冬がちょっぴり優しくなった。
朝起きると、とてつもなく寒い外気に窓が揺れている。
あとちょっと、あともうちょっと寝れると手を伸ばした先にアイフォンがあり、アラームを停止して、また10分後に同じ戦いを繰り広げる。
布団の中から出たくなくて、心の中で、足を踏み出すか出さないかの熱いディベートが繰り広げられている。足を踏み出すことに反対派の言い分は、”寒い””出たくない””今の布団の楽園を壊したくない”など自己中心的な発言が多い。
それでも反対派にえこひいきしたくなる。
しかし、足を踏み出すことに賛成派の一派は、授業が始まるぞ、と急かしてくる。そんなことは分かっているが、布団の神様が今、僕のベットに降臨していることを賛成派の皆さんは忘れていないだろうか。
そんなことを繰り返しながら、今日もなんとか賛成派が勝ち、授業を寝癖で受ける。オンライン授業の醍醐味、寝癖授業。なんとか寝癖であるか分からないくらいに整えて、パソコンの前に立つ。パソコンに映っている帽子族を見ると、”こいつも寝癖だな”と仲間意識が芽生える。
それから昼ごはんを軽く作って、改めてパソコンに向かう。課題を終わらそうと開くのだが、パソコンにチラつくYouTubeキャプテンを筆頭としたSNSの誘惑たち。
今日は課題を終わらせなきゃいけないんだと、意志を強く持ち、課題に向かって一心不乱に取り組んでいく。
課題が終わると、外に買い物をしにいく。
あわよくば、カフェにでもいきたいものだが、冬は僕たちに決断を迫ってくる。
「君はこの極寒の中30分という時間を歩けますか?」
ぐぬぬ。今日も買い物だけして、大人しく家に帰ろう。
そして家に帰り、暖房をつけ、いつもの時間に戻っていく...
朝起きて、授業を受け、課題をし、就活や勉強をして、室内で自分がやりたいことをしながら、今日が終わる。
そんな何気ない日々が、この一年続いている。
なんだか他人のようなウイルスがきて、僕たちの生活は一変したというのに、いつも通り、冬は寒い。
歩くことが大好きな僕も、最近の冬の寒さに打ちひしがれるようだ。
前までは好きだった春夏秋冬が、いつもまにか夏と冬の存在が大きくなり、めちゃめちゃ暑いか、めちゃめちゃ寒いと感じる日々が多くなっている気がする。
そして、なんとて、今日も寒い。
僕は最近まで、こんな冬が嫌だった...
春と秋は季節を感じ、温かさを感じる。
歩くと同時に、景色を楽しみ、人と自然を見て、たまに音楽を聴きながら、今日も日本は平和だなと”のほほん”と感じることが、大好きな時間だった。
過去の記憶と現在を比べてみると、今をどうしてこんなにも寒いと感じるのだろう。実家にいたあの頃は感じていた記憶を、どうして今は感じることができないのだろう。
少し悲しい気持ちになりながら、家で考え事をしていると、母からあるプレゼントが届いた。
その中には、母特製のからあげと、ヒートテック特集、そして母からの一言が仕送りに入っていた。
「唐揚げ食べて、暖かくして歩きにいってください。」
その一言を見て、、僕は思った。。
最近、就活やらなんやらで心がどんどん急ぐようになり、日常を急かすように生きていた。目の前に映る景色は殺風景で、毎日、自分を成長させるために費やした時間がどんどん自分に迫ってきて、冬に潜む日常の温かさを感じられずにいた。
親の元を離れ、地元の友達とも離れて、一人の生活から始まった大学生活。
過去は誰とでも仲良くなれることが取り柄だった性格も、本をかじり、勉強をかじり、少しばかり賢くなった気でいて、本当はとてつもなく寒い人間になっていた。
そっか。温かさは日常に潜んでいるんだ。
未来に想いを馳せ、今を犠牲にしていたのは僕だ。
自分の成長に囚われ、日常を愛そうともしなかったのは僕だ。
幸せは自分の身の回りにあったのに、気付こうとしなかったのは僕だ。
様々な自分の中での誤解が一気に拭た瞬間だった。
自分の感じ方、捉え方、見方次第で、冬はちょっぴり優しくなる。
そう気づいたあの日から、
僕は冬を歩くのが好きになった。
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