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強さも絆も最初はなかった

こんにちは、愛音です

私は14歳、中学2年で授業妨害が原因で保健室登校が始まり、3年になると完全不登校になりました。

その私を囲む家族の形を稀だと言われました。そんな家族なんて今まで見たことない、全然普通じゃない、と。
家族が物分り良すぎたり、不登校や他の症状を否定せずに認めたり、とにかく今のままを受け入れる形、これは確かに普通なんてものじゃない。

だけど神様はこの家族なら私を託しても大丈夫だ、と思ったのでしょう。強い絆があり、一人ひとりが強いから、きっとこの試練を乗り越える、だから私はこの家族の娘として産まれてきました。

て……そんな訳なーい!!ε٩(๑> <)۶з

家族だって悩まなかった訳じゃない。苦しまなかった訳じゃない。戸惑いも、怒りだってちゃんと感じていました。
それを【強い家族だから、強い絆があるから】と簡単には決めつけないで。

父が強い?母が強い?兄が強い?
初めからそうだったとは思ってない。私が不登校という形になり、そうなる必要があったからです。

娘が、妹が精神的に狂って、荒れていく姿を見ているのは辛いことだと思います。枕に顔を押し当てて叫んで、枕なしでも叫び、いきなり泣き出して訳の分からないことを言う。そしてカッターを使った自傷行為は長く長く続きました。

神様がこの家族なら大丈夫、試練を乗り越える、と初めから思っていたのなら…
それは神様、違います
努力したんですよ、分からない中、めちゃくちゃ苦しみながら

狂い泣き叫んでる私へ【いい加減にして!】と母に怒鳴られたことが何度かあります。過食嘔吐を繰り返す私がお菓子を食べたと告白すると、家にあったお菓子を全部ごみ袋に入れて【二度と食うな!】と父は強くキツく叱りました。兄もイライラしてました。学校で壁を殴ってたこともあり、拳に痣があったこと、何度か湿布を貼っていたのを覚えています。

それでも父も母も兄も、私と生きていくために、今後も私と暮らすために、どうするのが良いのか、どう接すれば愛音が楽に呼吸が出来て、生きててくれるのか、それを必死に考え実行したんです。

不登校になりしばらく我が家だって穏やかではなかったですよ。この状況を乗り越えないととか、眼の前の問題に立ち向かうとかもなくて、両親も突然のことに悩み、長く苦しんでました。
苦しかったのは私だけじゃない、家族みんな苦しい時期があったんです。

きっと私の家族の強さや絆と呼ばれるものは【愛音に生きててほしい】という共通の願いなのかな。生きていればいい、立派でも、良い子じゃなくてもいい、何にも出来なくていいから、でもお願いだから死なないで。母に言われてたこと言葉がきっと家族の持つ強さ、だと思います。

私はその願いを叶え続けています。立派でも、年相応の生き方ではないかもしれないけど、私は私の人生を生きている。
だから今、家族への思いが真っ直ぐです。

過去に迷惑をかけて、不安にさせて、キツく叱られた
あの時は本当にごめんなさい
でもここから先は大丈夫だから
きっと好きな人生を堂々歩いていくから
だから見ててね、信じていてね、


初めから強い家族も立派な家族もいません。
不登校の母親だから父親だから強くないといけない、そんなことはない。どうすればいいのか分からないと泣いていい。不安を吐き出しても構わない。辛いのは子供だから、親はせめてしっかりしていないと、そんなことはありません。だって親だって初めて親になったんですよ?分からないことだらけなのは当たり前です

それでも強さなど必要な時が出てきます、それを苦しいけれど受け入れて、もがきながら試行錯誤して、そうして初めて、オリジナルの強さを手にするのだと思います。

私の家族の願いはたった1つでした
愛音、生きててね
その強い願いがあり、私の命はこうして続いています
ありがとう、家族に向けるこの5文字の中には
沢山の愛を込めています
ありがとう、ありがとう、

*愛音*

2023/09/17
あの頃みたいに
同じ屋根の下では暮らしてないけど
それぞれが繋がっているから
私は心強く生きていけるの

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