見出し画像

「義憤」と「書くこと」

みなさんには「義憤」を感じるものはありますか。

義憤をネットで調べると、このような説明が出てきます。

義憤(ぎふん)
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。

いま学んでいるスクールの講座で、私はこの言葉に出会いました。

世の中にあるブランドの多くは怒りを原点として生まれている。その多くが社会に対する「義憤」である、といった文脈でした。


その後行った「自分が感じる義憤を書き出してみる」というワークで私が書き出した義憤はこのようなものでした。

・女性が「女性らしさ」という他人が決める枠に閉じ込められているのが嫌
・女性が軽んじられる環境で生きていくのが嫌

これを書いたのは約4ヶ月前、毎日noteを始めた直後です。

この義憤が私の活動にどう影響するのか、当時はあまり想像できずにいました。

だけど、ここ最近noteを読んでくれている方とお話しする機会が何度かあり、この義憤が私の活動の根底にあると知れました。私としても新たな気づきだったので、書いておきたいと思います。

義憤を感じることと書くこと


私のnoteでは「働き方」や「生き方」「暮らし方」についての記事が多いです。

意図せず書いているといえば嘘になるのですが、私にとってこの3つのテーマは自然と書きたいことが出てくるので、いまはこのテーマに落ち着いています。


逆に書かないようにしているのは恋愛記事です。

恋愛をしている時の私は誰かに依存している精神状態になってしまうからあまり好きではなくて、その感覚を思い出したくないから書かないようにしています。


いまの私が人生のテーマに掲げていること。それは、ライティングやコーチングを通して「女性が主体的に生きられる世界を実現する」ことです。

女性にも生き方の選択肢が増えて、一見主体的に生きられるかのような世の中になってきています。

だけど実際はたくさんの困難があって、特に男性9割の職場で働いた時に感じた苦痛は私の原体験の1つになっています。この原体験は、私の感じる義憤にも繋がっています。

義憤があるから書けること

こうして義憤を感じるからaimiさんは毎日noteが書けるんですねと、つい最近言葉をかけてもらいました。

正直義憤を書き出した時、これがどのように私のブランディングにつながるのかをまったく想像できませんでした。というか、実はいまでもこのコースの課題を終えてなくて、後回しにしています。

だけど、自分ではない第三者の目から見てもらったから、義憤と書く内容が繋がっていたのだと知れました。


義憤は自然と自分のなかにあるから、意識しすぎずとも成果物に影響する。義憤を整理してブランディングができればもっと良いのだと思うけど、肩肘張って取り組まずとも、実はもう体現できている。そんなふうに納得をしました。

コース課題を終えていないことをもやもや考えている自分がいたので、「義憤はもう既に私の活動に活きている」と知れたことはとても大事な気づきでした。

義憤を持って行動すること


私の義憤は女性の生きる環境についてです。だからいまは、ライティングとコーチングを手法にして、変える糸口を探しています。

みなさんの義憤はなんでしょうか。その義憤を解決するために、どんな行動をされていますか。あるいは、いま行動されていることの根底にある義憤はどんなものですか。

目の前のことに集中していると、うっかり見失いそうになってしまう原点や義憤。たまにこうして第三者の目を借りたり、自ら見つめ直してみるのもいいなと思います。



7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️