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ストレスフリーな生活を送るために行動心理士が『八正道』を語る📕Part7『正精進(しょうしょうじん)』

【正精進】とは日々の生活の中で、八正道を実践することだ。精進とは、努力すること、つまり、正しい努力をさす。

「努力」という言葉は人気があって、時々色紙などに書いて張ってあったりする。でもほとんどが、ただの「浮いた言葉」になっていないだろうか。少し思い返してみて欲しい。

いくら美しい言葉でも、実行(実践・行動)できない言葉は無駄話だ。

お釈迦さまは「千の偈(詩句)を唱えていても、実践せず心が清らかにならなければ意味がない」と言う。「一行の偈でも、それを実践するのであれば、それこそ真の言葉だといえます」と。

しかも世間では「精進、努力」と聞いたとたんに、皆、自分の欲や怒りで解釈することに気付くだろう。 だからたとえ実践しても間違う。

「努力しましょう」というと、「競争に勝ちましょう、もっと儲かるようにがんばりましょう」という意味になるのだ。会社員なら尚更理解できるであろう。世間の「努力」とは、ほとんどそれだけで終わってしまう。

では

正しい努力、「正精進」とは、いったいどのような意味か。お釈迦さまは、

❶したことがない悪いことはこれからもしないように
❷今自分にある悪いところはなくすように
❸今までにやったことがない善いことをするように
❹今自分にある善いところは増やすように


という四つを努力することが正精進だという。

なんでもかんでもがんばればいいのではなく、道徳的に立派な人間になるために努力することが正精進なのだ。

では、

「悟りという目標に向かってがんばろう」と努力することはどうだろうか。

実はそれも、たいがいは間違ってしまう。そもそも私たちに「悟りという目標」など持てるはずがない。経験したことがないのに「悟り」などわかるはずがないからだ。

「悟り」というものを勝手に想像して「こういうふうになりたい」と考えても、あまり意味のないことで、かえって自分の悩みが出てきてしまう、欲だ。

たとえば自分の身体が汚れているのを見て、「新しい部屋のようにきれいになりたい」と思っても、馬鹿らしいだろう。 自分は人間だからだ。「私は金のようにきれいになるぞ、ダイヤモンドのようにきれいになるぞ」と思ってもなれる訳がない。

そのように、外に目標を設定して「ああなりたい、こうなりたい」というのは正しい道ではないので。それよりも、自分のよくないところなところを見つけて、それをなくすようにしていけばいいのです。たいていは蓋をしていないか?自分のマイナスポイントには。

自分のよくないところなら、具体的につかめるだろう。

自分を見て「ここがこういうふうに汚れている」とわかった時点で、そこをきれいにしていく。そうしていくと、自分なりの完全な美しさが生まれてくる。外に目標を置いても意味がないのだ。

だからはっきりとコンパクトに、前述の四つのことを努力すること。四つのことをがんばる人が不幸になると思うだろうか? それはあり得ない。それどころか、その方向に努力していけば、完璧な人間になれるのではないだろうか。

最初は一番目立つ悪いところに気づいて、そこをなくすようにがんばる。それからだんだんと、小さな悪いクセなどもなくすようにがんばってみる。やはりそれには努力が必要だ。

善いことの場合も同じこと。たとえ小さな善いことでも、少々がんばらないと実行できないものだ。ゴミを拾い続けることができるかどうかをイメージして欲しい。小さな善行為からはじめていけばいい。そうやって、少しずつ、自分ができる善行為を増やしていけばいいだ。

悪いことをやめて善いことをすることこそ、幸福への道。

人格をドンドン磨いて誰からも信頼されるすばらしい人間になる道。

何かを信仰する暗い道ではない。日々、人格を完成の方へ進む道。

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