ツクダテタクミ

大学生

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最近の記事

【断片】_2024年3月6日

20時ごろ インターホンが鳴った。 僕は自室でぼうっと過ごしていて、こんな時間に荷物?と疑問に思いながらモニターのもとへ向かう。でも、最近はとくに何も買っていない。しかし忘れっぽい僕にとってこういったことは日常茶飯事で、今回は一体何を買ったのだろうかと考えながらモニターを覗く。そこには若い大学生くらいの女性が立っていた。明らかに配達員ではない。宗教勧誘か?と考えるが、それにしてはさすがに若すぎる気がしたし(宗教勧誘というと勝手におばさんを想像する)、なんなら友達か?と疑って

    • 【断片】_2024年3月5日

      18時ごろ。 京急車内。僕は品川に向かう特急電車に揺られていた。横浜で人がたくさん降りて角の席が空いたので僕は角の席に移った。偶然なのか帰宅時間にも関わらず電車に乗っている人は少なく、席もまばらにしか埋まっていなくて僕の隣の席も空席だった。何駅か進んだところで、「すみません」と言いながら僕の脱いだ上着をよけてくれと頼みながら、僕の隣に男の人が座ってきた。歳は20代くらいだろうか。そのとき僕はKindleで「スキップとローファー」を読んでいた。「あ、はい」と僕は自分の上着をよ

      • それぞれの。

        トラックがブレーキを踏む。少し軋んだ音が響き、トラックが停車する。 僕の家は幹線道路から近く、さざなみのように車が走り抜ける音が聞こえてくる。幹線道路と僕の家は線路を挟んでいるものの、距離としてはそこそこ近い。そのはずだが、どこか遠く感じる。線路を挟んでこちら側は静かな住宅街で、線路によって世界が分断されているようにも感じられる。ここから幹線道路を眺めると、窓から外の世界を眺めているような感覚にとらわれる。僕の視界の向こう側でトラックが信号待ちしているのが見える。トラックの

        • 僕のいる世界線と君のいる世界線

          僕は、美容室やサロンでは会話をしないタイプだった。 今後関係は続かないと分かりきっている人間相手だと、逆になんでも話せてしまうなんてことはよくある。その日居酒屋で知り合った人と深い恋愛話や将来の話ができてまう。だけど、僕は美容師などの施術スタッフに対しては会話をする気力がどうしても削がれてしまうたちだった。 (通うとなれば)なんとなく今後も関係は続くけれど頻繁に会うような仲でもないし、プレイベートで会うなんてこともないような関係性だからだ。あくまで僕の場合はという話だけ

        【断片】_2024年3月6日

          怒りは一番尊いものさ

          「お前らマジうぜえ!こんなのやってられねえわ!」 友人はそう言って、手にしていたトランプをその場に叩きつけた。 確かに僕らにも問題はあった。でも、そんなことで?と思ってしまうような状況ではあった。当時はそう思っていた。 2021年、コロナ禍の合間をぬって、友人数人でエアビーを借り、レンタカーで小旅行へと繰り出していた。その日、僕らは広々とした宿に歓声をあげ、コテージでBBQをした後、居間でトランプに勤しんでいた。 深夜になり、酒も回り始めたころ、友人の一人が最近知った

          怒りは一番尊いものさ

          まっすぐなものを。

          2019年4月。 僕は大学生になった。 大学生になり、ものを作ることが増えた。いや、増えたというよりかは「大学生になってから、ものを作るようになった」というほうが正しいか。大学生になった僕はこれまでまったく縁のなかった「ものづくり」にどっぷりとハマっていた。映像制作、写真撮影、デザイン制作、時には本を作ったり、イベントを開催したり。 どれもまっすぐな気持ちで向き合ってきたつもりだ。 いつもそばには尊敬する先輩がいて、僕を指導してくれていた。ずっとその人の背中を追いかけながら

          まっすぐなものを。

          ゆるく点と点が繋がるとき

          僕は奥山由之という人間が好きだ。 奥山由之さんは写真家、映像監督である。名前で検索をかければ誰しもが見たこと、聞いたことのある作品を見つけることができる。僕がそんな彼を好きになったのはコロナ禍に入ってすぐのころだったように思う。 緊急事態宣言発令の文字通り緊急事態の最中、僕は自室にある無駄に大きなソファに寝っ転がり、無駄に高い天井を見つめていた。僕は「今のこの緊急事態の風景を写真で切り取って後から見たら楽しそうだなあ」なんて見通しのつかない未来をのんきに想像していた。そし

          ゆるく点と点が繋がるとき

          友だちを想う日々

          今年で25歳になる。 ライフコースがいよいよ定まってくる年頃で友人にもたくさんの変化が訪れているような気がする。 札幌のキャバでトップに立つ友人、俳優になった友人、プロ野球選手になるためにBリーグで毎日野球をやっている友人、仕事の傍で野球をやる友人、結婚して子供が産まれた友人、大学を卒業した友人、命を絶った友人。 それぞれがそれぞれの想いを胸に今を生きたり、生きるのをやめたりしている。 みんなあの頃、僕と人生の一部を共に過ごしてくれた。小学生の頃一緒に公園を走り回った。

          友だちを想う日々

          僕はこれからどう生きていくか。

          「君たちはどう生きるか」を観た。 観た。たぶん、僕は観ただけだ。 僕はただの傍観者だ。 僕はジブリファンでもなんでもないただのミーハーだ。僕が最後に劇場で観たジブリ映画は2013年公開の「風立ちぬ」だ(宮崎駿作品にこだわっているわけではない)。今作は僕にとって実に10年ぶりのジブリ映画となった。この10年の間にジブリ作品は4作品あったが、どれも観ていないところから僕のジブリ作品に対する関心の低さが窺える。「風立ちぬ」を劇場で観た当時、中学生だった僕はいたく感動したのを覚

          僕はこれからどう生きていくか。

          友達が死ぬのなんてラッパーくらいだと思っていた。

          友達が死んだ。 亡くなったと言うにはあまりにも突然すぎて、死んだという表現がしっくりくる。 友人からラインで知らされ、驚いた。焼香は二日後。少し予定を削れば地元の北海道まで行けないこともなかった。 正直、迷った。僕なんかが行くべきなのか迷った。彼は高校時代の友人だったが、特別親しかったわけではなかった。高校卒業から今日までの6年間一度も顔を合わせることもなかった。もちろん、僕は彼の死を聞いて悲しかった。でも、僕よりも親しい人は他にたくさんいるし、中途半端な関係の僕に悲し

          友達が死ぬのなんてラッパーくらいだと思っていた。

          SNSのお引っ越し

          ある日、Instagramを開いたとき、にわかに寂しさを感じた。いや、じわじわと近寄ってきていた寂しさに遂に捕まってしまったといった感じだ。そして、Instagramもこれまでなのかもしれない。僕はそう思ってしまった。 僕がInstagramを「楽しむためのSNS」のレギュラーとしておいたのはいつ頃だっただろうか。それは僕が浪人生をしていた2018年ごろだったように思う。Instagramがサービスを開始したのはそれよりももっと前の話だし、僕の周りで流行し始めたのも2016

          SNSのお引っ越し

          熱と感情の行方

          「マスク大丈夫ですか?」 3年ぶりに対面開催された、大学の文化祭。3年ぶりとあって、お祭りムードとなっている大学のキャンパスの入り口で僕は係の学生に捕まっていた。キャンパスに足を踏み入れて早々、係の生徒が僕に駆け寄り「マスク大丈夫ですか」と僕との距離に見合わないほど大きな声で言った。僕はマスクをつけていなかった。僕はコンビニで買ったパック豆乳を飲んでいたのだ。僕が立ち止まると、係の彼は畳み掛けるようにもう一度胸をはり、大きな声で「マスク大丈夫ですか」と僕へ声をかけた。 僕

          熱と感情の行方

          「SeekSeek」撮影を終えて

          朝日が差し込み、水面がキラキラと光っている。12月の海は想像を遥かに超えて冷たく、足を浸しただけでも悲鳴をあげてしまう。そんな僕の目の前では一人の人間がびしょ濡れになりながら、全身を動かし、水飛沫をあげていた。 北海道出身とはいえ、関東でも冬は寒いと感じる。12月下旬、早朝。僕は神奈川県横浜市にある「海の公園」という横浜で唯一海水浴場を持つ公園でMVの撮影を行っていた。 撮影の話があがったのは11月の終わり。桜川ゆいはさんから「今、曲を作っていてMVを作るのを手伝ってほし

          「SeekSeek」撮影を終えて

          ソワソワ

          なぜだろう。大きめの予定が入ると三日前くらいからソワソワが止まらなくて、それ以外のことが考えられなくなってしまう。そして、やらなくちゃいけないことに全く手がつかなくなってしまう。そういった時に僕ができることと言えば、文章を書くか、本を読むことくらいである。そんなわけでこんな文章を書いている。 昔からそうだった。旅行など大きな行事が決まるとそのことで頭がいっぱいになり、そのことしか考えられなくなる。思い出すと中高生のころもそうで、修学旅行直前の野球の練習はまったく集中できなか

          SNSのいいところ見つけちゃった

          最近、個人的にSNSについていろいろと考えていた。 僕たちがそもそもなぜ、SNSをやるのか。なぜ、SNSなのか。 なぜ、SNSに疲れてしまうのか。多元的自己?承認欲求?、、 SNS疲れに着目すると、SNSの悪いところばかりが見えてしまう。 僕自身も、知らなくてもいい「周りの人の日常」を消費することに疲れてしまい、最近インスタグラムのアプリを削除した。 そんな中で、ふとSNSのいいところに気がついた。それは、「くだらなさ」だったり「しょうもなさ」だ。SNSに流れている情報な

          SNSのいいところ見つけちゃった

          本との出会いは運命のよう

          最近、友人に「最近読んだ本を教えて」と聞いてまわり、紹介された本はその場で即購入している。また、授業で紹介された本はなんとなく興味があればその場で即購入している。 そのため、毎日のように家のポストにamazonから本が届けられる。 届いたらすぐ読む本もあれば、しばらくして何かを考える時に「そういえば、あんな本買ったなあ」と思い出して、読み始めたりもする。 「本読んでるんだえらいね」と言われたりすることがあるが、別に偉くもなんともない。本を読むことがただ楽しいのだ。 本を読むこ

          本との出会いは運命のよう