アイルランド王国年代記:フィン・マックールの時代

アイルランド王国年代記より抜粋

122年
カサル・モールは三年間のアイルランド王として君臨した後に、マグ・アガの戦いでコンと、タラのルアグニ族に殺害された。
123年
百戦のコンがアイルランド王として君臨した最初の年。
コンが生まれたその夜に、それまで未発見だったアイルランドの五大地方からタラへと至る主要街道が見つかった。以下がその名前である。
スリー・アサル、スリー・ミドルアフラ、スリー・クアラン、スリー・モール、スリー・ダーラ。スリー・モールはコンとオーエンの間でアイルランドを分割した境界のエスカー・リアダである。
157年
百戦のコンが35年のアイルランド統治の後にロフリーの息子のマルの息子のアルスター王タブリディ・ティーレハにトゥアス・アムロイスの戦いで殺害された。
158年
ムグ・ラヴァの息子のコナレ・キーヴがアイルランド王として君臨した最初の年。
165年
ムグ・ラヴァの息子のコナレ・キーヴが8年間アイルランド王として君臨した後にネヴェド・マクスラーヴキンに殺された。このコナレにはカルブレ・ムスクとカルブレ・バスカイン、カルブレ・リアダという三人の息子がおり、それぞれムスクリー、コルク・バスキン、ダール・リアダの祖となった。百戦のコンの娘のサラドがこれらのムグ・ラヴァの息子のコナレの子供たちの母親である。
166年
百戦のコンの息子のアートがアイルランド王として君臨した最初の年。
186年
百戦のコンの息子のアートがアイルランド王として君臨した21年目の年。
アリル・オールヴの息子たちと三人のカルブレ、カルブレ・ムスク、カルブレ・バスカイン、カルブレ・リアダがドルイドのダデラと、ネヴェド・マクスラーヴキンと南アイルランドに対決したキンファブラの戦いが起こった。そこでマンスターのエルナ族の王であるネヴェド・マクスラーヴキンとダリニー族のドルイドであるダデラが命を落とした。アリルの息子のオーエンがダデラを討ち取り、コナレの息子のカルブレ・リーフォダ(リアダ)が父親の報復としてネヴェド・マクスラーヴキンを討ち取った。カルブレ・ムスクはルギド・マックコンの太ももを負傷させ、それ以来彼は脚が不自由になった。マックコンという通り名の由来はこうである。ルギドは養父の屋敷の雌犬を気に入っており、その乳を飲んでいたので、犬の子を意味するマックコンという通り名になった。
195年
百戦のコンの息子のアートが30年間アイルランドを統治の後にマグ・ムクラマの戦いでマックコンとその配下の外国人の手にかかって命を落とした。この戦いで、アートとともに彼の姉妹であるサーバ・インギンコンコンの娘の息子たちが亡くなった。すなわち、アリル・オールヴの息子たちはアートを援けて彼等の兄であるマックコンに敵対しに来ていた。彼らの名前はオーエン・モール、ドゥブウェルホン、ムグコルブ、ルギド、オヒー、ディホルブ、タイグである。ブリテン王ベーニャ・ブリトは彼等を殺害した。ベーニャは親類の報復としてルギド・ラーガに討たれた。オヒー・フィン・フアスアートの息子のアンガス・バルブの息子、リガーネ・レカンファーダがマックコンの軍勢に加わった後にマグ・ムクラマのこの戦いでアートを殺害した。
196年
マクニアの息子のルギド・マックコンがアイルランド王として君臨した最初の年。
225年
ルギド・マックコンがアイルランドを30年間統治した後に、コーマック・オコンによってタラから放逐され、その後、フェルヘス・マクコウァン・エケス詩人の手にかかって亡くなった。
226年
イヴハズの息子のフェルグス・ドゥブデータハは一年間アイルランドの王であり、クリナの戦いでコーマック・オコンとルギド・ラーガの手にかかって亡くなった。そして、ブレガを横断する敗走の中で、フェルグス・フォルタレヴァル長髪とフェルグス・ボト憤怒、またの名をフェルグス・カスフィアクラ曲がった歯という彼の二人の兄弟もまたそこで亡くなった。
227年
百戦のコンの息子のアートの息子のコーマックがアイルランド王として君臨した最初の年。
234年
コーマックの八年目、マンスター王アリル・オールヴ・マクムグヌアザが死去した。
236年
コーマックの十年目、この年、コーマック・オコンのアルスターに対するグラナードの戦いがあった。コノート王アイド・マクオヒー・マクコナルに対してエウ及びマグ・イーで戦った。アルスターに対してエス、キンダーレ、スルースで戦った。スリー・クーリーの戦いがあった。
237年
コーマックの十一年目、コーマックによるアース・ベサの戦い、ドヴァの戦い。
238年
コーマックの十二年目、コーマックがクルトハーで三度、ドゥヴァドで三度戦った。
239年
コーマックの十三年目、コーマックがアラヴァで戦い、そしてエルヴェで七度戦った。
240年
コーマックの十四年目。マグ・テフトの戦い、コーマックの艦隊はこの年に海原を越えて航海し、その機にアルバ(スコットランド)の統治権を獲得した。
241年
コーマックの十五年目。この年にコーマックはマンスターでこれらの戦いを起こした。ベレの戦い。ロッホ・レンの戦い。ルヴネフの戦い。グリアンの戦い。クラサハの戦い。ムレスクの戦い。フェルタの戦いではアリル・オールヴの息子のオヒー・テヴァーダが亡くなった。そしてサウィンの戦いではキアンが亡くなった。そしてアルド・カヴの戦いがあった。
また、タラのクロンファートでレンスター王ドゥーンラン・マクエンナ・ニアズによる乙女たちの虐殺があった。王女は三十名、そして彼女ら一人につき百名の侍女もの数に上った。虐殺の報復としてコーマックはレンスター人の王子十二名を死に追いやり、トゥアサルの後からさらに重くした牛の貢納を強制的に課した。
248年
コーマックの二十二年目。この年にコーマックがフォハルド・ムルセヴネで戦った。
262年
コーマックの三十六年目。アルスター人に対してコーマックがクリナ・フレガヴァルで戦い、そこでフェルグス・ドゥブデータハの息子のアンガス・フィンが亡くなり、ともに周りでアルスター人が虐殺された。
265年
コーマックの三十九年目。フェリミ・レフタウァルの息子のフィアハ・スイーの息子であるアンガス・ガイブァヴセハの槍の一突きでコーマックの執行人であるケラッハ・マクコーマックが致命傷を受け、コーマックの片目がつぶれた。その後、この行為の報復としてコーマックはデーシに対して戦って七度勝利を収めて領土から追い出したので、彼らは今はマンスターにいる。
266年
コーマックの四十年目。コンの息子のアートの息子のコーマックはアイルランドを統治している時に、クレテハで死んだ。コーマックが神への信仰をドルイドより優先して彼らに背いた後にドルイドのマイルゲンが彼を諷刺し、生まれつきの性質が歪んだゆえに鮭の骨が喉に刺さったためである。このためにドルイドたちがそそのかし悪魔が彼を攻撃し悲劇的な死に陥れたのだ。国の規律や統治を保つために王の規範テグスク・ナ・リーを編纂したのはコーマックだった。彼は法律や適切な各々の学芸と契約についての指針を作成したために法律や年表、歴史において高名な著作家だった。そして彼の法律は現在に至るまで法治の下にあらゆる物事に付き物なのである。
そしてまたアイルランド中の歴史学者をタラに集めて、彼等にアイルランドの年代記を一冊に記すように命じたのもコーマック・マクアートだった。その本はタラの詩編と名付けられた。この本にはアイルランドの王について同時期の出来事や同時期の世界の皇帝、同時期の各地方の王について記されていた。そしてまたアイルランドの王が各地方の王から受け取る権利があった物や、地方の王が貴族から貧民までの臣下から得る地代および貢納について記されていた。また、アイルランドの海岸線、州から小国および町、分割された土地に至るまでの境界が記されていた。これらのことは赤牛の書に記念されており、地理伝承の書物に根拠がある。
267年
オヒー・ゴナトはアイルランドを統治している中で、とあるアルスター人、ルギド・メン・マクアンガスによって殺された。
268年
アートの息子のコーマックの息子であるカルブレ・リフィハルがアイルランドを統治した最初の年。
271年
カルブレの四年目。カルブレはレンスターの権利を守るためにマンスター軍に対して三度戦った。
272年
カルブレの五年目。カルブレはレンスターの権利を守るためにマンスター軍に対して四度戦った。
276年
カルブレによるアイルランド統治の九年目。この年にカルブレの息子たち、フィアハ・スライヴティネとオヒー・ドヴレンによってアンガス・ガイブァヴセハが殺された。
283年
カルブレの十六年目。フィン・オバスクナが、アフレフ・マクドゥブドレンとタラのルアグニのウルグレンの息子たちによってボイン川のアース・ブレアで殺害され、以下のように言われた。

フィンが殺された、それは投槍の、
痛ましい傷だった。
アフレフ・マクドゥブドレンが斬った、
モフタヴンの息子の首を。
キールタが復讐を果たさなかったのなら、
彼の全ての真なる戦いに関する一つの勝利となっていただろう。
王者の勇士の首級によって歓喜し、
その三人は彼に斬られた。

284年
カルブレがアイルランドを十七年間統治した後にガヴラ・アフレの戦いで、フォサルタの一人であるシヴェオン・マクケルヴによって殺された。コーマック・カスの息子のフェルコルヴはフィアナ騎士団を引き連れてアイルランド南部レス・モガを守るために王に対抗した。
285年
フォサド兄弟がアイルランドを一年間統治した時に、フォサド・カルブセハがフォサド・アルグセハによって殺された。その後、フォサド・アルグセハはマグ・リネのオラーヴァ河口の戦いでキールタに討たれた。



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