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それぞれの。

トラックがブレーキを踏む。少し軋んだ音が響き、トラックが停車する。

僕の家は幹線道路から近く、さざなみのように車が走り抜ける音が聞こえてくる。幹線道路と僕の家は線路を挟んでいるものの、距離としてはそこそこ近い。そのはずだが、どこか遠く感じる。線路を挟んでこちら側は静かな住宅街で、線路によって世界が分断されているようにも感じられる。ここから幹線道路を眺めると、窓から外の世界を眺めているような感覚にとらわれる。僕の視界の向こう側でトラックが信号待ちしているのが見える。トラックの運転手は何を考えているのだろうか。彼(彼女かもしれない)はどんな人生を経て今ここの道路を走っているのだろうか。

数日間の帰省から戻ってきた。なんとなくタバコでも吸おうかという気持ちになり、玄関先の共用部で数日ぶりのタバコに火をつけた。線路の向こう側には都内に向かう幹線道路が伸びていて、そこに止まるトラックを僕は眺めていた。

帰省するたびに、自分の「人生」を考えてしまう。いつの間にか僕も25歳になり、地元の北海道を出てから5年になる。この5年の間に僕の地元は大きく変わったなんてことはないが、それとなく新しい施設ができていたり、それとなく懐かしい場所がなくなっていっている。場所の変化とともに、僕の北海道での記憶もじょじょに薄れていく。どんな建物があったかすら忘れてしまった場所に新しい店や施設ができて、その場所の記憶はすっかり失われてしまっていることに少しだけ寂しさや悲しさのようなものを感じる。

北海道で改めて会う人間も今となってはほとんどいなくて、友人関係はSNSでのゆるい繋がりで完結している。そんなSNSで、最近は結婚の投稿や出産の投稿をたびたび見かけるようになった。いよいよ「人生」を感じざるを得ないフェーズに入ってきたなと自分の年齢とともに考える。

いままでは、みんな足並みを揃えていた。それが22歳を超えたあたりから一気にそれぞれの人生を歩み始めている。それぞれが悩み、それぞれが悲しみ、それぞれがそれぞれの生き方で幸せを求めて日々を過ごしているのだろう。みんな幸せに生きてほしい。

僕はこの春からやっと社会人になる。

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