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生きることに絶望していた一年前。noteを始めたあの一歩が、新たな人生の一歩へとつながっている。

noteを始めて1年が経とうとしている。noteを始める前と今とでは、自分自身に対する捉え方が全く違うことに最近ふと気づいた。更新頻度はぼちぼちだけれど、今でもnoteは安心して自分を表現できる大切な場所だ。

去年の今頃は、まさかネット上に自分の絵や文章を公開する日が来るなんて思ってもいなかった。メンタルブレイクして休職中だった私は、社会に馴染めず家に引きこもっている自分に絶望していた。
歳を重ねるごとに社会に馴染む術を身につけて、それらしくなんとかやってこれたけれど。学生の頃から感じていた生きづらさはずっと残っていて、仕事をしながらもふとした時に「あ、消えたいな。あのビルから落ちてしまおうか」なんて思っては、打ち消すように目の前の仕事に専念していた。

適応障害と診断されたのは2022年の5月。それから半年間、会社を休んだ。30歳の誕生日は、休職中に迎えた。高校生の頃に思い描いていた30歳の自分とは、全く違う姿だった。
普通にすら生きられない自分を責めた。大半の人たちができていることが、自分にはできない。毎日仕事をして、自分の力で生活をする。楽しいこともしんどいことも、周囲や自分と折り合いをつけながら健やかに生きていく。
そんな「普通」とされていることが私にはとてつもなくハードルが高くて、みんながスーパーマン、スーパーウーマンに見えた。
30歳になってもまとまに働くこともできず、寝て起きるだけの毎日。家から一歩出るのも怖くて、近所の病院やスーパーに行くだけで次の日は寝込んだりもしていた。

こんな情けない自分でも誰かの役に立ちたくて、始めたのがnoteだった。自分と外の世界とをつなげてくれる、唯一の場所だった。
最初は投稿ボタンをクリックするのに指先が震えたし、怖かった。誰にも見られなかったらどうしよう、とか誰かに何か怖いこと言われたらどうしよう、とか。そんなことが頭をぐるぐるした。
でも、いざ投稿してみるとスキやコメントをくださる人たちがいて。同じように、しんどい思いをしながらも今を頑張って生きて、どうにか歩こうとしている人たちとたくさん出会って。優しい世界だった。生きていく勇気をもらって、何度も救われてきた。noteを書くことで、生を繋ぎ止めていたのだと思う。
次第に、散歩に出たり電車に乗れたりするようになって。でもやっぱり順調にはいかなくて、回復してきたと思ったらまた後退。「やっぱり良くならないのかな、一生このままなのかも…」ってずっと暗くて冷たくてジメジメしたトンネルを歩いている気分だった。何度も何度も、打ちのめされた。
noteでおすすめに出てくる人たちの中には、リワークプログラムを受けたり、復職を果たして前へ進んでいる人もいて。記事を見ては落ち込んで。人と自分とを比べて、いまだ家に引きこもっている自分を嘆いたり、過去を恨んだりもした。
でも、自分は自分。人はそれぞれに歩くペースは違うし、持っている荷物の重さも違う。疲れるタイミングも、回復するのに必要な時間も。全部違う。
だから、比べても意味なんてなくて自分のペースを大事にすればいいのだ。

ありのままの自分をとにかく受け入れる。寝たい時は寝て、食べたい時は食べて。すぐに体調を崩す自分も、外に出るのが怖い自分も、隙あらばYouTubeを見てソファでゴロゴロしてしまう自分も、夜中に暴飲暴食しちゃう自分も。全部、丸ごと、とことん受け入れる。「これでいいのだ〜」って。まるで赤ちゃんのように、自分の本能が赴くままに過ごす。一切否定せず、焦らず。

そうしたら少しずつ、本当の意味で自分のことを大切にできるようになった。今年の3月なんて、母と飛行機に乗って沖縄へ行くこともできたのだ。たかが旅行だけれど、当時の私にとっては大きな一歩だった。散歩すらできなかったのに、飛行機に乗って遠出できたのだ。
こういう小さな一歩をnoteに投稿して、記録して。情けない自分もさらけ出せたことで、自分をまるごと好きになることができるようになってきたのだと思う。

そんな私は今、海外へ行く準備をしている。
少しずつ自分らしさを取り戻した私は、「日本という社会に合わなかったのなら、世界に出て自分に合う社会を探してみてもいいかも」と考えるようになった。
思えば、海外暮らしや英語への憧れは、子供の頃からあった。いつしか「自分には無理だ」と諦めて、蓋をしてしまっていたけれど。あれ?もしかしたらできるんじゃない?と、謎の自信が湧いてきたのだ。きっと、自分を好きになれたことで、自分を信じることができるようになったのだと思う。
と同時に、今やらないと後悔する。そう思った。

とはいえ、英語は大の苦手だ。試験とかテスト勉強とか大嫌いで、学生時代は一夜漬けで挑んでいた。
わかりやすくTOEICで表すと420点(990点満点。しかも7年前)。無謀とも言える挑戦である。最近は中学英語からやり直して、少しずつ英会話にも挑戦している。
適応障害やら子宮内膜症やら、そもそも病気を抱えている上に、隙あらば家に引きこもっていたくなるような性質の自分が、海外でたくましく生きていけるとは到底思えないのだけれど、もう後先は考えないことにしたのだ。これからの人生は、自分が感じる「楽しそう!やってみたい!」を大切にしていきたい。挑戦しなかったことを後悔したくない。ただそれだけである。

今のところ2カ国での滞在を予定している。
まずは、オーストラリア。来月半ばから、「バイロンベイ」という町に2週間滞在する。その町にあるヨガセンターに合宿し、ヨガの勉強をするのだ。
50年以上の伝統あるヨガセンターで、世界各地からヨガを学びに人々が集まるらしい。広大な敷地内には野菜畑があって、自給自足のベジタリアン生活。トイレもコンポスト式トイレ(おがくずを使用)だったり、シャンプーや洗剤類も自家製。地球に優しい暮らしを実現している場所らしい。
私は恥ずかしながら環境問題などには疎く、正直ちょっとめんどくさいと思ってきた人間だ。ベジタリアンな食事も「えっ、野菜だけとか無理無理」と思ってしまうくらいには野菜が苦手である(でも大人なので食べるようにはしている)。対して、卵や魚、肉は大好きなので、それらを食べられない生活なんてありえない!と思っている。
そんな環境で、朝から晩までヨガ三昧の2週間。「ありえない!」なんて思いつつ、新しいことへの挑戦にワクワクしている自分もいる。自分が知らない世界をのぞいてみたい、という好奇心か。今までと違う環境に身を置いた時の、自分の変化にも興味がある。
2週間の滞在後、帰国後も勉強や訓練を続け、条件を満たすと「全米ヨガアライアンスRYT200ティーチャー」という資格がもらえる。らしい。
正直、今のところヨガ講師をやろうとか資格を活かして何かしようとか、そういったことは考えられていない。ただ、興味があるだけなのだ。

そして、2カ国目はカナダを予定している。来年春頃から約一年間、カナダのバンクーバーにワーキングホリデービザで滞在予定だ。なぜカナダか?と聞かれると「行ってみたいから」という理由しかない。自然が綺麗だったり多文化だったり移民に優しかったりなどなど、色々と魅力はあるのだけれど。ちなみに、オーストラリアもカナダも一度も行ったことはない。

これまたワーホリのことも後先のことは何も考えていない。現地でどんな仕事をするのかとか、ワーホリビザが終わった後はどうするのか、とか。一切考えていない。帰国時は33歳も目前。きっと無職だろう。でも、それでもまぁいいか、と思っている。

先日、久しぶりに友人と会った。会社の元同僚である彼女とは、ときどき連絡を取り合っている。長期的に交友関係を保つことが苦手な私にとって、数少ない友人の貴重な一人なのである。
彼女は最近、会社を辞めて雑貨屋を始めたという。数ヶ月会っていない間に、いろいろな変化があったようだ。好きなことや大切なものに真っ直ぐで、柔らかな笑顔の彼女の周りは、きらきらと穏やかな光に包まれていた。
互いに、新しい一歩を踏み出して。わくわくと不安とを抱え「本当にこれでいいのかな?」と悩んで、立ち止まって振り返りながら確かめながら少しずつ進んで。お互いの新たな人生を楽しもうね、と話した。

一歩を踏み出すのって、すごく怖い。ひょい、と軽やかに飛び越えていける人もいるだろうけど。私はおずおずと、つま先でちょいちょいと地面を確かめて「大丈夫そうだな」とわかってやっと一歩を踏み出せるような人間だ。一ミリとか一ミクロンとかしか進めない。ちょっと進んではすぐに疲れて、座り込んでしまう。不安なことがあるとすぐに眠れなくなるし、すぐYouTubeとかゲームに逃げる。そんな弱い人間だ。

今だって不安なことはたくさんある。でも、まだ始まってもいないことを不安がったって仕方がないよな、と開き直るようにしている。こういう道を辿れば将来必ずこうなる、なんて確証はない。誰にもわからない。失敗するかもしれない。だけど、なにも挑戦せず新しい世界も自分も知ることなく、このまま時間が過ぎていくことの方が、私は怖い。

一ミリでも一ミクロンでもいいから、進んでみる。その小さな一歩を踏み出せれば、もう大丈夫。途方もない道のりに見えても、ちゃんと進んでいけているから。休みながらで大丈夫。焦らなくて大丈夫。少しずつで。

暗闇の中、あの時勇気を出して踏み出した一歩は、また次の一歩につながって。休みながらも、後退りしながらも進んで。気づいたら、視界が開けて明るい場所に出ていた。暗くて冷たくてじめじめしたトンネルから、風がさわさわと吹き抜ける草原に出た。そんな感じ。
後ろを振り向くと自分の後ろには道ができていて、結構な距離を歩いてきたのだと気づく。自分にもできたじゃん、って気づく。自信につながる。そしてまた、前を向いて歩いていくのだ。少しずつ、少しずつ。

photo by あっこ
木漏れ日



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