見出し画像

お金では測れない「教育」の真価 ~ボランティアの醍醐味~

繰り返しになりますが、私がnoteでアウトプットしている目的は、教育の環境に恵まれない人々のためにコミュニティを作りたい夢を叶えるために、知識をつけながらこの先どう行動したいかを考えるためです。

noteのマガジンでは、好きな読書の記録と「ビジネスにおける知識」として備忘録的な感じでアウトプットしていますが、日記というよりかは、自分にとっても読んでくれた人にとってもためになるような話題を提供したいと思っています。

前回まで、教育投資が国の経済成長を生み出すと分析結果が出ているものの、肝心の教育システムや中身の質が欠けていて設備や教材ばかりに投資しては「教育投資」とはいわないということを学びました。

つまり、教育に関してはお金をかければその分対価があると期待してはいけないということですね。

では、ボランティア(無償)による教育投資はどうでしょうか?無償で何かを人に教える価値はあるのか、、?

今回はそんな教育がお金では測れない話について、私のこれまでの経験を主に書き上げます!

「将来どんなことをしたいか?」を引き出す私の授業

私は大学時代、J-FUN Youthという学生難民支援団体に入っていて、そこで都内の高校1学年に出張授業を行う機会がありました。

5、6時間目を使って、最初の1時間は難民問題の啓発を目的に学年全体にお話し、6時間目では団体メンバーがそれぞれのクラスに入り、「なんで大学に入ったか?」「どんなことに興味があるか?」「将来の夢は?」という個人の話をざっくばらんにプレゼンする時間がありました。

5時間目の「難民問題の啓発」についてはここで語るに足りないので割愛するとして、6時間目は1クラスに私個人のお話をさせていただきました。

そりゃーもう楽しいわけです。笑 個性が出せるし、なによりも話していて子どもたちの色んな反応が面白かったです。

将来の夢を生徒さんに聞いたときに、ある男の子は教師になりたいと言っていたり、ある子は俳優になるために別の学校に通っていると言っていたり、ある女の子はもじもじしながら「まだ決まってないです」と言っていたり、、

同じ生徒同士、お互いのやってみたい事を聞いて、驚きの反応や、「あ〜なりそう!」という共感の声があり、話の共有の場として盛り上がりました。

この出張授業で話をするのに、どんな大学に入って何をしてきたかを紹介するのも大事ですが、それは単なる事実に過ぎません。知るに越したことはないけど、それはそこまで重要じゃなくて、大切なのは「そこから何を学んだか(take-away)」と「これからどんなことをしていきたいか(将来性)」の話です。

自分の話をするときも、この話をなるべく盛り込みましたが、私の話がどのくらい役立ったのかは生徒一人一人にしか分かりません。能力を発揮できるタイミングは人によって違うので、いくらお金をかけて教育投資しても、それが人生でどれくらいの価値を生み出すのかはお金では測り知れません。

難民への英語教育をした私の活動

私は大学3年の夏に、1ヶ月間イタリアの難民支援ボランティアに行きました。短期ボランティアとして様々な活動を行ったのですが、その中でも特にアフリカ出身の若い難民対象の英語の基礎を教える活動をしていました。

高校生ぐらいの年齢で10人くらいの彼らに、ボランティアメンバーが分かれて英語やパソコンの基礎知識を教えました。

フランス語が彼らの母国語ですが、イタリアの小さな町に来たのでイタリア(ヨーロッパ)で生活するためには英語が欠かせません。

「アートを学びたくて、ドイツの学校に行きたい」と抱負を話してくれたり子もいて、そのための初歩として英語を知っておきたいと話してくれた人もいました。本当に簡単な英語ではありますが、真剣に話を聞いてくれる姿に私も励まされました。

他の子は、私が日本に帰国してからも英語で短めのメッセージをくれて、連絡を取り合っていたこともありました。お金に関係なく、ボランティアとして彼らの英語基礎教育を少しでも支援し、学習への好奇心や興味をかき立てることができたのなら良かったと思っています。

ボランティアとしてできることは限りがあり、その課題について言うと別の記事になりそうなので、、。とりあえず、私の教育支援におけるちょっとした話だけ紹介します。

経済的な困難な子どもに「無料塾」を開いた方の思い

貧困家庭に生まれ育った経験もあり、会社員を辞めて念願の無料塾を開いたという小宮さんのお話に感動したので、少しここで紹介したいと思います。

家族を養うためと開いた塾を持続させるために、家庭教師、予備校の講師、弁当屋の皿洗いに配達をして何足ものわらじを履きながら過ごされてきました。

「小宮さんの活動の原動力は何か?」という問いに、こう答えています。

「資本主義の理屈だったら1万円かけたら1万円の対価しか生まないかもしれないけれど、無料塾の生徒には0円でも、ともすれば1万円以上の価値が提供できます。自分にとってものすごくいい教え方をする先生と出会って、勉強を頑張ろうと思ったとか、自分もボランティアをしてみようと思ったとか。こういう“化学反応”は金額に換算できないし、いつ起きるかも実は分からないのが、醍醐味ですね。お金をかければ、かけた分だけのことはあるかもしれないけれど、『お金をかけられなくなったら、それまで』になってしまいます。寄付で成り立っている活動ですから、寄付ありきではなく寄付してもらえるような活動を作り、続けることで、いつ起こるか分からない化学反応に出会える可能性も上がると思うんです」

教育にはお金では決して測れない価値があるのだと改めて痛感しました。

お読みいただきありがとうございました!

画像1

画像2




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?