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外国語で喧嘩するコツ

相手の言語で口論する大変さ


何が大変って、外国語で喧嘩することほど大変なことはない!

これまで英語と中国語で喧嘩をしたことは何度もある、と言っても、議論、口論という方が正確だけれど、やはり外国語でそれをするのは至難の業だ。

そして、一方がネイティブだった場合はなおさら。いくら仕事で外国語をずっと使っているといっても、勉強して身につけたもの。パッと言葉が出ず微妙なニュアンスが表現できないことも多い。本来バシッと強く抗議の気持ちを伝えたい時に、頭で文法を考えてから言葉を出したりしていては、対等ではない。完全に不利だ。

おっと、ひとつ大前提として、私は仕事では絶対に感情的な喧嘩はしない・・・ようにしている。ただ、”これはあまりにひどい”という事態が起きた時や、相手があまりに理不尽に自分や仲間を侮辱してきた時だけは、立ち上がり、深呼吸をして、ゆっくりと、しかし毅然としながら、丁寧な言葉で相手と向かい合う。できることなら最後に握手したい、と思いながら。

それにしても、相手がこちらの言葉を話さず、こちらが一方的に相手の言語で口論するのは、ものすごく疲れる。


まず、日本語で感情を出してみる


しかし私は、あるやり方を採り入れてから、ものすごく楽になった。

それは、まず、特に気持ちを表す日本語が頭に浮かんできたら、それをそのまま口にする。それから、外国語でゆっくりと自分のペースで話していく、というやり方だ。

例えば、相手の言動に、とっさに頭に「ちょっ、ちょっと、そりゃないでしょう。それはちょっとひどすぎるよ!」という日本語が浮かんだら、それをそのまま日本語で口にする。その後で、"You shouldn't do that, because…"と外国語にすればよい。

そうすると、相手はたとえ言葉の意味が全部わからなかったにせよ、まずこちらが本当にひどいと思っているニュアンス、その真剣さが、その場で変に外国語に無理に訳すよりも相手に伝わるのだ。

もちろん外国語で最初から言えるならばそうすればよいが、そうではない場合は、最初にちょこっと日本語で感情を相手に伝えることはむしろコミュニケーションをよくするようだと、これまでの経験で痛感している。こういうやり方で口論をした結果、最後はお互いに握手をして、むしろ仲良くなったというケースが結構あるのだ。


黙って受け入れる日本人の同僚たち


しかし、いつも歯痒くてならないのは、むしろ多くの同僚の対応だ。

私の職場は日本人が多いが、主に北米の英語ネイティブも何人も働いている。彼らとの会話はすべて英語だ。しかし少しでも日本に馴染もう、言葉も学ぼうとするネイティブは決して多いわけじゃない。異文化を知ろうとしてくれる人たちには私も敬意を払い、気持ちのよい関係を築いているものの、本当は日本語をかなり理解していても日本語は片言ですら一切話そうとしない人も少なくないのが悲しい現状。

おそらく私が北米に行って同じ態度をとった場合どうなるか、それを想像すると、この状況はいびつだ。

しかしもっと残念なのは、同僚たちの対応なのだ。

英語に自信がないということも作用しているのかもしれないが、彼らの発言に対して「Oh, I see.」とただ黙って受け入れて、心の中で本当はおかしいと思っても、言われた通りにしてしまう人のなんと多いことか。また逆に、立場を示唆して、決めるのはこちらだと言わんばかりに、議論をせずに、言葉こそ謙虚なものの、"Do as I say…(いいから、そうして)的”な対応をする人もいる。これも違うと思う。どちらも、コミュニケーションのコの字もない。とてもいびつだ。

日本の、うちも含めて古い体質の職場では、特に上下関係が存在する中で自分の意見を述べて議論をすることはタブー視されていることも事を複雑にしている。

また、ネイティブが、言葉の面だけでなく、仕事のやり方について、我々の方法を「世界ではそういうやり方はしない」と言って、変えさせようとすることも多い。しかし彼らの言うのは、別にuniversalでもなんでもなく、”北米ではそういうやり方はしない”、というだけである場合も少なくない。そういう場合も、同僚の中には、黙ってそのまま聞き入れてしまう人が多いのだ。

とにかく、そういうネイティブにせよ、そういう日本人同僚にせよ、そこにはコミュニケーションが存在しない。

要はコミュニケーションの問題


とにかく、コミュニケーションを取ろうとしないと何も始まらない。

相手がこちらの言葉を話さなかったら、またこちらに歩み寄って来ようとしなかったら、こちらから堂々と、できる努力はしながらコミュニケーションを取ろうとすればよいだけの話ではないかと思う。

こちらは苦労して外国語で伝えているのだから、そこは堂々と。表せない微妙な感情は母国語で伝えればよい。

英語を使う仕事のプロとして完璧にあらねばという考えや、また逆に”ここは日本だぞ”という発想もあるかもしれないが、その真ん中にソリューションがある気がする。

「まず、とっさに浮かんだ日本語をそのまま話してから、外国語で話す」という方法は、コミュニケーションにつながって、いびつな人間関係を打破する糸口になると感じているのだ。

余談。

先日、北米のネイティブ男性とちょっと英語で議論になった。

私が「あなたも、ちょっとは違う文化にもリスペクトを示してほしいな。正直言って、ずっとそう感じてた。日本語も教えますよ。私もあなたから英語、それ以外にも色々学びたいから。」と。

私は心の中で「きっと、こうやって凛として腹を割って話すと、きっと”いつもみたいに”良い結果になる」と自信を持っていたのだが・・相手から言われた一言。

「ここは英語で仕事をする部署。なんで日本語話さなきゃいけないの?」

おおおっと。そう来たか!想定外!(笑)
恥ずかしながら、ちょっとたじろいでしまった。
その後冷静に堂々とやり合ったつもりだったが、全然うまく行かず。

まあ、異文化どうのこうのよりも、人間同士だから、こういうこともある。それがコミュニケーションの妙味。全部スムーズにいったら、むしろ気持ち悪いかな。

異文化コミュニケーションは、一筋縄にいかない。疲れる。😅 けど、面白い。有意義で楽しい体験の方が多いから。

(皆さんの、外国語での喧嘩体験も、ぜひ伺いたいです。)


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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ  😀







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