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「平和よみがえる南京の写真特集」

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当初、朝日新聞が報道した写真は、日本軍の虐殺などはなかったと証明しています、それが何時から、大虐殺になったのか? この疑問に答えるマガジンです。
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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑩(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑩(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

南京は微笑む=城内点描

写真特集その三
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 題して「南京は微笑む〈城内点描〉」とある。

 十二月二十五日の新聞掲 載ゆえ、撮影は二十三日であろう。やはり、占領 十日目ごろの写真である。

寫眞説明
① 玩具の戰車で子供達と遊ぶ兵隊さん (南京中山路にて)
② 戰火収まれば壊れた馬車も子供達の楽しい遊 び場だ(南京住宅街にて) ③ 皇軍衛生班の活躍に結ばれて行く日支親善

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑨(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑨(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

きのうの敵に温情

写真特集その二

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 十二月二十二日の新聞掲載ゆえ、二十日ごろの河村特派員の撮 影である    (占領八日目)。

 タイトルは「きのふの敵に温情《南京城内 の親善風景〉」である。

寫眞説明 ①治療を受けてゐる支那負傷兵

 第十三師団参謀長中津三夫大佐の東京裁判で の陳述によると、「南京は十一月下旬より遠 く東南前線の戦死傷者の収容所とな

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑧(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑧(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

平和よみがえる南京

写真特集その一
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 まず、第一回の写真特集から見てゆこう。
 タイトルは「平和甦る南京軍を《皇軍を迎へて歓喜沸く》」である。「十七日河 村特派員撮影」とあるから、南京占領五日目の写 真である。

 寫眞説明 ①兵隊さんの買ひ物
 占領五日目に早 くも露天商が出て、兵隊が銃も持たないで買物を している。この日は松井軍司令官を先頭に入城式 があった日である。

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑦(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑦(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

五回にわたる写真特集

 朝日新聞が急角度に中国寄りの醜態を演じはじ め、「親中反日」「親ソ反米」の新聞に偏向したの は、昭和四十年代以降のことであるが、それまで の朝日新聞は、戦前・戦中から終戦直後にかけて、 日本を代表するクオリティー・ペーパーとしての 品位を持つ新聞として、発行部数も首位にあった。

 その朝日は、占領直後の南京の情景をどのように 描写し、どのように報道してきたか。そこには

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑥(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑥(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

日本人の創作・脚色による”南京大屠殺紀念館”

 これまで見てきたように、朝日新聞は、昭和四 十六年以降は気でも狂ったのではないかと思われ るほど、南京に大虐殺が「あった! あった!」 と煽りたてた。教科書に「南京大虐殺」が載るよ うになったのも、昭和五十年からである。その頃 になると、朝日に次いで毎日やNHKなど日本のマスコミや、時代におもねる学者、文化人、教育者がこれに追随し、今日みる反日・

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑤(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑤(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

暴かれた本田ルポの正体

 しかし、中国側の言い分だけを煽情的に誇大に 記録しただけの「中国の旅」も、化けの皮がはが される時がきた。

例えば本多ルポは、
「撫順炭鉱には約三十の万人抗ができたとい うから、ひとつ一万人としても三十万人になる。 四十年間も日本に占領されていた炭鉱であれ ば、この数字は決して“白髪三千丈”の次元のものでないことが、大石橋の例からも理解でき よう」
と述べ、撫順

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。④(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。④(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

『中国の旅』の影響とその背景

 日本国民の多くは、日本は戦争に負けたことでもあり、東條元首相以下七名が戦争の責任を「問われて処刑され、その中に松井大将もいわゆる南京大虐殺」の責任でくわえられた、やむを得ないことかもしれない―――程度の認識であった。

 それから約二十余年、人びとの南京事件に関す る記憶もほとんど薄らぎ、忘れられつつあった時、 突如として衝撃的なレポートが朝日新聞に連載さ れた。

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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。②(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。②(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。

 大虐殺は作り話『聞き書・南京事件』

 俗に「人の口には戸はたてられぬ」と言い、「悪事千里を走る」とも言う。
 私は南京戦の翌年の昭和十三年八月、従軍記者として武漢攻略戦に従軍するために、南京に約一か月ほど滞在し、南京の治安状況についてつぶさに視察したことがある。さらに、昭和十七年応召、一つ星の初年兵として上海の中支那野戦兵器廠で訓練を受け、南京、漢口の支廠で勤務し、最後は兵技伍長として無錫の弾

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