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悩みはないけど胸が苦しい


辛い悩みを抱えているわけではないけれど、すごく胸が苦しくなるのはなぜなのか。

24歳、社会人1年目、女。料理が趣味。
最近東京で一人暮らしを始める。
特に不自由なく、そつなく暮らしている。
自分のキッチンを持つのが夢だった。
冷蔵庫、ガスコンロ、お鍋たち。戸棚をあければ雑多に並ぶ調味料、酒、野菜。
ミニマリストとは程遠い。でもこれが私が確かに存在している証である。
一日の大半をキッチンで過ごしている。

念願の一人暮らし。
キッチンも一人の時間も手に入れた。
基本的には満ち足りているはずである。

やはり寂しさなのか。
恋人はいない。
今すぐ欲しいというわけでも無い。
仮に今恋人がいたとして、この苦しさがなくなるとは思えない。

相手はいる。
ご飯を食べ、お酒を飲み、人生の話をする。
それ以上のことも。
翌朝、重たい頭痛で目が覚める。彼らがそこにいた形跡を見る。
「俺は好きとか愛とかわからないんだ。」
一人の相手と一生をともにする自信がないと告白する彼の言葉を思い出す。

今年はもっといい年になりますようにと誰しもが願う。未来に対する期待である。
とある映画で、男が頭を抱えて口にした言葉が印象に残っている。
「誰もがより良い暮らしをもとめている。でも、“より良い暮らし“とは一体なんだ?」

「より良い」を求めるのは人間の性である。
進歩思想と言っては大袈裟かもしれないが、結局は同じである。未来ある限り、人は常にさらなる幸福、発展を願う。
私はこれが苦しさの正体に思えてならない。

「より良い」とは過去現在未来という時間の概念によって成り立つものである。
こうした一切の「より良い」求める考え方を取っ払うことはできないものか。
単に未来への諦念を意味するのではない。
未来という考え方そのものがなくなる。
未来も過去も無い、今しか無いなかで生きる。
壮大な机上の空論、いや布団の中の空論である。

しかし、そんな壮大な空論も別の角度からみれば、別の「より良い」を求めていることに変わりないということを、私は知っている。
結局のところ何も変わっていないのだ。
「より良い」は強力である。
人は「より良い」から逃れられない。
つまり、この苦しさはずっと消えない。

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