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もうすぐ退職の30歳会社員が自己紹介をします。

はじめまして。読んでくださりありがとうございます!休職中の30歳会社員、あっこと申します。2日後に退職し、人生2回目の無職を迎えます。

noteに初投稿して3週間が経ちました。スキやコメント、ありがとうございます!あたたかい場所だなぁ、とのびのびと表現できる場に感謝しています。
…自己紹介って難しいですよね。昔から苦手で、名前のあとに「納豆が好きです!」とか言っていました。笑
これまでの人生でいろいろありすぎて、なかなかシンプルにまとめられず、書いては消し、書いては消しを繰り返していたら、自己紹介しないまま気づけば3週間経っていました。

やっぱりシンプルにはまとめられませんでしたが(笑)、改めて自己紹介を!よろしくお願いします。

今何しているの?

2022年5月に適応障害と診断され、休職中の会社員です。2日後に休職期間満了で退職し、無職となります。現在は回復傾向にありますが、しばらくは療養しながらのんびり暮らしていきます。
今は、休職中のできごとなどをnoteでイラストエッセイを書いています。

今まで何をしてきたの?

文系の四大を卒業後に、デザインの専門学校へ進学しアートやデザインの勉強をしていました。
卒業後は、出版社で編集者をやったり、大阪のNPO法人で就業支援に携わっていました…が、持病が悪化して手術することになり、半年で退社→1年間の無職期間→27歳で再就職したのが退職する今の会社(革製品ブランド)です。

現在の会社では企業広報を約2年→仕事がハードで体調を崩し異動希望→事業企画を担当する部署でデータ作成・在庫売上管理などをやっていました。
元々、スプレッドシートでデータをいじるのが好きだったこともあり、異動後は体調も安定して穏やかに過ごしていたのですが、出張先でセクハラ被害に遭い一気に悪化。「適応障害」と診断され、今に至ります。

自分を語る上で欠かせない、2つのこと

これまでの人生を振り返ると、私の人生に大きな影響をもたらした2つの事柄があります。
①生理痛/子宮内膜症、②PTSDの発症です。ここからは少し重い話になるので、温かい飲み物でも飲みながらさらっと読んでくださると嬉しいです。

①生理痛/子宮内膜症


「生理痛」に振り回されてきた人生でした。10代からとにかく生理痛が重く、痛みのあまりに女であることが憎くなるほどでした。初潮は中2に入る頃で、高校生になる頃からどんどん悪化していって、1日5回ロキソニンを飲んでも効かなくなっていました。
学校を休むことも多々あり、あまりにも激痛で失神し救急車で運ばれたこともあります。大学の受験勉強も、生理痛で冷や汗を垂らしながら「ここで勉強をやめたら負ける!」と戦っていました。今思うと、ここで我慢し過ぎたのがよくなかったのかもしれません。

当時通っていた産婦人科では診断名がつかず、漢方と痛み止めを処方されただけ。症状は一向に良くならず、いつしか「自分が悪いんだ」と自分を責めるようになっていきました。1ヶ月に一度訪れる、苦痛の日々に恐怖を感じながら生活するようになりました。

大学1年生の冬、アルバイト先でお腹に猛烈な痛みが走り倒れました。救急搬送されいろいろと検査をした結果、卵巣にチョコレート嚢胞(のうほう)という腫瘍が見つかり、「子宮内膜症」と診断されました。(子宮内膜症については、またどこかで記事にしようと思います)
生理痛が重かったのは、自分のせいではなかった。病気のせいだったのだとわかり安心したのを覚えています。それから、通院と投薬治療をしながら過ごしだいぶ安定していましたが、26歳の時に状態が悪化。大阪で働いていた時のことです。子宮内膜症の影響で腸が癒着してしまい、座ることができなくなって手術をしました。半年で退職し、あっという間に帰省。人生で初めて無職になりました。

女性の体をもっているがゆえに、こんな痛みや苦しみを味わうなんて理不尽だな、と思うこともあります。仕事にも日常生活にも影響が出る。なんで私だけ?なんて思ったりすることもありました。
まだまだ「子宮内膜症」を知らない人も、「たかが生理痛」と感じる人もいるのが現状。そんな世の中に対して、私ができることはないか?と模索中です。

②PTSDの発症

大学1年生の秋、アルバイト帰りの夜道で性暴力の被害に遭ったことがきっかけで、PTSDを発症しました。事件直後は、普通に日常生活を送れていたのですが、だんだんと症状が出るようになりました。冬頃にはうつ状態がひどくなり、メンタルクリニックへ通うようになりました。
子宮内膜症が発覚したのはこの矢先で、一度に2つの病気の治療をしていくことになりました。
それまでは、学生時代を謳歌していました。大学の授業もサークル活動も楽しくて。友人とオールしたり、恋をしたり、バイトしたり。充実していました。
でも、PTSDと子宮内膜症というダブルパンチは当時の私にはあまりにも辛かった。だんだん壊れていきました。おしゃれなカフェの代わりにメンタルクリニックと産婦人科に通い、おしゃれな飲み物ではなく何種類もの薬を飲む日々。キラキラした学生生活から一転し、闘病生活となりました。
人の目が怖い、みんな敵に見えて外に出られなくなりました。薬で10kg太り、入っていた服も入らなくなり、顔もパンパン。治療のために飲んだ薬でどんどん自分が嫌いになっていきました。
将来に希望なんて持てるわけもなく、死への衝動を抑えるのにとても苦労しました。でも、私は生きることを選んで、紆余曲折ありながらも10年生き延びてきました。
…なんて言いつつ、出張先でセクハラ被害に遭ったらやっぱり生きていなきゃよかった、なんて思うくらい落ち込んだんですけどね。それでも今、こうして生きてnoteを書けている自分を褒めたいと思います。

あれから10年、いろいろありました。がむしゃらに生きてきました。まぁ、でもやっぱり社会に適応するのは難しくて、人生2度目の無職になりますが。
それでも、楽しく愉快に生きていきたいなと思っています。どんな辛いことも苦しいことも、ネタにして笑って吹き飛ばしてやりたい!と思っています。

noteをはじめた理由

ちょっと重い話になってしまいましたね。
私がnoteを始めたのは、この二つの大きな経験+今回の休職経験がきっかけでした。
痛みや苦しみと密接なつながりを持ってきた自分だからこそ、なにか発信できることがあるのではないかと思ったのです。
人生いろんなことがありますよね。「もう人生終わったわ」って絶望することもあります。真っ暗なトンネルが延々と続くように感じられて、生きることをやめた方が楽なんじゃないかって思う時もあります。
でも、大丈夫です。人生、意外となんとかなります。

私が辛かった時、たくさんの言葉に救われてきました。いろんな方たちが発信してくれていたからこそ、その経験に触れて、小さな希望の光が見えて。少しずつ、また立ち上がって歩けるようになりました。
だから、今度は私が発信していきたいと思っています。大好きな絵を描くことと文章を書くことを通して、誰かが「ほっ」とできたら。生きる希望を見つける手助けができたら。それが、私がnoteを続ける理由です。

トップ画は?

投稿している記事のトップ画は、私が描いたイラストや撮った写真を使用しています。絵はiPadで描いたり、アナログで描いたり。写真はスマホや一眼レフ(Nikon)を使っています。
絵を描くこと、写真を撮ることが好きなので、これからも自分で作ったものをトップ画にするスタイルで続けていけたらと思います。

更新は、2日に1回くらいのペースを目標に続けていきます!
これからは、エッセイに加えて病気についてのことも発信していこうと思っているので、お役に立てたら嬉しいです。よろしくお願いします!

最後まで読んでくださりありがとうございました✨


イラストbyあっこ
自分がモチーフです。
本当はもうちょっと眉毛太いんですが、ちょっと美化しました。笑


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