だって僕の人生は、僕しか生きられないのだから。
最近読んだ一つの本。
幡野広志さんの
ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。
おっ!これは本の宣伝か!
と思った人。
残念ながら宣伝ではない。
この本の良いところとかはここでは書かないし、
本の要約などもしない。
ただこの本の感想をnoteで述べる。
この本を読んですぐの生温かい感想を、今のうちに書き留めておきたいが故に、今心の中にある言葉を思いっきり吐き出していこうと思う。
人生を選ぶとはどういうことなのか、今の自分は自分の人生を選んでいるのだろうか、いやむしろ選ばれているのではないだろうか。
いろんなことを考えながら、自分の死についても考えるようになった。
これは決して自分の人生に悲観的になったとかではなく、自分の人生を肯定的に生きられるために、どのように死んだら幸せか、から生きることを逆算しようと思ったからだ。
僕はもともと幡野さんの文章が好きで、ウェブでの連載はとてもよく見ていた。でも本は見ていなかったので、初めて幡野さんの本を買って読んでみた。
文章が素敵というか上手いというか、
すごく素直。
その文章にあらわれる正直さに惹かれて、
1日で一気読みしてしまった。
話を戻すと、僕たちの人生には選べなかったことと、選べたこと、そしてこれから選び直せることが存在する。
選べなかった代表例でいうと、生まれの親などであり、出身地や家庭の経済事情などが挙げられると思う。
僕はと言うと、家族や環境に恵まれている方で、
今でも心から感謝している。
でもだからこそ、
両親の期待を裏切りたくないという心の中での生きづらさを抱えたまま生きている。
贅沢な話だと思うかもしれないが、両親は子供に期待をかけるし、子供はその期待を裏切りたくないと思っている。
たとえそれが今の自分のしたい選択じゃなかったとしても。
これは親だけではない。
過去の自分も大いに関係してくることだ。
僕の高校生からの夢は、先生になることだった。
僕は映画を見て、周りの大人たち見て、こんな大人になりたい、そう思った存在が僕にとっては先生だった。
だから僕は来年から小学校の先生になる。
これは過去の僕からすると、夢を叶えたことになり、念願の事実である。
しかし、
夢を叶えだからといって、もうその職業から選び直してはいけないという事ではない。
人生は何度でも選び直して良いものであり、むしろその都度、自分で選んでいくものなのだ。
何かを選ぶという事は、
その他の選択肢を選ばないという事。
何かを選び続けるという事は、自分の人生の大切な時間を、その選択に費やし続けるということ。
僕たちは常に何かを選択して、決断していることを忘れてはいけない。
そして改めてこの本に帰ってくるのだが、幡野さんの「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を通して、自分の選びたいこと、そして自分の選びたいことの目的を考えることができた。
これはひとえに、幡野さんのおかげである。
おそらく、
僕はこれから多くの選択をしていくだろう。
その選択に対して、周りからいろいろな意見をいただくことがあるかもしれない。
その中には、自分の選択肢に対して批判的な意見もあることだろう。
そんなときにはこの本を思い出す。
自分の人生の筆頭株主は誰だろう。自分の人生は誰のために生きているのだろう。人生の目的は何なのだろうか。
誰がなんと言おうと、
僕は僕のために生きていきたい。
幡野さんのnote
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