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結局は私が楽しくあることを許すかどうか

ドイツで暮らしている私は、会社員の頃の私には信じられないほどに、日々が楽しい予定で埋まっている。

会社員という働き方は、1日のうちの大半を会社に明け渡すことだから、楽しい予定や遊ぶ予定というのは週に数時間〜十数時間しか取れなかった。

だけどいまの私は、時間を使うことの裁量をすべて持っているので、いくらでも楽しい予定を入れることができる。

とはいっても性格が邪魔をして、毎日遊んでばかりいることはできない。私が楽しくあれるかどうかは、結局は私が許すかどうかなのだと思う。


「楽しむ」とは難しい


私にとって、楽しむことは難しいことの1つ。例えば会社員の頃、会社の定める長期休暇も、クライアントに後ろめたい気持ちがぬぐえずに過ごした。

会社員にしても学校の授業や部活にしても、毎日決まった時間にそこにいることが当たり前として育った私は、そうでないことに後ろめたさを感じる。

いまでこそフリーランスの働き方に慣れてきたけれど、例えば語学学校を休むことには抵抗がある。いいか悪いかというよりは、私の中に抵抗がある。

だから私は、いまも楽しむことのトレーニングをしている。せっかくの楽しいことを、後ろめたさに支配されたくはないから。

残りの人生は、私にとっての素敵で楽しいことを心から楽しんで生きたい。


結局は私が許すかどうか


私が楽しく過ごせるか、人生を楽しく生きられるかというのは、私が私に許すかどうか。最近の私は、強くそう思う。

会社員の頃の私は、いまの私のような生活を許さなかったと思う。仕事は週に何時間かだけして、平日は語学学校に通って、ドイツに住む生活を。

そんな暮らし方では生活が成り立たないとか、将来的に苦労をするとか、何かと言い訳をつけて許さなかった、きっと。

でもいまの私はどうかといえば、過去の私が許さなかった生活をしながら大きな幸せを感じるし、収入は減っても心が豊かになった。

だから私が幸せであれるかどうかは、私が私に許すかどうかにかかっているのだ、きっと。

私の幸せを許すことは、私にとってはまだまだトレーニングの必要なこと。罪悪感を感じずに、私は私の楽しさを祝いたい。

私が楽しくあれるかは、結局は私が楽しくあることを許すかどうかにかかっている。大丈夫だと言い続けていこう。私のなかで心配している誰かに。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️