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俺のオートバイ、彼女の馬

若干の入場制限などもあるようだが、この年末も数々の大きな競馬のレースが開催されているようだ。そんな競馬の話をニュースで聞く度に懐かしく思い出す光景がある。

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学生の頃、無性に日本を出て生活してみたくなり色々調べて見たのだが、どのような方法で日本脱出するにせよ、やはり最初は結構まとまった資金が必要そうだというのが結論だった。そこで俺はその準備や調査と並行して、てっとり早く金になりそうなバイトをいくつか掛け持ちして、短期集中的に身を粉にして働いたのだった。

バイク便もその一つだった。配達の担当区域が大まかに決められており、俺の担当は品川駅から羽田空港方面だった。早い話、京浜急行沿線および東京湾沿岸という感じのエリアである。

その時に嫌と言うほど走ったせいか、その辺りの道路は今でも結構裏の方まで把握している。

その頃はお台場などなかったが、東京湾に面したエリアにはいくつかの島があった。「島」などというと聞こえがいいが、もちろんビーチやホテルがあるような島でなく、かと言って三線を弾くオバアがいるわけでもない。要は味気のない埋立地の大きな人工島である。今でこそ一部の島には人工の砂浜やきれいな公園もあるが、その頃はそんなオシャレな要素はかけらもなかった。

京浜島、昭和島、城南島などの島が大きな橋で繋げられており、走っている車は圧倒的にトラックやダンプカーばかり、どの島に行っても工場や冷凍倉庫や物流基地がずらっとならんだ無味な光景が続いていた。

しかし、しばらくそのエリアを担当しているうちに、同じように見える島にもそれぞれ少しずつ違いがあることや、それぞれの島の位置関係も分かってきた。城南島(じょうなんじま)は羽田空港と隣り合っていたのだが、ある堤防からは飛行機の発着する様子が良く見えた。

倉庫地域の外れの堤防なので人気がないこともあり、いつしか俺は配達の合間にその堤防にバイクを停めて海を眺めながら煙草を吸ったり、昼寝をするようになった。お気に入りのサボリング・スポットという訳である。

堤防の前には海が広がりその向こうに滑走路が見えた。そして堤防で寝転んでいると目の前をひっきりなしに飛行機が通り過ぎるのである。下から見上げる飛行機は思いのほか大きく迫力があり見ていて飽きなかった。

そんな誰も来ない堤防だが、たまにコカコーラの配達トラックの兄ちゃんが来ていることがあった。堤防脇に大きなトラックを停め少し離れた堤防に座ってタバコを吸っていた。何度か見かけているうちに顔見知りになり、挨拶を交わすようになった。たまに飲み物をくれることがあったが、なぜかいつもくれるのはドクターペッパーだった。赤いロゴの入ったコカコーラの制服はアメリカの古着屋に売っていそうな渋いデザインでカッコ良かった。

俺が配達で回るのはそれらの島の事務所や倉庫が多かったが、大森や大井町辺りの町工場や羽田空港にも良く行った。そしてその日は珍しく大井競馬場宛の届け物があったのだ。

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配車係の女の子から受け取った伝票を見ると、配達先には「大井競馬場」と書かれていた。その荷物の中身が何だったのかは今となっては覚えていない。しかし配達先は大井競馬場なのだが、その後にも番地が続いて「○○厩舎」などと書いてあった。

初めて見た時俺はこの字を読めなかったし、それが何であるかも知らなかった。後で「きゅうしゃ」と読むことを知ったが、馬や牛を飼う小屋を意味する言葉とのことで、競馬場では調教師が馬を管理している施設を指すようだった。

国道15号線から大井埠頭に向かう途中に大井競馬場はあった。入り口の守衛さんに聞くと、敷地内の厩舎に行くには手続きが必要だと言う。バイクを降りて手続きをすると入門証と一緒に注意書きのメモを渡された。そこには「ゲートを越えたら馬を脅かさないように車やバイクは最徐行すること」と言うようなことが書かれていた。

俺は再度バイクにまたがりゲートをくぐって中に進んだ。しかしその門の内側は俺が想像していた光景とは全く違っていた。中には広い敷地が広がっており、ちょっと北海道の牧場のようだった(実は北海道の牧場を良く知らないのだが)。もうとにかく何と言うか田舎の風景なのである。なんだか東京のど真ん中にこんな場所があるのが不思議な感じがした。

舗装されていない土の道がずっと長く続いており、そこを進むとポツン、ポツンと普通の一軒屋が並んでいた。そしてそれぞれの家の横には馬小屋があり、時にはその道を人に引かれた馬がゆっくりと歩いているのである。俺は注意書きのメモを思い出し彼らを脅かさないように緊張しながら最徐行でその横を走った。道行く馬はとても大きく立派で、中型二輪に乗っている俺が一番小さいのである。なんか俺だけせこいまがい物の馬という感じがした。

各家の前に立てられた木の看板に書かれた番地(家の番号)を見ながら進むと、荷物の伝票に書かれた番地の家があった。ここが配達先のようである。ホント普通の住宅なのである。あのサザエさんの家(昔終わりの歌で出てきた山小屋みたいなヤツ)のような飾りっ気のない四角い家で、玄関は普通のガラガラという銀色のアルミサッシの引き戸だった。

俺はバイクを降りて玄関の呼び鈴を押して見た。しばらく待ったが誰も出てくる様子がなかった。俺は何回か呼び鈴を押した。

するとタイミング良く、小学生くらいの女の子がランドセルを背負って帰ってきた。その家の子供のようである。なんと大井競馬場の中にこんな生活の場があるとは!

(そうか、ここに住んで品川区の小学校に通っているということか。もしかしたら、お父さんが騎手や調教師か何かなのかな)
俺は想像した。

女の子に、家の人はいるかと聞くと、お仕事で出かけてると言う。じゃあハンコはあるかな? と聞くと玄関の鍵を開け家の中に取りに行ってくれた。
その家の横には馬小屋があった。俺は女の子が出てくるのを待つ間その馬小屋を眺めていた。全身が黒光りする大きな馬が首をゆっくり振っているのが見えた。

しばらくすると女の子がハンコを持って出てきてくれた。俺は受け取りにハンコを押すと、女の子に「馬、凄いね」と言って見た。すると、その子は「触って見る?」と言うのである。

俺が「え、いいの?」と言うと、女の子はコクンと頷いて馬小屋の方に歩いていった。

俺はフルフェイスのヘルメットを脱ぎながら女の子について行った。

女の子は馬小屋の前に立つと、馬に向かって「お客さんだよ」と行った。俺も何か言わなければならない気がして「こんにちは」と言った。

近くで見ると、馬は想像よりも遥かにデカくその真っ黒な目が美しかった。黒目勝ちというよりももう「黒目だけ」である。これで白目があったら只のスケベという感じの顔になるのだろうなあなどとも思ったが、俺の目の前で首を振るその濡れた黒い目をした馬は、只々逞しく、それでいて穏やかで優しそうな顔をしていた。

女の子は自分の何十倍もあるような馬の体を叩きながら何か話しかけていた。まるでペットの犬に話しかけているようだった。俺は初めて目の前で見る馬のデカさに少しビビったが、女の子の手前なんでもないようなフリをしながら、恐る恐る首の辺りに手を伸ばして触って見た。しかし馬はおとなしかった。

首に触るとそのたてがみが想像より硬くてブラシの様で驚いたが、その堅い毛をなでるとスベスベで気持ちよかった。「かわいでしょ」という女の子に俺は「ほんとだね」と答えていた。

気がついたらもうだいぶ時間が経っていた。俺は女の子に礼を言うと次の配達先に向かった。振り向くと女の子は馬の横でこちらを見て手を振っていた。ゲートに向かうまでにまた何頭かの馬とすれ違ったが、俺はとにかく注意深くゆっくりと走った。

そしてゲートをくぐり外に出ると、そこにはまた車で溢れた東京の道路があった。なんだか急に夢から醒めたような感じがした。俺はフルフェイスのシールドを下ろすと次の配達先へ向かった。

***

その年の暮れに、俺は友達と一緒に初めて競馬を見に行った。俺はある審査を無事に通り、年が明けたら外国に行くことになっていた。

それまで競馬は赤鉛筆を耳に差したオッサンの聖地というイメージがあったが、その頃から少し若者向けのプロモーションも始まっていたので、大井競馬場にGⅠレースを見に行ったのだ。俺達は誰でも知ってるガチガチの本命馬の馬券を買ってほんの少し勝っただけで大騒ぎしたりした。

馬が走る姿や人々が興奮する様子を見るのも楽しかった。黒褐色の馬が一着でゴールするのを見てあの女の子の馬を思い出し、そんな訳はないとは思いながらも、もしかしたらあの時の馬なのではなどと思いを馳せたりした。女の子があの馬を何と呼んでいたかはもう思い出せなかった。

俺はこの熱気に溢れた場所の直ぐ裏に、人と馬が静かに生活する空間があることを思い出し、なんだか不思議な想いにとらわれた。俺は頭の中に、あの女の子が今このスタンド席の裏のあの家でテレビを見たり宿題をしたりしている姿を思い浮かべた。

夕方になり辺りが暗くなると競馬場の中には明かりが灯り、スタンドが騒がしくなってきた。

最後のレースが始まるようだった。



(了)

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