恋について

ふと、小学生時代の頃を思い出した。

自分がないばかりに、当時から他人の目を追うようになっていた。

塾で一目惚れをした。
物静かな、かっこいい(と感じた)男の子。

その子と帰る時間、塾を出るタイミングが同じになるように近づいた。

その子は気がつけば外にいて、背の高いシャキッとした後ろ姿のお父さんと、帰っていった。

***

恋は誰にだってあるものだと思うけれど、自分はいつもこうだった。

目で追うだけとか、近づいてみるとか、なんたるストーカー。。。

ストーカーの本質って、自分を見つめれてないことだと思う。

今だったら、ちゃんと声かけに行けるかな。
さあ、遠慮すると思う(笑)

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まあ結局、そういうことをしていたので、その後の人生において、そういった地元の人たちと交わることなく、遠くへ出ることになった。

そして、いつかの思春期に、どこへも行けないことを悟った私は、ひきこもって、ついぞ、健常な人たちの歩む世界、人生とは離れた。

まったく別の、違った旅路に出ることになった。

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これは、数々の後悔をしてきた(もう終わらせようと思う)私の、最後の反省会である。


***

昔から、不安症で、依存気質だった。

彼氏などというものは短い生涯で一度もできたことがないのだけれど、依存はしていた。

というのも、幼稚園生のときから、ガーゼのさわり心地のいいハンカチを肌身はなさず持っていたりだとか、秋風邪でマスクを着用するようになってからは、それなしでは人前に出ていけないくらいになってしまったりだとか。

おかげで、一人になって、あれこれと空想にふけることが楽しくなったのだけど、いざ人生変わりますよというときに、一歩が踏み出せないことが悔しかった。

壁には2つある。向き合わないで済むための壁と、向き合わざるを得ないための壁だ。(唐突に浮かんできた)

反省しよう。私にも人生変えるきっかけやチャンス、権利と自由はあるし、向き合うことは必要だけれど、それらを尊重してもいいのだ。

できれば、説明できないなにかは、ここに書いておくことで、いつかまた誰かと出会ったときに、はっきりと伝えられるようになっていたらいいなと思う。

自分の不安や恐怖は解決することができる。
でも、一度離れてしまった人の心は解決することができない。

こうやって心を強くすることで、また出会えたらいいなと、思うのだけど。

他人を好きになるのは不思議な感覚だった。
誰かを「好き」になるのは、自分を「好き」だと言っているようで。
それは、どこか似た者同士だったから。
反省しよう。私は結構、その人を通して見る自分が好きだった。

反省。様々な挫折をして、次に活かすための。
次があるのか分からないけれど、まあ、気長に。
準備が整わなくてもいいから、ある程度は前にすすめるように。
こうやって思い出を書くことも、また一つの教訓なんだ。
誰かに知ってもらいたい。抱えすぎた悩みのこと。

ちゃんと、真実の思いを伝えよう。
伝えきれない思いは、またいつか、会って話せばいいさ。

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