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【絵本紹介】人付き合いの摩擦に疲れたら。

誰もが「世界中で一人になったら」という“もしも”を想像をしたことがあるでしょう。

それが願望であれ恐怖であれ。

世界の全てを好きにしたい、とか。
無理。そんな事態は恐ろしすぎる、とか。
感想や動機は色々でしょうが。

あなたも考えたことがあるのではありませんか?

この記事ではイェンス・シースゴール作『せかいにパーレただひとり』をご紹介します。

パーレは多くの人々の想像通り、朝起きたら世界で一人きりになっていました。

誰もいない世界は快適です。
なんでも好きなようにしていいのですから。

パーレは家を抜け出して、お店で商品の食べ物を勝手に食べてお金を盗み、さらには路上にあった車の運転すら始めます。

しかし誰もいない世界では映画も上映していないし、せっかくお金をたくさん持っていても意味がありません。

そんな世界はつまらない。
遊ぶ友達も、お父さんもお母さんもいない。
パーレは寂しくなってしまいます。

結局、そんな世界は夢というオチ。
パーレはお母さんに起こされます。
「夢でよかった」と安心して泣くパーレ。
あとは夢では誰もいなかった公園で友達と遊び、みんながいる楽しさを実感するのです。

子供の頃に読んだ時は、もちろん友達のありがたさとか親がいてよかったという感想を抱きました。

しかし大人になって読み返した今、少し感想が変わったんです。

この本で繰り返し語られるのは、世界でひとりだとものを動かす人や働いている人がいないということです。
映画館とか、ショップの店員とか、食事のスタッフとか。

パーレが初めて“世界でひとり”という不自由さを感じたのもお金が使えなかったところでした。
そのシーンをきっかけに、「〜できません、だってせかいにはパーレだけなんだから」というような描写が繰り返されます。

今日、電車やバスに乗った人がいるでしょう。
買い物に行った人がいるでしょう。
会社や学校にいきましたよね。

人間関係って面倒なことが多いです。
正直ひとりの方が楽。
でもお金を払って好きなものを買いたいし、乗り物に乗って遠出したい。
それができないなら“せかいにわたしただひとり”にはなりたくはないなと、安心のような諦めのような感情が生まれてきます。

まあ、つまりですね。
どこかしらで誰かしらと繋がってしまっているので、積極的に他人と遊ぼうが喋らなかろうが、別段気にすることではないと思うのです。


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