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【詩小説】水の奥

ひとりの男性俳優が亡くなったとネットニュースが訃報を告げた。
死因は脳出血(脳卒中の一種)。突然死だった。
その俳優はまだ還暦前で僕の思春期にいわゆるゴールデンの時間帯で主役を演じていた。
先輩俳優からは「まだ若すぎる」「順番が逆だ」とやりきれない声が続々と寄せられた。
僕はその俳優の名前を検索してSNSのアカウントを見つけた。数日前に笑顔で仕事への意気込みを綴った更新が最後になったことを知った。
本人にしか思い当たらない誰にも言っていないちょっとした体の不調があったのかはわからない。
それでもやっぱりこれは突然の死なのだ。
本人もまさかであったはずだ。
命の終わりの無情さに居ても立ってもいられなくなった。
僕は無造作に段ボールに詰め込んでいた自分でも把握できていないこれまでの原稿用紙の書き物を漁った。
律儀に何年何月と手書きで記されたものもあれば誰にみせるわけでもないつもりで吐き出すように書き殴った紙の切れ端もそこにはあった。
書いた記憶もないものもあったが読み進めていくうちに当時の置かれていた環境や出来事なんかが次第に勢いを増す湧き水のように思い出されていく。
これが僕の生きてきた証のひとつ。
そのひとつひとつがこんな重量になって残っていた。すっかり忘れていたたいせつな書き物たちを整理しなくてはいけないと思った。
なかったことにしてはいけない。
僕が書くこととどう付き合ってきたのか。
色褪せた原稿用紙を漁っているとひとまとまりになった「旅の手記」が出てきた。
数行読んですぐに当時の光景が浮かんだ。
僕は脈略もなく始まったその手記を読み進めた。



「無題(日付無し・おそらく2002年夏の終わり頃)」

空はまるで秋のよう。雲は予想を裏切ってさっきまでは気持ちのいい晴れ空だったのが外に出た瞬間また雨となっていた。
傘をさしながら荷物を背負っている自分を「裸の大将」の山下清と重ねた。本当は傘なんてさしながら旅には出たくなかった。

僕はバスに乗り込み駅へ向かい、バスに乗る少し前から考えていた長野行きを決心した。本当は軽井沢、白馬へ行きたかったがボードには松本行きの高速バスしかなかったのでそれに乗ることにした。別にどこでもいいわけだからそんなに拘ることはない。片道4千円。普段4千円と聞けば大金である。だが旅のはじまりの高揚感は日常をかき消した。

空は相変わらずどんよりとしていた。きっと出発は雨で良かったのだ。向こうで晴れてくれた方が嬉しい。どんどん良い方向へ向かっていくということは旅をしていく上で大事なことだと思う。
雨が降っている。バスは南東へ走り出した。雲がどんどん入れかわる。雑な雲の配置はその時だけしか見られない映画のワンシーンで二度と同じカットを見ることはできない。そういえば毎日雲は見ていたはずだし、でも気に留めることは少ないもので、こういった発見や気づきをした自分が少し得をした気がして嬉しくなった。

金沢発松本行きのバスの中には5人程の乗客がいた。かなり少ない方だろう。だとしたら僕は運がいい。大勢で賑やかよりも旅のスタートは厳かに静かにいきたいものだから。
所要時間は4時間50分。意外と長い。次第に耳が詰まってくる。山の方まできているのが実感できた。途中で飛騨のある温泉地の中にある休憩所に停まった。気温は10度と少しで予想より寒かった。寒いのだが心地よい清涼感に気づき右を見てみると桶にいっぱいのトマトが目に入った。冷え切った井戸水だろうか。とめどなくホースから出る水が桶を循環する中にこれでもかというほど沢山の真っ赤に熟したトマトがひとつひとつ水流で回転していた。その軽快さがより一層そのトマトの美味しさを際立たせているように見えた。どうしても食べたくなった。桶の前でトマトをビニール袋に入れている女性がいた。きっと休憩所の店員さんだろうと思っていた。僕はあまりにも美味しそうなトマトが食べたくなってその女性に声をかけようと近寄った。が、立ち上がったその女性の着ていたトレーナーにはどこかの学校名がプリントされていた。結局このトマトたちはどこかの高校か大学の部活の合宿生たちのものだとわかった。声をかけなくてよかったと安堵しつつもトマトに後ろ髪を引かれる想いで休憩の制限時間が迫ったバスに乗り込んだ。
この旅で一つ目の心残りを初日に味わった。
きっとあのトマトは今まで食べたことのないくらい美味しかったに違いない。

険しい山道にバスは入っていく。左手には見上げてもてっぺんが確認できない崖が。右手にはかなり流れの激しい川が見えた。空の色は息をしているように表情を変え飲み込まれそうな勢いのダークブルーが辺り一面をいつの間にか包みこみバスの中の照明と不気味な色で調和した。
視点を定め景色を見直す度に色が違っていた。
僕は何を見ているのだろう。さっきから目に映るものはもしかしたら果てしなく人の手の届かないものなのではないかと。知らないだけできっと僕は景色を見てるのではなく景色に見られているのかもしれない。

バスは走る。知らないうちに僕は寝ていたようだ。
少しTシャツの首元が汗で湿っていた。目を覚ますとすっかり僕の世界は街の中に溶け込んでいた。さっきまでの浮世離れした自然の景色は夢だったんじゃないかと心が少し波立ってざわついていた。バスが降り場に停まった。少ない乗客全員が影のように無言で降車していった。何だか妙に寂しくなった。僕が今晩の宿を決めていないことを知っていた運転手のおじさんが親切に松本駅周辺のホテルが掲載されているパンフレットを手渡してくれた。僕はまだ少ない荷物を手に松本の夜の街へ紛れ込んでいった。
松本の夜は僕の想像していた長野とは大分違っていて行き交う車の騒々しい音と建ち並ぶホテルや飲食店などのネオンや灯りの輝きと人々の声に支配されていた。急に現実に連れ戻された気がしてなんだか冷めてしまった。丁度横では車が盗まれたと夜の街に馴染んだやんちゃくさい二人の青年が警察官ともめていた。松本の夜は不本意のまま過ぎていった。

二日目の朝はとても早かった。早朝六時に起き支度をして六時半過ぎにはホテルを出た。
小学生の頃一度だけ塩尻へ行ったことを思い出した。次の目的地を塩尻に決めて駅で290円の切符を買い電車に乗った。別に塩尻に何があるわけでもなかったが僕の抱く長野像を慰めてくれて記憶の修正をするには少しでも馴染のある地名なら問題ないと考えたからだった。
充分すぎた。結局何もなさすぎるくらいの田舎だった。が、立ち寄ったことに意味があった。仕切り直しだった。運行表を眺め次の目的地を選ぶ。急行電車も停車する上諏訪に惹かれた。響きがいい。きっとここなら何かある。そう思ったのだ。上諏訪に向かう道中、ふと僕は思い耽った。計画の必要性。当てもない旅とはいえその場その場の目先の計画は大切なことだがそんな些細な計画でもその通りにはいかないものなのだと。慎重な僕にとってこの無計画という計画の旅は大きく考え方を変えるものになると。
あえて各駅を選び進んでは停まるを何度も繰り返す車内の窓からまだ日の出から間もない太陽の光が静かに差し込む。次第にその光は浴びるほどに大きくなった。光と向かい合い輝きがこぼれる電車の窓や手すりの汚れやくもりや傷を照らし出す。眩しくて半開きだった目は必死にその光景を受け止めようとした。細目で望めば琵琶湖にも思える程視界に収まりきらない大きな湖が威厳を放ち存在していた。周りの乗客の目もあって声を押し殺したが僕のテンションは一気に爆発して心の中では拍手喝采なのであった。電車を降りる足取りは軽やかに僕の心は湖の輝きに劣らない位煌めいていた。重い荷物を放り投げて湖へ走っていきたい解放感であった。まだ朝のはじめのほのかな草木の匂いだったり幻想的な白っぽい空気を体で感じながら湖畔を歩いた。ジョギングを楽しむ人もいた。僕は湖畔を30分かけて一周する遊覧船「白鳥号」に乗った。湖の名前は諏訪湖。水上スポーツでも賑わう有名な湖。僕の目の前に広がる諏訪湖はかつて夢の中で漂ったことのある優しい世界に思えた。僕は朝靄がまだ残るメルヘンチックな世界に迷い込んだ。耳に囁くのは白鳥号が進む時かき消される水の切れ端の音。下を覗きこめば意外と速度があるのがわかる。水を感じていた。昔から水、特に海を見て思っていたことがあった。それは海の奥深くの世界を想像した時に生じる壮大感と恐怖感。それは無限に近いものだった。水中で呼吸が可能だとして自分はどこまで潜っていけるだろう。そんなことを漠然でありながら突き詰めて思ったりもする。きっと僕はその果てしない水中の世界の存在に耐え切れずに陸地を求めて引き返すだろう。この時地球という世界を意識してその一部に過ぎない海や湖の世界の存在に畏怖の念を抱き呆然とさせられる。





旅の手記はここで終わっていた。
なぜ途中で書くのをやめてしまったのかわかるようでわからない。
でも僕は覚えている。この旅のつづきを。
白鳥号を降りてまた当てもなく歩き続け少し小高い丘の上にある美術館へ立ち寄った後ステンドグラス越しに陽の光を浴びられる日帰り温泉に入り神奈川へ進学していった同級生に会いにいき一泊させてもらった翌日東京へ向かった。そこから一週間ほど東京を転々と渡り歩いた。
池尻のとある橋から眺めた提灯の装飾。
ふらりと立ち寄った定食屋の親子丼がとても濃い味付けだったこと。
予約してたどり着いたビジネスホテルがあまりにも身の危険を感じるほどの第六感がはたらきキャンセルし東京の大学へ進学していった友人とカラオケで朝5時まで粘り野宿を回避したこと。
その後山手線で仮眠したこと。
きれいめな公共ビルのトイレで顔を洗い着替えたこと。
上野の国立西洋美術館でロダンの考える人を見て考えたこと。
恵比寿ガーデンプレイスの映画館でメキシコのロードムービーを観たこと。
どのタイミングで東京から帰ろうと思ったのだろう。
資金が底をついたからだろうか。僕はあのまま東京にいたかったのかもしれない。あの時は多少の無理もなんとかそれなりにきいていた。人混みで酔うこともそこまで気にしなかった。いつから視野が狭くなったのだろう。頑なになってしまったんだろう。まだ僕は柔軟だった。今より馬鹿をやっていた。述べで数えればたった数週間分かもしれない人並みの青春は確かにこの手記の時期だった。


死ぬのを恐れて生きることが出来ない

都はるみ「愛は花、君はその種子」より引用


ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」のエンディングに流れる都はるみさんが歌う「愛は花、君はその種子」の歌詞。
こどものころから「死」についてよく考える方だった。
きっと僕は死ぬことを必要以上におそれている。
有名人の訃報を知る度に「死」が僕を苛む。
今回の俳優さんの突然の「死」がまたあの頃の僕を連れてくる。
そして僕はあの頃の僕と旅に出ている。
僕らは等しく旅人なのだ。
言い換えれば死出の旅を休まずつづけている。
いつかは死ぬ。みんな死ぬ。僕も死ぬ。
それはやっぱりこわい。
何がこわい?
このまま終わるのがこわい。
形あるもののなにひとつとしてあの世へ持っていけないのだから欲しいものは形あるものではない。金も生きていけるだけの最低限でいい。持ってはいけないけど残していきたい。残すことがこれほどまでに難しいなんてと困り果てる。

僕は水の奥のずっと奥へ向かう。
突然の「死」が僕に教えてくれる。
水の奥は空の青かもしれない。






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