なんだか罪悪感を感じていた
帰国を前に、いまの私はこちらの友人たちと全力で遊ぶことにしている。
勉強や仕事には支障の出ない範囲で、何よりも仕事に臨むコンディションは一番に考えながら、できる範囲で最大限に時間を作って遊んでいる。
社会人を8年もやってきた。ある程度の自分のペースはわかる。
……はずなのに、少し前の自分と比べたら羽目を外したような遊び方をしている自分に、気づけばどこか罪悪感があった。いや、いまもある。
持っていたくないに、まだ私の中にあるこの罪悪感を、言葉にしてみようと思う。
罪悪感に気づいたこと
なぜ私が罪悪感に気づいたかといえば、今日しいたけ占いを読んだから。
そして、気づいたというのは少し語弊があって、本当は少し前から知っていた。
私の中に罪悪感があるとは知っていたのだけど、それを認めたくなくて、言葉にできずにいた。
だから今日は、この罪悪感を言葉にできた日。私の中にあると認められた日。ちゃんと受け止めてみようと思った。
罪悪感を受け止める
なぜ受け止めてみようと思ったかといえば、しいたけ.さんの優しい言葉が響いたから。
有料部分なので詳細は書かないけど、いまの私は遊びも全力でやっていいという言葉がとても響いた。
占いを信じるか信じないかは人の好みで、生活にどれだけ取り入れるのかも人それぞれ。でも、私はしいたけ.さんの言葉や表現が好きで、だから信じてみたくなる。
いや、信じるというよりも、拠り所にしているのだと思う。ちょっと不安定な私だけど、ここに書かれているふうになら頑張ってみようかなと。
なんだか罪悪感を感じていた
最近の私は、罪悪感を感じていた。もっと仕事に頭や時間を使わないといけないのではと、自分に課していた。
私がいい状態であることは、私がお仕事でいいパフォーマンスをすることにつながる。だから私は週2の休みは必ず取るし、自分を心地よくさせる生き方をする。
そう思っていたのに、これがあだになって、「(仕事のために)よい過ごし方」を自分に課していた。
だから、夜遅くまで飲み歩く(実際には私はお酒はほぼ飲まないけど、場の雰囲気は「飲む」なのでこう書いている)と、その時間も翌日以降も、罪悪感がわく。
仕事のためのコンディションが整っているかと、必要以上に自分をチェックしてしまう。
規則正しい生活が善であり正であると認識していて、そうでない日の私を否定してしまう。
なんだかこんなふうに、罪悪感を感じていた。
と、ここまで言葉にしてみたら、ほんの少しだけ心が軽くなった。
まだ全てはとけていないけど、罪悪感の入った袋をツンっと突っついたから、あとは自然と自然とほどけていくのだと思う。
ちなみに罪悪感は豆乳とにがりを混ぜたもののような形状で、布の袋に入っている。そんなイメージ。作ったことはないので、わからないけど。
自分で自分に、必要以上の何かを課す必要はきっとない。ましてや、心地よい生き方を求めて働き方を変えたのに、こんなふうになっていたら本末転倒なんだよな。
でも、無意識のうちに、この「課す」何かや罪悪感はやってくる。きっといつでも何度でもやってくるから、くるたびに気づいて受け止めて、ほどくことが必要なのだと思う。
今日が時間のある日でよかった。天気の良い日でよかった。
心地よい天気のもと、自分に時間を使って、大丈夫と声をかけようと思う。
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