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「スー・チーさんグッズ」が人気のお土産だった頃

先日、ミャンマーの軍事政権が、アウン・サン・スー・チーさん側近のピョー・ゼヤー・トー氏ら民主派4人に死刑を執行したとのニュースが流れた。世界がロシアとウクライナで頭が一杯になり、戦争のニュースに疲れ切っている時に、ここアジアの足下にも未解決どころか、一条の光もまだ見えない大きな問題が残っていることを改めて思い知らされた。

ミャンマーは2014年に一度だけ訪れたことがある。2010年の総選挙の後、軍事政権が終わり、国全体が民主化に舵を切り始めたと言われていた時だ。

当時はミャンマーのニュースと言えば、インターネットがどんどん普及し、今では結構自由にネットに書き込めるようになったとか、外国資本がどんどん進出しているとか、日本からの直行便が就航したとか、明るいものばかりになっていた。

緑に覆われた最大都市 ヤンゴン

でも、私はずっと心の中で、もやもやとしていたことがあった。
「軍人出身者が大統領で、軍人に優先的に議席が割り当てられている政治構造は変わっていないのに、そんなに簡単に、ころっと民主化路線を歩み始めるなんてことがあるんだろうか。」という疑問だ。

なんか感覚的に解せない。なんで急にネットに政治的なことを書き込めるようになるんだろう。もちろん様々な経済的な思惑があるんだろうけど、言論まで自由になりつつあるなんて、何かの罠? 外国資本も民主化路線を信用してどんどん進出してよいのだろうか。どうしても頭の中で「?」マークが消えなかった。

ヤンゴンに来て、真っ先に見たかったのは、アウン・サン・スー・チーさん(どうも、スーチーさんという略し方は間違いだとのこと)の自宅だ。

ここは、若い頃にニュース映像でよく見た所。当時軍部に自宅軟禁されていた民主化指導者のアウン・サン・スー・チーさんが自宅の前に押し寄せた支持者たちに、門の中から台か何かの上に立って、団結を呼びかけるシーンは鮮明に覚えている。

そこを一度見ておきたかったのだ。いわば「聖地」的な場所として。
バスの乗り方もよく分からず、タクシーで色々交渉するのも面倒なので、地図を片手に炎天下を歩いて探し回った結果、その自宅は、空港からさほど遠くない湖のほとりの緑あふれる通り沿いにあった。

写真が下手なのもあるが、日向と日陰の光量の差が、日差しがいかに強いかを物語っている

あれ?アウン・サン・スー・チーさんは今新首都ネピドーにいる?からなのか、門の前に警備員は全然いないし、単なる閑静な高級住宅地の一邸宅という感じだ。

ただ門には、私には全く読めないビルマ文字で何か書かれ、彼女の政党NLD (National League for Democracy= 国民民主連盟)の旗、さらに、アウン・サン・スー・チーさんの父親で「建国の父」とされるアウン・サン将軍の写真が掲げられていた。

しばらくすると、何かデリバリーのバイクのようなものが来て、門が開いて、すっと中に入っていった。ここが、かつて支持者が押し寄せた民主化の「聖地」なのか。なんか、全くそれを感じさせない雰囲気に、少し拍子抜けしたというのが素直な感想だった。

次に向かったのは、NLDの党本部。

父アウン・サン将軍と、その娘アウン・サン・スー・チーさんの顔が、陰影だけで描かれたおしゃれなアートが目を引く。

ここでも、実はちょっと拍子抜けしたのだった。

本部には売店があり、「アウン・サン・スー・チーさんグッズ」がずらりと並べられていたのだ。

スーチーさんTシャツ、スーチーさんマグカップ、スーチーさんハンカチ、財布、タペストリー、帽子、なんでも揃う、お土産屋さん状態。

これは和傘ではなくて、ミャンマーにもこういう傘があるのだろうか。日本の桜を彷彿とさせるデザインのスーチーさんカレンダー。まるでアイドルのようだ。当時はそれだけ自由で明るい雰囲気で、スーチーさんへの期待が高まっていたということか。

私が訪れた翌年、2015年の総選挙でNLDが大勝、翌年に彼女は国家顧問に就任し、事実上の国家のリーダーに。さらに2020年の総選挙でもNLDが圧勝。

しかしその後、当時私が感じた「軍はそんな簡単に引き下がらないのでは?」という嫌な予感も的外れではなかったのか、総選挙翌年、つまり去年の2月に、軍のあのクーデターによる政権転覆が起きてしまうのだった。

今、このカレンダーで微笑むアウン・サン・スー・チーさんは拘束されたまま。軍事政権が主張する彼女の数々の罪状は、全部足し合わせると彼女を生涯閉じ込めておけるそうだ。

わたしたちの国は、ミャンマー(ビルマ)とも、彼女とも、歴史的に関係があるという。つい最近、防衛省がミャンマー国軍幹部の留学生を受け入れ続けているとのニュースがあり驚いたが、そのような軍部との人脈は、日本の外交にどう生かされているのだろうか。

ミャンマーは、中国が絡んだり、ロヒンギャの問題があったり、複雑なものがたくさんある。しかし、私にとってミャンマーは、「知り合いの母国」でもある。

何十年も前に、民主派弾圧でミャンマーから日本に逃げて来た難民であるその方は、クーデター前には、母国の子供たちの教育に貢献するためのプログラムを始めると目を輝かして語っていた。しかし、それもクーデターで一変。今は民主化のために自分でできることをしなければと、日々格闘している。

「アウン・サン・スーチーさんTシャツ」が、人気のお土産だったのは、ほんの少し前のこと。

軍部がそんなに簡単に変わるはずがなかったのと同様、人々の民主化への要求も、たとえ大きな力の前とて、そんな簡単におさまるものでもないはずだ。


ヤンゴン中心部


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A😄



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