『短くて恐ろしいフィルの時代』ジョージ・ソーンダーズ
“じゃあ俺なんか、目をつぶって、そっぽを向いたままサインしちゃうもんな」とメルヴィンが言った。”(98)
ジョージ・ソーンダーズの作品、『短くて恐ろしいフィルの時代』。
とても目をひく鮮やかな表紙ですね。
この本は、一言で述べるならば「一人の独裁者によるジェノサイドの一部始終」が描かれたお話。
舞台はとっても不思議な二つの国です。
とても国土が狭く、一度に一人しか国に入ることができない「内ホーナー国」。そのために内ホーナー国を囲うようにある「外ホーナー国」の〈一時滞在ゾーン〉で残りの国民は国に入る順番待ちをしています。
痩せていて、背が低く、待ち時間には数学の証明問題をしているという国民たち。
それに対して、とてつもなく広い国土を持つ「外ホーナー国」の国民は、大きく太っていて色つやがいいです。
足を伸ばしながら広々としたカフェでコーヒーを飲むのが娯楽。広い国土と寛容な心に誇りを持っています。
各国民はそれぞれ、いがみ合いながらも折り合いをつけて暮らしていました。しかし地形変動により、小さかった内ホーナー国がさらに小さくなってしまったことから、急速に事態は変わり始めます。
このお話は、一人の独裁者が突如として現れて、弱い立場にいる他国民を迫害し始めるという、ともすればありきたりともとれる物語です。
しかし、ありきたりと言い切ってしまうのは少し早いでしょう。
この物語の登場人物たちはみんな人間ではありません。
顔が鏡だったり、頭のラックがボルトで固定されていたり、ツナ缶が体の一部だったりします。
想像するのは機械仕掛けのおもちゃたち。
タイトルにもなっている「フィル」という人物が狂気じみた独裁者です。
彼は脳が入っているラックのボルトが緩んでいて、時々脳が落ちてしまうんです。脳が外に落ちてしまった彼は、数時間もすると正常な思考・行動ができなくなります。
そんな彼を発端とし、物語では、人間らしくない機械じみた彼らが人間らしい残酷な迫害・搾取を繰り広げます。
ナチスによるユダヤ人の迫害。
アフリカにおけるジェノサイド。
各国で起こるテロ。
読んでいる最中に脳裏をよぎります。
しかし作者のソーンダーズによると、彼はフィルを特定の独裁者として描いてはいないそうです。
フィルとは、あらゆる独裁者のエッセンスを集めて作られた人物なのです。
全ての独裁者に当てはまる、ある種「完璧な」独裁者が、“フィル”。
演説に白熱するとラックから脳が滑り落ちたり、大体間抜けな民衆だったり。マスコミ的な登場人物には、お尻に本当の口がついていたり!
茶化しているのか深刻に批判しているのか、読み手はブンブンと物語に振り回されます。
“短くて”恐ろしいとタイトルになっている通り、この物語には唐突に終わりがきます。
その唐突さと手法は、あたかも子供が組み立てたレゴの都市を、母親に夕飯に呼ばれたためにばらばらと解体するのに似ている気すらします。
実際そんな感じです。
寓話や御伽噺のラストですから。
どうやって独裁と物語が終わるのかが気になる人は、ぜひ読んで確かめてみてください。
“独裁や迫害は無くならない”
“必ずまた彼のような人物が現れる時がくる”
これはこの物語をラストまで読んで抱いた感想です。
……きっと物語の核心でもあるでしょう。
フィルの残骸はそこにあり続け、無くなることも、また生まれ変わることもありません。
ただそこに存在し続けているのです。
この作品が御伽噺じみたストーリーだからこそ、あらゆる世代の人の心に独裁者の種を残しているんじゃないかと思います。
独裁者になりかけた時。
独裁者の誕生を目にしている時。
拒否する思考ができるように、脳が滑り落ちないようにしなくてはいけないといけませんね。
ボルトはきちんとしまっていますか?
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