【前編】金髪サラリーマンになった。

この春ついに社会人になった。僕は金髪だった。

初めて金髪にしたのは2017年。高校を卒業した後だった。
当時、僕はこれといった将来への目標もなく、なんとなく受験期間を過ごし、なんとなく目標にしていた大学に落ち、なんとなく浪人することを決めて、高校を卒業した。そんな、「なんなく人間」の僕だったが、なぜか強く

心に決めていたことがあった。

「大学に入っても、僕は黒髪を貫くんだ!」と。

大学に入学するほとんどの人間が大学デビューとして髪を染める。そんなありきたりな大学生などなってたまるものか!と当時は鼻息を荒くしていた。根底にあったのは、とにかく「逆張りがしたい」という10代後半にありがちなちっぽけな欲望だけだったのだが。

しかし、大学に落ち、予備校通いが始まった僕にとって黒髪を貫くことは「逆張り」なんかにはならなかった。当時通っていた予備校の生徒のほとんどが黒髪だったのだ。

そこで僕は「逆張り」をするために初めて髪を金髪(正確には最初はピンク)にした。

それから2024年現在まで多くの時間を金髪で過ごした(しれっと二浪して、しれっと1年休学した)。もちろん途中で飽きて他の髪型にした時期もあったが時間にすれば金髪でいる時間が最も長かったように思う。

最初は「逆張り」で始めた金髪だったが、時間が経つにつれて黒髪の方がむしろ違和感を感じるようになり、「金髪にしたいから金髪にする」というスタンスに気持ちが切り替わっていった。

2022年の(大学4年を迎える予定だった)春、大学を休学してCM制作会社でアルバイトをすることになった。それにあたってプロデューサーから「黒髪にしろ」と言われたので、久しぶりに黒髪にした。そして、そのCM制作会社で12月まで働いた。

年が明け、2023年1月。僕は食中毒、インフル、コロナを連続して患い、2月中旬ごろまで病床に伏すことになった。もちろん髪など染める暇もない。当時は髭すら剃る気持ちになれなかった。

2月中旬になり、やっと体調も整ってきたが、今度は隔離期間によって暇を持て余すことになった。特にやることもなかった僕はなんとなく就活を始めた。すると、驚くべきことに就活というものはすでに始まっており、IT系の会社は軒並みすでに採用を終えているらしい。あわてて僕は広告会社について調べ始め、「就活」を始めた。

そんなこともあって、髪を染めに行く暇もなかったうえに当時の髪(極限まで暗くした茶髪)がそれなりに気に入っていたので、髪型はそのままにすることにした。

就活は振り返ると大して真面目にやっていなかったように思う。

(つい筆が乗り、かなりの長尺で就活話を書いてしまった。金髪に関してはまた【後編】で語るので今回は就活話に付き合って欲しい!)

業界は広告会社に絞っていたが、電通はなんだか尖っていて怖いと思ってやめた。博報堂、ADKはWebテストで落ちた。朝日広告社と読売ISは一次面接は受かったが二次面接の日程申し込みを忘れた。古巣のCM制作会社からは「ぜひ来て欲しい」(制作会社は常に人が足りていない)と言われていたのでESを出して、通ったが、これも面接の申し込みを忘れた。大体の会社はそういった場合、電話で泣き寝入りを入れればなんとかなるらしいが面倒くさくてやめた。セプテーニは就活サイトが煩雑でダルくなりやめた。オリコムはなんとなく合わないなと思いやめた。東急エージェンシーは間違えて、「デザイナー志望」でマイページを作ってしまっていて詰んだ。

就活のシステムがわからなすぎて、友達にエージェントなるものを紹介してもらい、そこで紹介されたベンチャー企業の内定だけはその時持っていた。内定をもらった後も、綺麗な人事のお姉さんにタダ飲みに連れて行ってもらったり、是非とも欲しい!とチヤホヤされたりして嬉しかった。ここでもいいやぁなどと馬鹿な頭で考えていた。後で知ったことだが、このベンチャー企業は僕が今の会社(以後Qと呼ぶ)に入社した直後、ステマ規制で炎上したようだ。

そんな中、大広だけは真面目に就活を進めていた。当時、大広が第一志望で、炎上ベンチャーが第二志望だった。この時、僕はQのことについては何も知らず、「まあ、採用サイトはそれなりにいいし、ここも一応受けておくか〜」くらいのスタンスでQを残していた(Qは採用スケジュールがとても遅かった)。

大広は何度もOB訪問して、何度も課題を添削してもらったこともあってか、課題審査とその後の一次面接はすんなりと合格した(一次面接で面接官にピアスを注意されたけど)。二次はグループディスカッションのある回だった。もちろん僕はグルディスなるものについての知識など全くなかったが、付け焼き刃のスキルを身につけるのも面倒でそのまま二次試験に臨んだ。

6人6チームに分かれてグルディスを行い、発表し、優勝チームを決めるというシステムのものだった。なぜか僕のチームには去年内定をもらったが留年をしたためもう一度受けているという特殊な人間がいた。その人に寄ると、これが実質最後の採用試験で、勝ちチームから半数、負けチームから一人ずつ採用者が決まるとのことだった。

僕のチームは負けた。そして僕は落ちた。おそらく去年採用された彼が僕のチームからは採用されたのだろう。

「しゃーない!可愛い人事もいるし、ベンチャーでゴリゴリ働こう!」と思っていたタイミングで、そういえばまだもう一社受けてるんだったと思い出したのがQだった。

正直舐めていた。もうどうにでもなれ!と思っていた節があったし、大広の就活で全力は出したと満足していた。そんな感じだったので、QのA4一枚の採用課題も大広のものをトンマナだけ変えて提出していた。

Qの一次面接はオンラインだった。服装指定がなかったので、いつもの私服でも着ようと思っていたが、二度寝をし、寝坊しかけ、パジャマに寝癖で出席した。最初からおじさんばかりで驚いた。かわいい人事は?、、と少し凹んだ。後日知ったことだが、この一次面接に僕が現在所属している局の別の部の部長が出席していたらしく、君のことは印象深かったのでよく覚えています。と挨拶されて、なんだかとても申し訳ない気持ちになった。

なぜか合格した。

二次面接の日程調整のメールが来たが(今回は忘れてないぞ!)、後輩との九州旅行と丸かぶりしていて、困った。そんなに志望度も高くないし、「最悪ええかー」なんて思いながら、「ゼミの合宿が控えています。勉学を優先するのが学生の本分うんぬんかんぬん」とふざけたメールをやけくそで送った。まあ、これで無理ですと言われたら、ここを受けるのはやめて旅行を優先させることにしていた。すると、日程をずらしてくれるとのことで「おお!ええ会社やん」などと上から目線で会社を誉めつつ、僕は九州旅行へと向かった。

なぜだかは今となっては忘れたが、当時の僕は早ければ早いほどいいと思い、二次面接を九州旅行から帰ってきたその日に設定していた。しかも面接は11時から。その日の朝5時、僕はまだ福岡にいて、カタンをしていた。深夜から始まったカタンをついに終え、僕たちは無睡のまま福岡空港へと向かい帰路についた。8時過ぎに荷物(キャリーバックがとんでもなく邪魔だった)を友人の家に置かせてもらい、Qのオフィスへと向かった。オフィスで人事に「これは預かりますね」とタバコなどをつけていたカラビナを回収された。今思うとあんまり良くなかったのかもしれない。この面接でもおじさんが多くて萎えた。かわいい人事わい、、。

なぜか合格した。

最終面接の日、「持つべきは気持ちだけだ!」などと思い、手ぶらで行ったら、人事に驚かれた。カラビナは回収された。営業の偉そうな人(実際、偉かった)に「(志望は)営業ではない?」と聞かれ「はい。企画です」と答え、面接が終わった。

なぜか合格した。

(つづく)

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