来寇の書:フィン・マックールの時代

来寇の書より抜粋(複数の写本のうち重複する部分については省略しつつ差異を取り込む形として、文面が大きく異なる部分はカッコ内に抜粋)

その名を彼が百の戦いに勝利したことに由来する百戦のコンは、30年ないし20-5年間アイルランドを統治して、最期はトゥアス・アムロイスの自らの砦の前でアルスター王タブリディ・ティーレハの手にかかって亡くなった。それゆえ彼の墓はそこの芝生にある。それから、ローマ皇帝マルクス・アントニヌスの治世に百戦のコンはアイルランドの王位に就き、レンスター王オヒー・マクエルク・マクエフエフの息子のエルクの息子のオヒーから、牛の貢納を戦わずして二度取り立てた。しかし三度目にはオヒーは驕り高ぶり、コーゲドの集会をマスティウで行うように図り、牛の貢納についてコンと一戦を交えようと思い立った。コンはマスティウからタラまで敗走し、エフランとヌアザという二人のレンスターの戦士が追いかけ、コンに肉薄して負傷せしめた。しかし彼は振り向くや彼らを斬首した。レンスターの王は七年間タラに留まったが、再びコンは力を取り戻した。コンはオヒーをタラから追い出して牛の貢納を取り立てた。フィン・マックールがその牛の貢納をコンに支払い、彼が生きている間には、レンスターは戦うことなくそれを支払った。

コンの縁戚であるコナレ・キーヴは七年ないし八年間アイルランドの王位に就き、最期はネヴェド・マクスラーヴキンの手にかかって亡くなった。(コナレ・キーヴがアイルランドの王権を奪取したのはローマ皇帝アントニヌス・コンモドゥスの治世であり、戦うことなく牛の貢納を取り立てた。)

コンの息子であるアートは二十年間アイルランドの玉座に座し、最期はムクラマの戦いでルギド・マックコンの手にかかって亡くなった。
(コンの息子であるアートは十三年間アイルランドの玉座に座し、最期はムクラマの戦いでムグ・ヌアザの息子のルギド・ラーガの手にかかって亡くなった。それから、コンの息子のアート・オィンフェルはローマ皇帝アントニヌス・コンモドゥスの治世にアイルランドの王位に就き、戦うことなく牛の貢納を取り立てた。アートは貢納のために多くの戦いに勝利して以来、生きている間は戦うことなく貢納を取り立てた)

ルギド・マックコンはコーマック・オコンコンの孫に追い出されるまでの十三年間アイルランドの王位に就いていた。その後、詩人であるフェルヘス・マクコウァンの手にかかり、投槍により亡くなった。

フェルグス・ドゥブデータハ黒い歯は一年間統治し、最期はクリナの戦いでコーマック・オコンコンの孫の手にかかって命を落とした。それから、フェルグス・ドゥブデータハ黒い歯はローマ皇帝アウレリアヌスの治世に王位に就き、戦わずして牛の貢納を取り立てた。

コーマック・オコンコンの孫は四十年間統治し、最期はテハ・クレティグで鮭の骨が喉に刺さったことにより亡くなった。あるいはメールケンに呪われた彼を殺したのは亡霊だったという。
百戦のコンの息子のアートの子のコーマックはローマ皇帝マルクス・アウレリウスの治世に王位に就き、力づくでレンスターから牛の貢納を取り立てた。学者や歴史家は、牛の貢納と追加の利子を最後に取り立てるまでに彼の手にかかって殺されたレンスターの王が十一人であると数えている。エンナ・ニアの息子のドゥーンランの手にかかってタラの娘たちで殺害された五十人の王女たちの報復として、名家の女子を貢納させた最初の人物がこのコーマックである。

エフ・グンナトは一年間統治して、アンガスの息子のルギドの手にかかったか、コーマック・オコンコンの孫の手にかかって亡くなった。(ルグナの息子のルギドはアルスター内のテウァル・アルドの戦いでエフを倒した者である。)

コーマックの息子のカルブレ・リフィハルは十七あるいは二十六、七年間統治して、最期はアキルのガヴラの戦いでフォサルタのセニス・マクケルブの手にかかって亡くなった。あるいはルアド・ライリウの手にかかり命を落としたとも。カルブレ・リフィハルは王位に就くと、レンスターから牛の貢納を取り立てた。カルブレ・リフィハルがアイルランド王位に就いたのはローマ皇帝アウレリアヌスの治世のことだった。その後にカルブレ・リフィハルの治世の時代でフィアハ・バケダの息子のブレサル・ベラハがレンスター王位に就くと、ブレサルはカルブレに牛の貢納を支払わないと公言した。そしてこの戦いでフィアハ・スロイブティンが死んだと言われているが、彼が死んだのはこの戦いではなく、ドゥブホウァルの戦いでのことであり、彼の兄弟であるエフ・ドムレンの息子たちの手にかかって亡くなった。すなわち三人のコラとはカリル・コラ・ウアイス、ムレダハ・コラ・フォークリフ、アイド・コラ・メンである。ドゥブホウァルはフィアハのドルイドの名前であり、彼がそこで死んだので戦いの名前となった。(レンスターとの)戦いの後に、カルブレ・リフィハルは再び力を取り戻し、生きている限り牛の貢納を戦わずして取り立てた。その後、レンスターは長い間牛の貢納をめぐって戦った。

フォサドたちは一年間統治し、最期はフォサド・カルブセハがフォサド・アルグデハの手にかかって亡くなった。フォサド・アルグデハはマグ・リーネのオラーバ河口の戦いでフィン・オバスクナのフィアナ騎士団とフィアハ・スロイブティンの傭兵により討たれた。


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