の美少女と出会うこともなかった。

仕事は楽だった。支給されたホンダの 90cc または 125cc のバイクで配達して回る訳だが、雨が降ってぬかるんだりした時以外は快適だった。場合によってはたった一通の暑中見舞いを届けるために別荘地の外れの山頂の崖にある別荘のようなところに行かなければならないようなこともあったが、そこはバイクである、全く苦にならない。配達先には、ちょっとした有名人や文化人の別荘なんかもあったがその顔を見ることはほとんどなかった。

***

そんなある日のことだった。いつものように午前の仕事を終えて宿舎に戻り、いつもの「笑っていいとも」を見ながら皆で昼飯を食った。まだ午後の配達まで1時間以上ある。あきもせずプロレス技を掛け合うやつもいれば、その後のテレビのメロドラマを見ているやつもいる。真面目な文庫本を読んでいるやつもいれば、エロ本もどきの週刊誌を読んでいるやつもいる。

そのいつも飯を食う部屋の隣の部屋にはソファが置いてあったのだが、これを使うのは早いもの勝ちである。その日も急いで飯を食って二人掛けのソファを一人占めして横になって寝ちゃってるやつや、一人掛けソファで「今日はこれオレの椅子」という感じで鼻の穴を広げてふんぞり返って眠っているヤツがいた。

そしてその日も誰かがセットした午後2時のアラームがなった。皆「フイーッ、さあしょうがない、行くかー!」的な感じでゾロゾロと玄関に向かった。しかし一人掛けソファに座っているやつがずっと座ったままなのである。

寝ているのかと思い近くに行ってそいつの顔を見るともうちゃんと起きていた。俺は、行こうぜと声をかけたのだが、そいつは何も言わずに肘掛に両腕を乗せたままの姿勢で俺の目をしばらく見ると、辺りをギョロギョロと見回し始めた。顔は動かさず、目だけをギョロギョロ動かすその様子はやや異様だった。

なにかのギャグのつもりなのかと思って、「うはは、もう行くぞ」と言ってみたが何も答えない。他の仲間も部屋に入ってきたが、そいつは何も答えず表情も変えないまま、ギョロギョロと皆の顔を交互に見ているだけである。

俺が最後に「先行ってっかんな」と言うと、そいつは急に、目を更にギョロッと見開き俺の顔をジッと見たのだった。なんと形容すればよいのか、そう最近の人で言えば博多華丸がキメで見せるような目力溢れる目だった。

俺は「こいつ、寝ぼけてんのかな … 」と思いながらも、もう時間もないので宿舎を後にした。そして、皆で局に行き郵便物の仕分けをしたのだが、いざ配達のために出発する時間になっても、華丸(仮名)は姿を現さなかった。

そして一通り午後の配達が終わり局に戻ってみると、そこには興奮した様子で皆に事情を説明する華丸の姿があった。「あの椅子の上で金縛りにあっていた」と言うのである。意識はしっかりしていたのだが、まるで背中と両腕が椅子に張り付いたようで、体はおろか指一本動かすことができず、かろうじて動かせるのは目だけだったというのである。

華丸はずっと目だけで「たすけてくれ」と合図していたということらしいのである。あの去り際のギョロ目顔でそんなアピールをしていたとは。俺は怖い反面、その顔を思い出してなんとも気の毒で笑ってしまった。霊感が強い繊細なタイプには全く見えないのだが、スキのあるヤツなので霊もからかいやすかったのかもしれない。

誰かが郵便局の人に、「あの家なにかいわく付きなんですか」と聞くと、その局員さんはとなりの同僚の顔をちらっと見た。そして少し間があった後で、「いやあ、どうかな?」と答えたのである。その反応だけで十分である。きっといわく付きなのだろう。そしてその夜、よせばいいのに帰ってからそのソファの部屋を隈なく探したヤツが、押入れの中に貼られた一枚の魔除けのお札(おふだ)を見つけたのである。部屋の中はどよめいた。

その日までその部屋で寝ていたやつらは、ビビッてその夜から他の部屋で寝るようになり、例の一人掛けソファも誰も座ることがなくバイトが終わるまでずっと空いたままだったのである。

そしてもうひとつ不思議なことは、決して麻雀が上手いと言えず負け続けだった華丸がその日を境に大勝ちを始めたのである。明らかに妙だった。俺たちは、「金縛りの主が、お詫びに華丸を勝たせているのだろう」といって華丸をからかったが、華丸自身も今まで上がったことのないような大きな手を上がる度に、狐に摘まれたような微妙な表情でしきりに首をかしげていたのである。

***

結局、その夏は療養中の白いワンピースの少女に出会うようなことは全くなく、かわりに昼間起きたまま金縛りに会うという珍しい人を見て終わったのである。しかしまあそれなりに心に残る時間を過ごした夏だった。

俺はこの配達でバイクの魅力を再認識したのかどうか、その後本格的なバイク便のバイトへと進んで行くのである。


(了)

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