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フィン・マックールの時代のアルスター
フィン・マックールが登場する時代でもアルスターは有力な北部の雄として描かれることが多い。しかし彼らの内情について解説されていることはほとんどないため、それらについて備忘録としてまとめて置く。クーフーリンの時代のコンホヴァル王の王統が途絶え、「アルスター」と銘打たれていても実際には複数の勢力が入り乱れている中で表舞台に立つものは入れ替わり立ち替わりするような状況なのである。なお、なるべくわかりやす
もっとみるタイグ・マクキアン伝
タイグ・マクキアン(Tadg mac Céin)
タイグはマンスターの雄、アリル・オールムの孫である。タイグの父キアンはマグ・ムクラマの戦いにおいてオーエン・モールを筆頭とする兄弟ともども討ち死にしていた。散逸した物語「カシェルから出発したキアンの移住(Tochomlod Céin a Caisil)」のタイトルから察するに、この時既にキアンはカシェル(一族の拠点)を離れており、タイグもそれに
いかにしてフィンはソゼルブとグラングレサハの仲を取り持ったか
生きとし生けるものの中でで最も麗しきは、ドゥバン・マクドゥヴノナの妻であるゴダの姿。人の中で最も愛らしいのは、アレルブ・ルア。
ムグスメリーが彼女を連れて群衆へ突き進んだ時――その後のことはまた別の話。
これは既に述べていたように、コーマックの娘であるソゼルブの結婚についての話である。彼女がマクミレーの首席学士であるグラングレサハと共に就寝した時のこと、その乙女はウルカンの娘ベウァルの魔法によって
フィアナ伝説:ゴルの武勲
飢餓に打ち克ったとはいえ、私はこの崖にただ一人。今夜私と一緒にいるのは他ならぬ哀れな去り行く女なのだから。
三十日間、私はこの崖で食べることも眠ることもなく、竪琴もティンパーンの音色もなく、この崖で取り囲まれてきた。
この時に3000人の真の戦士が私の手にかかって命を落とした。それは大いなる狂気の予兆だった。彼らの後に塩水を飲むのはまだだった。
私は歴戦の勇者だった。私には体の守りがあった。私は黄
歴史サイクル/コン王の息子アートの冒険とモルガーンの娘デルブハイヴの結婚2
前回
それからベクヴァは緑地に出かける機会があって、そこでコンの息子がフィズヘル※をしているのを見かけた。アート王子は仇を見たくないと思っていた。
「あれがコン王の息子ですか」
彼女が言うと、人々は答えた。
「その通りです」
「彼が私と賭けのフィズヘルをしなければ、禁忌を課します」
この言葉がコンの息子のアート王子に伝えられた。そしてフィズヘルが持ってこられると彼らは勝負して、アート王子が最
歴史サイクル/コン王の息子アートの冒険とモルガーンの娘デルブハイヴの結婚
百戦のコンはフェズリミズ・レフタウァルの息子であり、その父はトゥアサル・テフトウァルであり、その父はフェラダッハ・フィンエフトナハであり、その父はクリファン・ニア・ナル※1であり、その父はルガズ・リアブ・ネルグ※2であり、その父は美しい三つ子のブレス、ナル、ロサルであり、彼らの父はエオハズ・フェズレフ※3である。昔、百戦のコンは高貴で傑出した宮殿、諸王の都タラに九年間座しており、その王の御代には
もっとみる歴史サイクル:マグ・レーナの戦い4
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それからコン王は立ち上がって、美しい肌身に防具を着た。すなわちそれは三つの美しい見事な色映えの金の円形ブローチがつけられた濃い灰色の流麗な長いチュニックである。それから赤金で縁どられ、帯とボタンを結びつけられた、房付きの豪奢な約束の国の素晴らしい布によって作られた見事で丁度良い上着を着た。そのため頭の天辺から脚のふくらはぎまで、鋭い槍の切っ先で突かれうるあらゆる場所が覆われた。こ
アイルランド王国年代記:フィン・マックールの時代
アイルランド王国年代記より抜粋
122年
カサル・モールは三年間のアイルランド王として君臨した後に、マグ・アガの戦いでコンと、タラのルアグニ族に殺害された。
123年
百戦のコンがアイルランド王として君臨した最初の年。
コンが生まれたその夜に、それまで未発見だったアイルランドの五大地方からタラへと至る主要街道が見つかった。以下がその名前である。
スリー・アサル、スリー・ミドルアフラ、スリー・クア
来寇の書:フィン・マックールの時代
来寇の書より抜粋(複数の写本のうち重複する部分については省略しつつ差異を取り込む形として、文面が大きく異なる部分はカッコ内に抜粋)
その名を彼が百の戦いに勝利したことに由来する百戦のコンは、30年ないし20-5年間アイルランドを統治して、最期はトゥアス・アムロイスの自らの砦の前でアルスター王タブリディ・ティーレハの手にかかって亡くなった。それゆえ彼の墓はそこの芝生にある。それから、ローマ皇帝マル
歴史サイクル:マグ・レーナの戦い3
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オーエンと共にやって来た外国人たちはというと、多大な我慢を強いられ、スペインに帰りたいと願っていた。そこでオーエンはコンとの休戦を破る理由を探していた。ムグ・ヌアザが彼の領有する南半分の大巡回に出かけ、最後にアース・クリアス・ダブリンに到着して、そこに船着き場を見に行った。(補足:ダブリンは南北分割の境界であるため北はコン領、南はオーエン領であったのだが)彼よりもコンの領分のほう
歴史サイクル:マグ・レーナの戦い2
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前書き
最後のほうになるとフィン・マックールが登場します。彼はこの時、九歳であり既に戦士たちの長になっていたようです。古老たちの語らいによれば、フィンが十歳の時に炎の息のアレンを殺した。ギラ・イン・ホヴデドの詩ではフィンが八歳の時に(推定)炎の息のアレンを殺したとある。つまり、「オーエンの亡命と復権」と「フィンの隠遁生活と表舞台にでる時期」がリンクしているようです。
本文
歴史サイクル:マグ・レーナの戦い
前説
アイルランドの神話伝説をおおまかに分類すると、神話サイクル、アルスターサイクル、フィニアンサイクル、歴史サイクルに分けられることは皆さんご存じでしょうか。実はフィニアンサイクルは時期的に数百年の長期間にわたって繰り広げられる物語群であるため、同時期を舞台にした伝説的な歴史サイクルと多くの部分でリンクしています。
今回紹介するマグ・レーナの戦記物語は、まさにフィン・マックールの生まれる前や
モンガーン伝説:モンガーンの誕生とドゥブラハに対する愛
翻訳
昔々、フィアフナ・フィンはアイルランドを出発して、当時マガルの息子のエオルガーグ王が君臨していたロッホランに向かった。
フィアフナの家系についてだが、彼の父はバイターンであり、バイターンの父はムルフェルタッハであり、ムルフェルタッハの父はムレダハであり、ムレダハの父はエオガンであり、エオガンの父はニアルである。
さて、フィアフナはロッホランで敬愛をもって歓迎された。しかしフィアフナはロッホ
フィアナ伝説:フィンに関する二つの物語
かつてバスクナの子孫のフィンはキンクリー《※1》にいた。フィンには長い間、妻がいなかった。そしてフィンはシュア川のほとりの漁師の砦に行ったところで、牧人の娘が髪を洗っているのを見かけた。彼女はバダヴァルという名前だった。フィンはバダヴァルのところに行って、彼女と同棲した。
さて、フィンの里子兄弟であるドゥブ・ウア・ドゥブネを殺したのはレンスター王国のカラ・リフィだった。ドゥブの血を引くのがディルム
フィアナ伝説:フィンと木の男
かつてフィアナ騎士団がシュア川の土手沿いのバダヴァルという場所にいた時のことだが、ビルゲの子孫のクルドゥブという者がフェヴィンの平野の妖精塚から這い出て、フィアナ騎士団の食べ物を持ち去って行った。そしてこのようなことが三日三晩続いた。しかしついに三度目にはフィンが気づいて、フェヴィンの妖精塚にクルドゥブよりも先に着いた。彼は妖精塚に入ろうとした時にフィンに捕まってしまい、向こう側に倒れ込んだ。フィ
もっとみるフィアナ伝説:クヌハの戦いの原因
フィン・マックールの誕生について描かれた11~12世紀頃の作品です。
また、アルムの地名伝承の詩はクヌハの戦いの原因とほぼ同じ内容です。
翻訳
コーマック・ゲルタガイスの息子のフィデルミス・フィルグラスの息子のカサル・モールがタラ王であり、百戦のコンが王位継承候補の土地内のケナノスにいた時代に、カサルは有名なドルイドを擁していた。すなわちそのドルイドはブレガの平野のトゥアス・ダスィのフィンタン