歴史サイクル:マグ・レーナの戦い

前説

アイルランドの神話伝説をおおまかに分類すると、神話サイクル、アルスターサイクル、フィニアンサイクル、歴史サイクルに分けられることは皆さんご存じでしょうか。実はフィニアンサイクルは時期的に数百年の長期間にわたって繰り広げられる物語群であるため、同時期を舞台にした伝説的な歴史サイクルと多くの部分でリンクしています。

今回紹介するマグ・レーナの戦記物語は、まさにフィン・マックールの生まれる前や幼少の時代にリンクしています。とはいえこの戦記では華々しいフィンの活躍は描かれません。これから始まる1章(長いので便宜的に分けました)ではフィンがまだ赤ん坊の頃なので登場もしません。ですが彼の幼少期のアイルランド情勢を描いた物語はなかなかありませんので、こんな世の中でフィンは隠れ家で育ってたんだなぁ、くらいに読んでみてください。

1章

 ダーリネの一族¹Clann Dairineジャルグスネの一族²Clann Deargthineブレガーンの息子イーサの子孫のルギズの一族³Clann Luighdheach mac Itha mac Breogain、そして他の余多のマンスターの戦士たちの一族について語ろう。
 クヌハの戦い⁴Cath Cnuchaの後のことだが、彼らには上下関係はなく対等であった。なぜなら彼らを三人の優れた王が統治していたからだ。すなわち、ジャルグスネの子孫のムグ・ネドMug Neidと、ムグ・ラヴァMug Lamhaの子孫コナリConaireと、ルギズLugaidhの息子のマクニアMacniadhである。
 そして彼らが相争うようになった事の発端はつまり、ムグ・ネドの敬愛すべき気高き魂の息子のムグ・ヌアザ⁵Mug Nuadhatだった。彼のまたの名を、オーエン・モールEoghan Morと言った。そして彼がムグ・ヌアザヌアザのしもべと呼ばれるようになった原因は、マンスターの土地所有者であるダーリネの息子のヌアザ・ジャルグ⁶Nuadhat Deargに養育されたからだ。そしてヌアザはフェヴィンFemhinの平野の王者の砦を築き、ドルイドのジャルグ・ダヴサDearg Damhthaと共にその指揮にあたっていた。
 オーエンは子どもらしく遊んだ後に、養父の側にいた。砦にはどの角度でも九人の奴隷がいて建築作業をしていた。彼らは切り出し作業中に大きな石にあたって、それを誰も持ち上げたりどかすことは出来なかった。全ての労働者たちが集まったが、(補足:狭かったため)石を持ち上げるのに十分な数の屈強な男性は収まりきらなかった。
 そしてオーエンは彼らが苦労していると知ってやって来て、彼らが石を持ち上げようという意欲を失っているのを見て、腕で荒々しく回して締めて、精一杯に力んで、膝の上に石を置き、膝から肩に担ぎあげて、作業場の盛土の外側に置いて行った。
「この者がヌアザの高貴なしもべムグか」と彼らが言った。
「この名前は永遠に彼のものだ」とドルイドのジャルグ・ダヴサは言ったので、それゆえムグ・ヌアザヌアザのしもべなのである。それで彼らは彼をオーエンとムグ・ヌアザという二つの名で呼んだ。そしてクヌハの戦いの時が来るまで、マンスターの貴族たちは彼を異論なき未来の王として大いに喧伝した。
 さて、西マンスターイアル・ムヴァの王であるフィアフラFiachraの息子のフランFlannの娘、ソーダSiodaが彼の母親だったが、彼女は夢を見た。すなわち、その夜に七匹の赤い耳をした白い牛を見た。その臀部にはいっぱいに牛乳の入った袋があって、子牛たちが地面のくぼみや溝に残した牛乳のプールに月齢の男の子が浮かべるほどであった。そして彼女はその後を追っている黒く、苦しんでいて、汚れた七頭の牛を見た。それらの前額には燃えるような目があり、鉄の角が生えていた。それらは最初の牛と戦って屈服させると皆殺しにしたのだった。ソーダは夢を起床した王に話すと、王は恐怖に囚われた。そして彼女は次の詩を歌った。

昨夜私が見た夢、
ああ、美しき容姿のムグ・ネド―
七頭の白き牛が―間違いありません―
アイルランドのまさに中心に現れました。
遠くから現れたそれらは私にとって美しく、
高貴なる山の雪の色のようでした。
水晶のような瞳に、
鉄の角を具えていました。
美しい皮の牛の吼えは、
尖った竪琴の弦のように甘美な調べ。
牛乳と飲み物を作り出して、
それらは瞬く間にアイルランドを満たした。
黒く、暗く、煙たい、
私は別の七頭の牛を見ました。
白い牛の後に、遠く、
それらは倒れ伏すまで(白い牛を)血塗れにしています。
全ての黒い牛どものうなり声は、
死者を死から目覚めさせるでしょう。
燃えるような瞳に、
鉄の角を具えていました。
これが私の幻視です、あなた、
美しきムグ・ネド。
善きにつけ悪しきにつけ、それは私たちのところに来ます。
これは幻視です。

 この詩の後にムグ・ネドに仕えているドルイドのジャルグ・ダヴサが夢を解釈するために呼び出された。すぐさま仔細が語られると、そのドルイドは言った。
「穀物や上質な果物、牛乳や海産物が豊富にあり、花が咲き豊かで実り多い年が七年間訪れるでしょう。そのためその数年間が比類なきものであると誰もが認めるほどです。しかしその後に惨めで貧しく活気のない七年が訪れて、その時には親が子に、人が友にわずかにでも(食料を)与えることができないのです」
 幻視の解釈を受けると、ムグ・ネドは親身で友好的な指示を行った。つまり彼は地下に櫃や大きな容器と強大な地下室を掘り込んで、ジャルグ・ダヴサが予言した最初の時代に備えて堅牢な屋敷を組立て造り、安全を確保するということを決めた。そしてそれらを食物や腐らない産物で満たしたのだった。それというのも、ムグ・ネドは実り多き七年間は食物以外の王の貢納を受け付けなかった。そして凶作の七年が訪れ、最初の年に飢饉となった。翌年には(食べ物の)取り引きや買い占めが起こった。しかし、今や全ての者たちが大飢饉に見舞われ、領地や家族、部族は荒廃して衰退していった。そしてこの苦難はアイルランドの全土に降りかかったが、特にマンスターで猛威を振るった。そしてマンスターの全ての貴族、すなわちデザの一族⁷Clann Dedadh、ダーリネの一族、ジャルグスネの一族が一ヵ所に集まった。彼らは皆、ムグ・ネドの前でこの恐ろしい飢饉を嘆いたのだが、ムグ・ラヴァの息子のコナリとルギズの息子のマクニアはそこにいなかった。そしてムグ・ネドは彼らに、要求する贈物と引き換えにその(飢饉の)時期に助けようと申し出た。多くの者が苦しんでいたので皆はこの言葉に同意した。要求される全ての約束を果たすため、彼らは心から誓約して保証をムグ・ネドに差し出して、相互に誓約と保証を交わすことに同意した。
「我々からあなたが得たいと望む贈物を明かしてください」と貴族たちは言った。
「ムグ・ラヴァの息子のコナリとルギズの息子のマクニアをマンスターから追放して私の息子、オーエン・モールに王権を与えて欲しい」
「我々が叶えましょう」
 しかし今や確かなことは、状況が好転するまでマンスターの貴族たちはムグ・ネドの富を浪費したこと、ムグ・ラヴァの息子のコナリとルギズの息子のマクニアがマンスターを追放されて百戦のコンがいるタラに行ったことである。そしてムグ・ヌアザは父が少なくとも生きている間には王にならないと言ったのだが、彼自身の意思に反してマンスターの貴族たちによって王として公に喧伝された。当の父親は彼に王権とともに祝福を与えたのである。マンスターの人々は皆、彼を歓喜の群衆で迎えた。ジャルグスネの一族の誇りはこの出来事によって大いに高まったのである。そしてドルイドのジャルグ・ダヴサはオーエンを大いに讃え、彼の高貴さや高い資質を誇って詩を作った。

オーエン・モール―高き資質―、
百戦のコンに並ぶ高貴さ。
これらの世に名高き二人は
アイルランドを分割した。
オーエンはコン王を凌駕した。
なぜなら武勇において互角なれども、
オーエン(の領内)の旅人の食事は豊か、
平和な部族で配分されていたのだ。
フランの娘、ムグ・ネドの妻は
間違いなく幻視を見た。
彼女はマンスターの真中で見た、
七頭の白い牛を―その名声は不朽。
これが彼女の見た夜の夢。
一度にアイルランド全土の人々に十分な
牛乳をもたらした。
ドルイドが行った解釈
―幻視を見た寛大な女性のため―とは、
七年間の繁栄と輝かしい幸福と
七年間の悲嘆と貧困の訪れ。
それから彼らは縁いっぱいまで容器を満たした、
隙間なくぎっしりといっぱいに。
彼らは十分な食物なしにいることはない、
恐ろしい凶作の年に。
壊滅的な飢饉が彼らを襲い、
オーエンには幸いにして貯蔵があったが、
人々が互いを喰らった時に、
アイルランド中が恐怖した。
遠くの者も近くの者も、その時全ての人々が見た、
食べ物とエールとともに勇者オーエンを。
自らの命を保つため、オーエンに、
彼らは自ら従属して、状況を好転させた。
このことから、古くからのことわざが生まれた。
アイルランドの者なら誰でもそれを知っている。
「全ての人は見返りなくとも従属する、
世界の終りまで、オーエンに」⁸

 ムグ・ラヴァの息子のコナリとルギズの息子のマクニアはというと、支持者の貴族たちとタラTemhar百戦のコンConn Cétchathachのもとに滞在を続けていた。そしてコン王は彼らにブレガとミデの領地の季節毎の徴税権を与えた。この時に、フィンハズFinnchadhの息子のブリアンBrianの息子である、赤い手のイヴハズImchaidhがアルスターを追放された。そしてタラにやって来て、コン王の手厚い歓迎を受けた。そして彼ら(イヴハズとその支持者)はテヴァ⁹Tethbhaの領地に駐留した。格式ある屋敷がこれらの三者の戦士たちに用意され、彼らは相互に和平を結び、コン王との友好とムグ・ネドとの対立を誓った。当時、コン王には美しい未婚の三姉妹の娘がいた。彼女たちの名前はミーンMaoinサズヴSadhbhサラSaraidと言った。そして追放された三人の貴公子たちは彼女たちに求婚して永遠の愛を誓おうと考えた。コナリの目は青い瞳のサラに留まった。マクニアはサズヴを心から愛した。赤い手のイヴハズは初々しいミーンに首ったけだった。そしてこれらの王子たちは王女たちに頻繁に求婚しに行った。サズヴはマクニアに、父親の同意があれば(あるいは、同意がなくとも?)配偶者として、好意と求愛を受け入れると言った。ミーンとサラは父親の同意がなければ求愛を受け入れないと言った。コン王はこの会話を知らされると、すぐにサラをコナリに、ミーンを赤い手のイヴハズに嫁がせた。しかしサズヴとマクニアは誇り高く、十分な資産が与えられるまで結婚しなかった。
 追放された貴公子たちがタラでコン王から受け取った大いなる名誉と幸福のことをムグ・ネドが耳にすると、コン王に服従しないし、自分の敵と友好関係にあるがゆえに、できるものなら廃位して放浪させてしまうぞ、と伝えた。コン王はこれを聞くと、ムグ・ネドに出頭するか、さもなくば戦いを挑むと使者を送った。ただちにムグ・ネドは合戦に赴くと伝えた。事ここに至って、ムグ・ネドはコン王と戦うためにマンスターの二国の貴族と大軍をかき集めた。一方、コン王は彼の養父であるコノートにいるクルアハンのコナルConall Cruachnaと、モルナの息子のゴルGoll mac Mornaと彼のフィアナ騎士たちに使者を送った。そしてアルスターの二人の王、ブリアンBriunの息子のカサル・ブレサルCasal Breasalオヒー・コヴァEochaidh Cobhaにも。そして黄色い髪のクリウァンCrimthann Culbuideとレンスターの戦士たちにも。彼は自らテヴァの軍勢とタラの諸部族を召集した。
 そしてコナルとクルアハンの勇者たち、ゴルとフィアナ騎士たち、黄色い髪のクリウァンがレンスターの貴族を伴ってやって来た。しかしアルスター勢は赤い手のイヴハズをコン王が歓待したことに不快感を示して来援しなかった。それからコン王はムグ・ネドをマンスターから追い出すために集めた自軍を古きマグ・レーナ・マク・ダトーダトーの息子のレーナの平原に進めた。マンスターの二国の軍勢はマンスター領内のトルスガーの平野に進軍して対峙した。これを互いに聞きつけて、勇士の子アサル・モールAsal Morに率いられたアイルランド上王の親衛隊が出発してムグ・ネドの親衛隊に戦いを挑みに行った。マンスターの貴族たちと誇り高きデガズに率いられたムグ・ネドの親衛隊もまた対決するためにやって来た。これらの親衛隊は激戦を繰り広げた。そして確かなことは、コン王の親衛隊がムグ・ネドの親衛隊に戦いで勝利したということであり、誇り高きデガズは彼らにより殺害された。アサル・モールは王に戦果を誇るため、来た道を戻って行った。コン王は前哨戦でマンスター軍に勝利したことを喜び、勇士の子アサルは次の言葉を言った。

我らの勝利者たる行軍は悲劇の元、
誇り高き赤いデガズにとって。
三十輌の戦車の車列は、
見晴らしの良い斜面で我らに降された。
我らは傷つけ、傷つけられ、
いたる所で彼らを虐殺した。
コン王の親衛隊は勝利した、
トゥアランの平原の若者たちに。
我らは勇敢に戦った、
強く勇ましい若者たちと。
我らが勝利者たる行軍をした場所、
円形の平原で、このようにして。

 それからコン王は武装した大軍を連れてマンスター軍に対して進軍してエリーの北にあるシウィルの平野Magh Siuilに到着した。そこは今ではトゥアランの平原Mag Tualangと呼ばれている。そして彼らはマンスター軍に翌朝戦いを挑むため使者を送った。ムグ・ヌアザはこの言葉にコン王と戦わんと勇んで立ち上がった。彼自身は戦いに消極的だったものの、彼の父とマンスターの貴族たちは彼がコン王に挑戦するまではそれを許可しようとしなかったのだ。ドルイドのジャルグ・ダヴサは勇士たちが戦うことを思い留まらせ、凶兆を予言した。しかし彼らを説得するのはさながら死人に忠告するようなもので、とうとうコン王に対峙して彼らは怒り狂った血塗れの戦列を築くことになったのである。コン王はシウィルの平野に進撃して、とうとう互いを目掛けて激突した。勇士たちは力の限り勇ましく戦い、者どもは血塗れになり、戦士たちは四肢を欠損し、楯は砕け散った。その会戦で勇敢な兵士たちは斬られた。しかし確かなことは、モルナの息子のゴルとジャルグスネの子孫のムグ・ネドが戦いのさなかに出会い、男らしく恐ろしい戦いを繰り広げたことだ。そして戦いの結末に、その場でジャルグスネの子孫のムグ・ネドがモルナの息子から致命傷を受けて命を落とした。ムグ・ネドの死後、ムグ・ヌアザは兵をまとめた。それというのも、彼は父親の死に臆することなく気高き魂と強い心で奮起したのである。彼はマンスター軍の殿しんがりで楯を掲げた。これを見つけたコノート王、クルアハンのコナルはオーエンを目掛けて身を屈めて戦場を突進した。東マンスターの王、フィアフラの息子のフランは取って返して彼に対峙した。そしてコナルのほうに槍を横たえて構え、彼に重傷を与えた。コナルが死の淵に立たされたので、オーエンはそこから勇敢に前進した。しかしムグ・ラヴァの息子のコナルとルギズの息子のマクニアがコノート王コナルの敗北を助けに駆け付けた。彼らはエリーの南でオーエンに追いつき、窮地に陥れた。オーエン自身、戦いの中で傷を負っていた。しかし彼の部下たちが武勇を振るい立たせて彼を救い出したのだった。
 さてオーエンはまっしぐらに進んで、フェヴィンの平野の冷たい小川Glais Fionnfuaraに着いた。それからコン王に協議のための時間の猶予を求めるためにドルイドのジャルグ・ダヴサをシウィルの平野に戻らせた。そのドルイドはコン王の野営地に到着すると、ムグ・ネドの墓を建てる許しを乞うた。コン王の許しを得て、ムグ・ネドの遺体を清め、彼を襲った耐えられないほどの暴力に涙を流した。そしてコンの軍隊はその平野でマンスターの貴族に対して強大だったトゥアラン/Tualangと、ジャルグ・ダヴサは言ったので、トゥアランの平原、マグ・トゥアランと呼ばれるようになった。ドルイドのジャルグ・ダヴサは大きな芝土の墓をムグ・ネドのために建て、武器や衣服や鎧を副葬品として埋めた。そしてそのドルイドは歌った。

肩の隣に槍を横たえて、
能く振るう棍棒とともに、
兜と剣とともに、
ムグ・ネドはマグ・トゥアランの墓に眠る。
ゲール人の純潔の血統の長、
正当な先祖伝来の土地を守り、
オヒー・ムヴォにも等しき、
その者の死は安くない。
彼らは死闘の中にいた、
男らしい戦いで並び立ち、
フランの投擲は素晴らしく、
コナルをすっかり貫通した。
ムグ・ネドは戦いに赴いた、
オーエンの命を守るため。
長らく痛ましい愛情に涙するだろう。
王家の墓に眠る王者よ。

 それからその詩人ジャルグ・ダヴサはコン王にオーエンが協議するために三日三晩の猶予を求めた。コン王はその時間を与えた。
そのドルイドはマンスターの貴族たちを集めたオーエンと話をするために戻ってこれらの立派な人々をルアハー・デガズにある|牝馬の谷
《Glen Lara》に案内した。コン王は自らの軍隊を率いて追跡し、牝馬の谷に向けて出発した。そして彼らはムグ・ラヴァの息子のコナリの旧領マグ・レーナを探索し、ダーラの道マンスターの大街道からオリーン・エリーOilean Eileオリーン・ムリクOilean mBricへ、ガヴランGahhrannから骨の杜Cnamh Choillにかけてその大部分を略奪した。さらに骨の杜からルアハーLuacharにかけて、そしてエヴリン山Sliabh Eibhlinneからキーン山Sliabh Caoinにかけて、そしてキーン山から南の海にかけてマクニアの民の略奪品を集めて、捕虜や牛の群れを運び去った。クルアハンのコナルとモルナの一族は国中に激しい火煙を広げ、ルアハーからドルンDruingにかけて、レン湖Loch Leinから南の海にかけて西マンスターを覆った。そして彼らはコン王とその勇士たちがいるところへ獲物や戦利品を持って行ったのだった。コン王は案内人であるコナリとマクニアにオーエンの行方を尋ねた。彼らは狩猟の谷Comhar na Sealgaリーの国境Bord Laoidhe、すなわち赤い山頂のマンガルタ山Mangartaと、峻厳なる山Sliahh Cruadhaと、レン湖と、海に囲まれた場所にオーエンがいると言った。そこはオーエン軍よりも多い軍勢はどの道も通行できないのである。一方、ムグ・ヌアザはというと、コン王の軍勢が四方を取り囲んでいると聞いて、マンスターの貴族をあらゆるところからかき集め、黒い谷Dubh Glennを後にするように命じた。それというのも、コナリとマクニアがこの日にマンスターの人々を受け入れることは、寛大さや友愛や親切心ではないからだと彼は言った。そして彼はこの詩を歌った。

あなた方の誇り高い会合を召集せよ。
谷の斜面Leth Glennを後にせよ。
勇敢なコンの軍勢が押し寄せて来た、
我らを追いかけて牝馬の谷を目掛けて。
エヴェルの血族は手ごわく、
堅固に攻撃を受けよ、
彼らに出来るものなら、支障もなく、
召集せよ。

 さて、コン王は用心してオーエンと彼の間に横たわる危険な隘路に自ら踏み入らずに、マンガルタ山の頂上に真っすぐに押し寄せることに決めた。その場所からはリーの谷にいる大勢の家畜の群れと怖気づいてオーエンのもとから後方へ退いているマンスター軍の戦士たちが見えた。なぜなら、彼らはコン王と戦うには十分な兵力ではなかったので、オーエン自らがコナリとマクニアのもとに帰順するようにと忠告していたからである。彼らがコン王に服従した後に、皆、西に向かい、南へ向かい、カーン・ブイーCarn Buidheに行った。その後に皆がそれぞれの用事や任務のために四方に散って行った。そしてコン王は勇猛な従者たちとともにカーン・ブイーに逗留した。ムグ・ヌアザはコン王の手勢が少なく、地理的にも危ういことを知ると、部下に命じて蜂起させ、野営地の勇士たちを驚かせた。なぜなら彼らはコン王の大軍と戦えるだけの十分な兵力ではなかったからである。ジャルグスネの一族は即座に集結してコン王に向かって前進した。そしてカーン・ブイーの近くに到着すると彼らとコン軍の監視兵は互いに鬨の声をあげた。コン王は朝方に野営地の外縁の警戒部隊が争っているのを聞いて何事かと思い、モルナの一族とクルアハンのコナルと彼の勇士たちは飛び起きてオーエンとその寡兵に対する戦列に加わった。両者の間で激しい死闘が繰り広げられた。そして全軍がたった一人に立ち向かってくるのでオーエンは戦況の不利を悟った。彼の部下のほとんどは死んでしまっていた。彼は撤退を不名誉に思い、復讐に思いをたぎらせて自らコン王の軍勢に飛び込んで行き、コン王の姿を探し出そうと血道をあげた。オーエンはコン王によって死ぬべきだと確信していたのだが、彼の視線にわずかに留まっただけであった。彼はひたすらに軍勢を斬って捨て、錨から船が破裂するかの如く英雄は敵への突撃していった。オーエンがモルナの息子のゴルに出会うまで、戦いの中で討ち取った数は書物や歴史家たちによっておそらく記録されなかった。これらの戦士は勇敢に激しく戦った。彼らの赤い憎悪は塞がらない傷のようであり、彼らの敵意には草も生えなかった。顔の眼は凍てつく夜の星の如く煌々と燃えていた。彼らの吐息は熱風を吹き込む鍛冶師のふいごのようであった。二人は死に物狂いで傷つけあっていたが、オーエンは大いに不利だった。それというのも、コン王の全軍と、ムグ・ラヴァの息子のコナリとルギズの息子のマクニアに帰順したマンスター軍の多くが彼に対峙しており、さらに悪いことにモルナの息子のゴルが彼を攻撃したからである。その時のオーエンの勇敢な味方はわずかに数えるばかりであった。そして殺されていなかった者たちでも瀕死の重傷を負っており、彼は孤立無援となった。敵は皆、気勢を上げたので、彼は高貴なる血筋と厳然たる心、気高き魂、そして抜きん出た武勇と忍耐力に頼るほかにすべはなかった。その時に、クロフ・バリー¹⁰Cloch Barraigheでの戦いにおいてオーエンによって斃された多くの戦士たちが百人だったというのは凡そ信じがたいことであった。(補足:つまりもっと大勢の戦死者が出たのである。)
 さて、オーエンにはその地方に強大な魔力を持つ愛しい貴婦人がいた。彼女はグレガリー島Inis GregryエアディーンEadaoinといって、彼が苦境に立たされていることを知ると助けに来て、彼の意思に背いてクロフ・バリーという巨石を人の形にしておいてモルナの息子のゴルとフェズリミズ・レフトヴァルの子孫たちコン王の一族のことに打たせた。そして彼女はオーエンを守るために周囲の岩や滑らかな石を人に変えて、その石がゴルの武器をすり減らしたことから、ケンメアの浜辺のクロフ・バリーとそれ以来呼ばれるようになった。そしてエアディーンはコン王の追求を逃れてオーエンと生き延びた彼の部下を船に乗せた。しかしオーエンはエアディーンに反して数名の従者を連れて夜に舞い戻り、コン王の野営地を襲撃した。彼は赤い武器のオーランEolang of the Red Armsと彼の部下の350名を殺した。オーランはレンスター王の息子であり、オーランの丸い丘Corr Eolangは彼に因む。
 (コン王の)全軍はオーエンを追いかけて、軍勢が撤退する彼らに追い付く前に、バズヴにしてゴル・マク・モルナの配下の女英雄である、コル・ルアグネフの娘のソヴァが戦車に乗って追いついた。オーエンは待ち構えて槍の一投で彼女を殺した。彼女は川に落ちたので、そこからソヴァ川Sumha、現在ではスーウァ川Soughと呼ばれるようになっている。そしてオーエンはその魔女が手に持っていた馬の鞭を突いて、川の片側に落とした。(補足:鞭はトネリコだったので)そこで育って、トネリコの浅瀬Ath Fuinnsionと呼ばれるようになった。軍勢は西の方でオーエンに追いついた。そこで彼は再び急襲して、コノートの王の息子であるクィリン・ケンソラスCuirrin Ceannsholaisと彼の部下の百五十名を殺した。それに因んでそこはクィリンの谷Com Cuirinnと呼ばれるようになった。オーエンはさらにトレアス・コルで攻撃を仕掛け、彼らの多くを殺した。以来、その有様からそこは戦いの木Treas Corrと名付けられた。そしてソヴァの川のトネリコの浅瀬Ath Fuinnsionから二つの湖の間の浅瀬Ath idir dha loch魔女ソヴァの二頭の馬と戦車がやって来させられた。そこで魔女の戦車の軛が砕けた。このような状況から、二つの湖の間の荒ぶる川Garhh Abhainn idir dha Loch古い軛の浅瀬のある河口Beal atha sean chuingeと呼ばれるようになった。コン王の軍勢とモルナの一族は巨石クロフ・バリー、そしてその浜辺の近くにある石を打ち続けてついに武器を壊してしまった。石を打っていて壊れなかったのは身に着けているものくらいだった。そしてコン王は彼らに言った。
「攻撃を止めよ、者ども。お前たちが対峙しているのは上が頑丈な石だ。オーエンは逃げおおせたわ」
それからコン王の軍勢は攻撃を止めて沖合の船団にオーエンとその部下たちがいるのを見つけた。その夜にコンは軍勢とともにカーン・ブイーに戻った。そして彼はマンスターの二州をコナリとマクニアに分け与え、彼自身はタラに戻っていった。
オーエンがスペインにいた九年間にアイルランドは戦禍に見舞われることはなかった。
マンスターの者たちは西はコルヴァの浅瀬Ath Colbhaから東は古き湖の半島Traigh sean lochaまで、北は船団の砦Dun na mBarcから南は豊かな半島Beinn Remharまでオーエンを警戒して見張るように命じた。そして彼らは祝宴をカーン・ブイーで開かせるように命じたのだった。

次回のリンク



固有名詞

ダーリネの一族¹/Clann Dairine
ダーリネの一族。マンスターのみならずアルスターにも勢力を広げる大勢力。古代のアルスター地方にダリニー(Darini)という部族がいたことがローマ帝国の地図資料に記録されており、おそらくダーリネは数世紀以上にわたって広大な範囲に根を張っていた。
名前の由来はダーリという人物であり、このダーリは伝説的な王であるクー・ロイの父親のダーリか、ダーリ・ドヴセハなどとされており、複数の候補が存在する。

ジャルグスネの一族²/Clann Deirgthine
ジャルグスネの一族。後世の王族集団エオガナハトの伝説的な祖先である。
おそらく元は、大陸で活動していたのではないかと推測されている。彼らは伝説上ではダーリネと抗争を繰り広げていた。
(余談だが後期ローマ帝国のブリタンニアを襲撃したアタコッティ族はおそらくアイルランド系であり、その後は大陸でローマ帝国に雇われるようになっていたという説もあるため、このようなアイルランド系傭兵たちがローマ帝国の衰退に乗じて帰郷したとも考えられる。しかしそうは言っても推測の域を出ない。なおギリシャ北部のテッサロニキにアタコッティ族兵士の墓が発見されている。)

ブレガーンの息子イーサの子孫のルギズの一族³/Clann Luighdheach mac Itha mac Breogain
ブレオガーンの息子イーサの子孫であるルギズの一族コルク・ロイグデ。ブレオガーンはスペインの王であり、彼の息子にはイーサ、孫にミールがいた。ミールはスペインからアイルランドに侵攻・移住したミレー族の祖である。ミールの兄弟のイーサはトゥアハー・デ・ダナーンと戦って死亡したが、イーサの子孫たちはミールの子孫とともにアイルランドに移住した。
ルギズの子孫はコルク・ロイグデという王族として有史以前に勢力を誇っていたようであるが、エオガナハトの勃興に反して衰退していった。
物語ではダーリネとコルク・ロイグデは別個の集団のように描かれているが、実態としてコルク・ロイグデはダーリネ内部の集団である。

クヌハの戦い⁴/Cath Cnucha

フィン・マックールの父であるクウァルが死ぬことになる戦争で、レンスター地方のダブリン近郊で行われたとされる。マンスター軍はこの戦いでクウァルを支援していた。

ムグ・ヌアザ⁵/Mogh Nuadhad
ムグ・ネドの息子でありジャルグスネの王子。ムグ・ヌアザがマンスター内で権力を握ったことがマグ・レーナの戦いの発端であり、マグ・レーナの敗戦でムグ・ネドが戦死した後に後継者として王となった。またの名をオーエンといい、孫と同じ名前であるため混同されやすい。

ダーリネの息子のヌアザ・ジャルグ⁶/Nuada Derg mac Darine
マンスターの土地所有者(Urradh)。物語「マグ・レーナの戦い」ではマンスターの人間だが、

デザの一族⁷/Clann Deadhaidh
クー・ロイ・マクダーリの祖父であるデザ・マクセンを名祖とする血族集団である。

「全ての人は見返りなく従属する、世界の終りまで、オーエンに」⁸
deoladhの解釈は”好意、寄付”であるからgan deoladhで”見返りなくとも”とした。

テヴァ⁹/Tebhtha

アイルランド中央部にあるトゥアスによる連邦。南北に別れ、どちらもウィ・ニールに属していた。代表的なスペルはTethbaであり、古アイルランド語ではthを発音したようだが、英語化されたスペルではTeffiaであり、そちらに合わせる形にした。

クロフ・バリー¹⁰/Cloch Barraighe
アイルランド南西部ケンメアの浜辺にある巨石。他の伝承によれば、フィン・マックールの軍勢の武器の砥石だったと信じられていた。


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