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みんな人生依存症

依存に至るメカニズムはある程度ハッキリしている。
まずは快楽の充足がある。
これがなければそもそも依存対象にはならない。最も本質的な部分だ。

次に不確定要素。
ギャンブルが分かりやすい例だ。当たるかハズレるか分からない。だが当たることがあるのは事実。
この時々当たるというのが一番やめづらく、依存を生み出す。
『次は当たるのではないか』という期待。そこから依存の沼にハマる。

この快楽や不確定要素を駆使したものが最近のゲームであり、ゲーム依存は精神医療においても重大なテーマの一つとなっている。

さらには使命感が依存を生むこともある。
DVから逃げられない人がそのパターンだ。
「この人には私が必要だ」という使命感によって離れがたくなっている。
また暴力を振るう人もいつも粗暴な人とは限らない。時折見せる優しさが不確定要素となり、さらに依存を根深くする。

また現実から目をそらしたくて依存に至ることもある。
アルコール依存の方のカウンセリングを以前していたが、やはりその方も逃れがたい現実から目をそらすためにアルコールを摂取していたのだった。

依存にハマりやすい特質などは個人によって違いがあるが、基本的な依存症のメカニズムがあることは事実だ。現代では誰しもが依存症に陥る可能性が指摘されている。

それでは、人生はどうか。
人生は山あり谷あり。
良いことも嫌なこともある。
人は希望を持って生きる。
それでも裏切られることもある。
未来は予測不能だ。
何が起こるかなんて誰も分からないけど、ずっと良いことが続いたり、ずっと悪いことが続くことはないということは確実にいえる。
使命を持つことは人生に張り合いをもたらす。
しばしばつらい現実を投げ出したくなるけど、それでも生き続ける。
快が見いだせないと認識したときに人は人生を辞める。自殺に至る。

人生と依存症は似ている。
というよりもほぼ同じだ。
我々は人生に依存して生きているのだ。

みんな『人生依存症』だ
それを治療して「人生を辞めてください」という人はどこにいるだろうか。
そう考えると依存症治療の本質が見えてくる。
依存症治療には辞めさせるより生きがいの提案を。
現実逃避ではなく今を生きることを。
生きるためには人生から離れることはできない。
人生を辞めることは死を意味する。
でも人生の依存を軽くすることはできる。
もしかすると悟りの境地とは人生への依存を極限まで小さくした状態なのかもしれない。

依存症を考えることは人生を考えることなのだ。

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