熱と感情の行方

「マスク大丈夫ですか?」

3年ぶりに対面開催された、大学の文化祭。3年ぶりとあって、お祭りムードとなっている大学のキャンパスの入り口で僕は係の学生に捕まっていた。キャンパスに足を踏み入れて早々、係の生徒が僕に駆け寄り「マスク大丈夫ですか」と僕との距離に見合わないほど大きな声で言った。僕はマスクをつけていなかった。僕はコンビニで買ったパック豆乳を飲んでいたのだ。僕が立ち止まると、係の彼は畳み掛けるようにもう一度胸をはり、大きな声で「マスク大丈夫ですか」と僕へ声をかけた。

僕は普段からマスクコードというものを使い、マスクを首からぶら下げている。もちろんこうして声をかけられている今も、不織布マスクが僕の胸の前で揺れている。「マスク大丈夫ですか」とは一体どういう意味なのだろうか。マスクをつけろということだろうか。しかし、それなら、大丈夫ですか?などと聞くだろうか。マスクは持っているので大丈夫といえば大丈夫なのだが。

そんなことを考えている間に彼はさらにもう一歩僕に近づき「マスク大丈夫ですか」と大きな声で訴えかけてくる。その目は獲物を捉える直前の猛禽類のようだ。いや、ある種の快楽を得て恍惚としているようにも見える。とにかく彼の目はギラギラと光っていた。

そんな僕らの横を別の係の女子生徒が通った。彼女は僕に「構内でのマスク着用に協力をお願いします」と声をかけた。「飲み物は?ここで飲んではダメですか?」という僕からの質問に彼女は「立ち止まってなら大丈夫です」と言った。先ほどから僕の前に立ちはだかっている彼のおかげでちょうど僕はその場に立ち止まっていた。いまだにギラギラと目を光らせる彼の前で僕は残りの豆乳を飲み干し、マスクをして、その場を後にした。

目的地に向かってキャンパス内を少し進むと今度は後ろから誰かが走ってくる。「今日は何のようですか?」僕を追い越して振り返った彼が言う。長方形のレンズの眼鏡の中で、その目は先ほどの「マスク大丈夫ですか」君にも似た光を放っている。

「あ、えっと、撮影スタッフで」突如現れた彼に驚きを隠せないまま僕は答える。そして、事前に渡されていた入構許可証を見せる。「そうですか」と答えたあと彼は早口で何かを述べて走り去っていった。アニメで見るような走り方の彼の後ろ姿を眺める。高校生の頃、同じクラスにいた自然科学部の人間をなぜか僕は彼の背中に重ね合わせていた。そういえば、自然科学部の彼も早口だったな。

寒空の下、キャンパスの中央を通る大通りの先に野外ステージが見えてくる。今日の僕の目的地だ。僕はかつて所属していたサークルの後輩から頼まれ、キャンパス内各地で開催されるイベントの写真撮影をすることになっていた。この野外ステージで開催される、オープニングイベント、チア部のダンス、エンディングバンドなどの撮影が僕の主な仕事だった。

僕は実行委員会ではなく外部スタッフだが、学生主催のイベントなので謝礼などはなくボランティアだ。それもあってか、委員との距離は近い。実際に委員が運用しているSlackのチャンネルに招待され、そこでシフトなどが共有されていた。

撮影は滞りなく進んだ。気がつけば辺りが暗くなり始めていた。時間に余裕ができたので何気なくSlackを覗くと、どこどこに担当者が足りていないだとか不審者が出ただとか機材トラブルが起こったなど「#general」と言う名前のSlackのチャンネルはかなりの賑わいを見せていた。「至急!」や「お手隙」といった普段のキャンパスライフではなかなか見たり聞いたりすることのない言葉も飛び交っていた。ケータイから顔を上げると、野外ステージの周りでは配信スタッフがエンディングバンドの演奏に向けて忙しなく動き回っていた。その中には長方形眼鏡の彼の姿も見えた。

しばらくすると、本校舎の方から人がずらずらとやってきた。その中には何人か見知った顔もあった。みんなこれから行われるエンディングバンドを見るらしい。推しうちわを作ってきた人、ペンライトを持参した人、疲れてベンチに座る人、会場に駆けつけておきながら我関せずの雰囲気を醸し出し人混みから距離を取ってステージを見守る人、人混みから抜け出した男女、ステージに見向きもせず脇でたむろする男子集団、動き回るスタッフ。色々な人たちがそれぞれの想いを抱えその場に集まっていた。

バンドメンバーがステージに上がった。歓声があがる。司会がボーカルにマイクをもった手を伸ばす。「いやあ、すごいねえ」優しげな印象のボーカルの声が会場にゆったりと広がる。僕は観客よりさらに後ろから望遠レンズを抱えシャッターを切った。「曲はマジで最高だから楽しんでください」さきほどまでの優しい声とは打って変わって一段と凄みのある声でボーカルは挨拶を締めくくった。

バンドの演奏はあっという間に終わった。僕はシャッターを切ることに夢中になっていた。バンドメンバーに賞金が授与された後、次のバンドの準備が始まった。どうやら先程までのバンドはアカペラ部と軽音部の合同チームで次のバンドは軽音部のバンドらしい。観客の会話からそれらのことを理解し、僕はカメラの設定を調節した。

次のバンドは曲数が結構あったので演奏をしっかりと見る余裕ができた。僕の胸はなぜかザワザワした。「痛々しい」、そう思ったのだ。今日のために準備したであろう衣装、今日のために練習したであろう曲、一生懸命セットした髪型、彼らから見て取れる情報の全てが僕には痛々しく感じた。しかし、同時に眩しく、格好よかった。恥じることなく全力で「格好つける」彼らが格好良かった。それは青春と呼ぶにふさわしい状況だった。僕の目の前に青春劇が繰り広げられている、そう感じた。別に彼らを見下しているわけではない。むしろ彼らを年下に感じることは難しかった。甲子園に出場する高校球児をいつまでも年下と思えない感情に似ていた。「高校球児」は「高校球児」なのだ。そして、今僕の目の前にいたのは紛れもない「大学生」だった。コロナ禍ですっかり忘れていた感情だった。そう、僕も「大学生」であったのだ。恥じることなく何事も全力でやる、それが「大学生」だった。

この場を満たしていたのは熱量だった。与えられた仕事を全うすることに恍惚とする係の学生、文化祭を成功させようと走り回る実行委員、同年代の観客の前で恥ずかしげもなく格好つけるバンドメンバー、音楽のリズムに体をゆらす観客たち、ワンチャンを狙い喧騒から抜け出す男女、いい写真を撮るんだと躍起になって会場を走りまわり必死にシャッターを切る僕。

全員が痛々しかった。眩しかった。これが大学生だった。そうだった。思い出した。

その場にいる人々の熱と感情があらゆる場所に飛び交い、あたりを包み込んでいるように僕には感じられた。そうだこれが学生ってやつだ。

僕はいつから熱量を失っていたのだろうか。サークルを引退したときだろうか、休学した時だろうか、仕事を始めたときだろうか。いつからか人や社会からの評価ばかりを気にするようになっていた。恥ずかしいことはやらない。無難に過ごす。そんな日々を過ごしていた気がする。しかし、ステージに上がる彼らはキラキラしていた。彼らから恥ずかしさなど1ミリも感じられない。彼らが今持っているのは注目されることへの自己陶酔と音楽への快楽、純粋な楽しさ。そこにマイナスの感情や計算などは一切ない。やりたいようにやりたいことをやっている。観客に向けて手を上げる彼らに向けて僕はカメラを向けてシャッターを切った。

バンドの後、グラウンド上空に花火があがった。3年ぶりに大学で見る花火だった。3年前も僕はカメラを片手にひたすらシャッターを切っていた。思い出した。あの頃から僕は変わっただろうか、何かを手に入れただろうか、何かを手放しただろうか。次々に浮かんでくる想いを打ち消すように花火の大きな音が頭上で響いていた。右手に持ったカメラのレンズはずっしりと重たかった。



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