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母の味はクックパッドな店番日記

0223 怒涛の12連勤のゴングが鳴る。
連勤初日の朝、なぜだか連勤折り返し地点ほどの疲労を感じるもまだ初日、始まってすらいない、朝だ。歳をとったなという言葉は言いたくないのだけれど、こういうとき歳をとったなと思う。25歳でそんなことを〜と怒るひともいるかもしれない。でも私は25年しか生きていないのでそれ以上のことを主観で語られてもピンと来ないのです。こればかりはもう25年生きてみないと。

昨日まで2連休だったので実家で過ごした。
実家は現在妹と暮らす部屋から電車に揺られること30~40分のところにある。実家には何の用事がなくても月に何度かは顔を見せに帰る。両親も寂しがるしなにより私も寂しいので、帰る頻度が多くなってしまう。

幼い頃から両親が死ぬときのことを考えて夜な夜な泣いてしまう子だった。

大人になったいま、さすがにそんなことはないけれど、ふとしたときにあとどれくらい顔を合わせられるのだろう、どれくらいドライブに行けるのだろう、いつまで私たちのことを忘れずに娘として接してもらえるのだろう、いつまで自力で歩いていられるのだろう。(、、いつ免許返納させよう。)そんなことが過ぎるようになった。夜な夜な泣いていた私はその頃の不安を払拭し、あらたな不安を抱えることとなった。
もしかすると私が先に死んでしまう未来もあるかもしれない。

特別な親孝行はしてあげられないし孫の顔を見せてやる!と鼻息ふんふん意気込んでいるわけでもないので、生きてる間は飽きるほど顔を見せてやろうと、それが唯一できる私なりの親孝行なのだと思っている。

そして母の手料理がおいしい。母にいちどポテサラの作り方おしえて、と尋ねたところすぐにクックパッドのレシピがLINEで送られてきた。
あれれ。私のイメージする母の味と違ったぞ。てっきり一緒に作って隠し味なんか教えてもらったりして、やっぱり母親は偉大だ!なんて展開を期待していたのだけれど、なんだか味気がなかった。でも、ありがとう、クックパッド。

いつの間にか親孝行日記になっていた。




文章を綴るとき、その時々で読んでいる本の著者の文体に寄っていることがよくある。 松浦弥太郎さんのエッセイを読んだときは心なしかやわらかい文章になっていたような気もする。いま読んでいるのは「カキフライが無いなら来なかった」又吉直樹さんとせきしろさん。影響をうけやすいためか。いつか自分の文章を読み返したときに、このときは誰の本を読んでいたなと考えるのも楽しいかもしれない。

本屋さんの日常を綴ろうと思ってはじめた店番日記だけれど、いつの間にか店番中に思考整理するための日記となっている。店番中の本屋さんのことも書いていけたらと思って は いる。


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