私は、何のために「学ぶ」のか?
✅今日はこんな人におすすめ
・学ぶことが大好き。
・いまいち学ぶ意味がわからない。
・子供に聞かれたら答えられない。
こんばんは!
大学生のAKeeeeN.です。
今日は、何のために「学ぶ」のか?
について述べていきたいと思います。
おいおいと、
「学ぶ」のは、自分のためしかないだろうが!
と思っている人もいると思います。
もちろん
究極には
自分のためです。
決して学ぶことが自分のためではない!
とは断言しません。
むしろ、
自分のためになることだと思います。
でも、
もし子供にどうして「学ぶ」の?
と聞かれた時、
あなたならどう答えるでしょうか?
最近ですと、
学ばない人はこの社会で生き残るのは難しい、
という言葉をよく聞きます。
なので、
「学び」というのはもはや誰もが
行っている行為と言っても過言ではありません。
しかし、個人的になのですが、
「自分のために学ぶ」
というのは少し弱い気がします。
なぜそう思うのかはうまく言えませんが、
自分のために行っている“努力”というより
何かのためにやっている“努力”の方が
頑張れる気がします。(あくまで個人的な意見です)
しかし、何のために学ぶのか?
と聞かれるとうまく答えられない。
そんなモヤモヤしていた気持ちから
シャワーが救ってくれました。
シャワーを浴びていると
ふと言葉が降りてきたのです。
今日はそのことを話していきたいと思います。
長い前置きでしたが、
ここからが超大事なので、
ここだけ持って帰ってください。
①吉田松陰先生の自伝から学んだこと
シャワーの話をする前に
私が尊敬する“吉田松陰先生”の話を
させていただきます。
私は以前、
吉田松陰先生を中心に書かれた歴史の本を
読みました。
その本は漫画テイストで歴史が理解できる
優れものなのですが、
その本の中に「学ぶ理由について」
吉田松陰先生が述べている箇所があります。
吉田松陰の弟子(高杉晋作)とのシーン
(高杉晋作):先生はどうして学問をするのですか?
✅(吉田松陰):私は学問を学べない人のために学ぶのだと思います。幸いにして私たちはこうして学ぶことができます。学問を学べない人のために学び、学んだ学問を彼らのために役立てるのです。
つまり、松蔭先生曰く、
学問は学べない人のために学び、
その学びをその人たちに役立てろ!
と言ってくれています。
もちろん全員がこうやって
学ばなくてもいいと思いますが、
私のような先生になろうとしている者は
とても見習わなくてはいけない精神だと思います。
学びは、いつの時代も受け継がれるものなのです。
②シャワーで言語化したこと
このことを踏まえた上で、
シャワーで何のために「学ぶ」のか?
について一人で考えていました。
そこで出した答えは、
「託すため」
私たちが学んでいる「学び」のほとんどは、
“過去の努力の積み重ね”でできています。
社会という場所に蓄積された
過去の努力の成果は、
誰かが人生を賭けて編み出したものです。
その学びたちを私たちは現在学ぶことが
出来ています。
そのことに凄い“意味”があると思うのです。
私が現在学んでいることは
過去の誰かが託したものに他なりません。
ならば
歴史という大きな流れの中からすると
ちっぽけな一部分でしかない私は、
自分が“学んだこと”を
次の世代に託していくことが義務であり、
使命だと思うのです。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、
シャワーで考えたことなので、
少し盛大にいかせてください。笑
なので、
これからも私は“託す”ことを
先生として人として
大事にしていきたいと思います。
今日は長い文章になってしまいましたが、
読んで頂きありがとうございました😊
こちらもよろしくお願いします🤲🏻
ではまた❗️
もし、記事を読んでみて笑ったり、感動していただいたり、心が動いたりしてくれたのならそれ以上の喜びはありません。心からの“感謝”をあなたに、ありがとう。