マガジンのカバー画像

唯識に学ぶ

12
唯識について学んだことをまとめています。
運営しているクリエイター

#心

第六意識の能変性(唯識に学ぶ009)

第六意識の能変性(唯識に学ぶ009)

目に映る空は、地球の反対側の空に繋がっている。一滴の水の中にも宇宙のすべてが内包されている。目に映るのは、ただの空、一滴の水だけど、その奥行きを観るのが第六意識の働きなのですね。

ピンチに直面した時にピンチから逃げるのか、それとも、腹を据えて取り組み起死回生のチャンスとするか。それを判断するのも第六意識の働き。

「苦しい時は苦しみ抜け」という良寛和尚の言葉の通り、主体的に飛び込んでいくという姿

もっとみる
<心>の複雑さ−能変性(唯識に学ぶ008)

<心>の複雑さ−能変性(唯識に学ぶ008)

僕たちは神社やお寺などで祈ります。この祈りが僕たちの普段の行いに知らず知らずのうちに影響を与えています。

祈りとは自分の意を宣ること。私は社会にこのように貢献していくという宣言。志や願いと言い換えることもできます。

「一発菩提心百千万八発するなり」という道元禅師の言葉があるように「発心(志を立てる、願を立てる)」の重要性を説かれています。

この発心(祈り)が、社会に役立つ利己的な自分へと変化

もっとみる
五官は人間の正直な窓(唯識に学ぶ007)

五官は人間の正直な窓(唯識に学ぶ007)

感覚は嘘をつかないなどと考えたことがなかったです。感覚は、風邪をひいたりすると味覚が変わったり、冷えた身体では水でも温かく感じられたりと、自分の身体の状態によっては受け取り方が変わります。このような面をみると感覚はあてならないこともあるけれど、嘘をつかないってどういうことなんだろう気になります。

たしかに、肌が合わない、気が合わないというのはありますね。物事の受け取り方次第で感覚が変わるというこ

もっとみる
人間にとって感覚は知性以下ではない(唯識に学ぶ006)

人間にとって感覚は知性以下ではない(唯識に学ぶ006)

感覚は人の「情」を育てるのではないかと思います。理屈ばかりが先行して、頭でっかちでは、相手の立場に立つことなどできないですよね。渋沢栄一も常識とは、「智慧、情愛と意思」の3つバランスを保ち均等に成長したものと述べています。強い意志と、聡明な智慧を、愛情で調整する。「感覚」がなければ「情」が調整できません。先代旧事本紀大成経の憲法十七条の第一条にも「楽は情を和らぐ」と書かれています。「情」を中心に持

もっとみる
<心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)

<心>の深さー八識(唯識に学ぶ005)

「心」は「識」という字でも表わすことができ、八つの識にわけられます。(九識もあるがここでは触れない)

八つの識とは、眼識(一識)、耳識(二識)、鼻識(三識)、舌識(四識)、身識(五識)、意識(六識)、末那識(七識)、阿頼耶識(八識)です。

六識の意識は、一から五の識によって認識されたものを統括判断したり、独自に追憶や想像をする働きなどを含めて、いわゆる知・情・意の総てをいう。(中略)ふつう<心

もっとみる
いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

いまの心は過去と未来の総体(唯識に学ぶ004)

過去、現在、未来が「今」に集約されます。記憶から消えていても、思ったことや過去の行いの全てが残っていて、今の自分をつくります。そして、今思っていることやこれからの行いが未来の自分をつくります。

自分の都合の悪いことや自分の過去をなかったことにしようとしても、なかったことになりません。心にはちゃんと刻まれます。今の自分は過去と未来の自分でつくっています。今の自分を過大評価することなく、過小評価する

もっとみる
心は身と別ではない(唯識に学ぶ003)

心は身と別ではない(唯識に学ぶ003)

<心>というものが、私の身体のどこかに、別にあるように考えられるかもしれないが、そんなものはない。<心>と<身>とは一体不可分である。 <身>をはなれて<心>はないし、<心>と別に<身>が呼吸をしているのではない。私は生きている。生きているということは、<心>と<身>との渾然とした一体の人格として、いま、ここに、生きているのである。最も具体的な私の生は、<心>と<身>との統一体として、いずれを<心

もっとみる
仏教は心さわやかに生きる宗教(唯識に学ぶ002)

仏教は心さわやかに生きる宗教(唯識に学ぶ002)

仏教は、心さわやかに生きる宗教である。という表現が素敵な表現ですね。

捉われない生き方といいかえることもできるでしょうか。今、やるべきことを淡々と果たしていく。

想像すると、カッコイイなぁと思いますが、実践となるとなかなかうまくいかないものです。捉われを無くそうと思えば思うほど、さらに捉われてしまいます。

捉われるのは仕方がないこと。だから、捉われないようにするのではなく、捉われても後にひか

もっとみる
心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)

心とは何かを考える(唯識に学ぶ001)

心って、何だろう。
誰にでもあるけど、目には見えないもの。

これが心だ!というものはなく、
ころころと変わって、捉えどころがない。

自分自身の心だって、よくわからないもの。

心っていったい何なのでしょう。
よく知っているようで知らない心のこと。

その心を解き明かす鍵として、
唯識という仏教の教えがあります。

《〈梵〉vijñapti-mātratāの訳》仏語。一切の対象は心の本体である識

もっとみる