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私はだいぶ、気持ちの出し方が上手になった

いまの私は、韓国に住むライフコーチ。もっと言葉を足すとしたら、目の前の方が本当の気持ちを知るお手伝いをすることが仕事。

そんな私はもとからコミュニケーションに抵抗がなかったかといえば、大ありな人生を過ごしてきた。


大学生の頃、部活の後輩も見ているTwitterに、気持ちの落ちるツイートを垂れ流していた。見かねた同期に書かないでと言われて初めて、これはよくなかったのだと知った。

高校生の頃、HP全盛期にはHP内に気持ちを垂れ流していた。いくつかHPを掛け持ちしては言葉を垂れ流して、我ながら野蛮だったと思う。


そんな私だけど、気づいたらライフコーチという仕事をしていた。私はだいぶ、気持ちの出し方が上手になった。

ふとそう思ったから、書いてみることにした。


野蛮だった私


気持ちの出し方が野蛮だった頃。

中学高校は一貫校に通った。他の学年のことはよくわからないけど、先輩や後輩から聞くところによれば、私たちの学年は少々クセが強かった。

スクールカーストは6年間明確にあって、私は上でもなく下でもなく、中間の幅を行ったり来たりしながら過ごした。

周りの友達に、本音はなかなか話せない。特に最後の2年間は、本音で話すことよりも、クラスで生き残ることのほうが大事だった。


そんな体質が染みついたまま、私は大学生になった。

体質は染みついていたのだけど、大学の友人関係の特異さにほぐされて、私のコミュニケーションは変わっていった。

それに加えて手に入れたSNSというツールでは、携帯からいつでも自由に本音を垂れ流すことができる。

リテラシーもなく野蛮だった私は、SNSにいろんな気持ちを垂れ流していたのだった。


「書かない」になった私


野蛮だった私も、大学生を終える頃には「本音をSNSに書かない」ことができるようになっていた。

誰かに悟ってもらうために、SNSを使わない。マイナスな気持ちを、SNSに出さない。

この頃には幸いにも信頼できる友人ができていた。だから、本音は信頼できる友人にだけ聞いてもらえばいい。SNSにはキラキラしか残さない。

私のSNSは、私の人生のいい側面だけを記録したものになっていた。


気持ちの出し方が上手になった


そこから数年経って、昨年から学び始めたコーチング。私はだいぶ、気持ちの出し方が上手になったと思う。

例えば友人とのコミュニケーションでは、相手の話を聞けるようになった。

交戦的で議論を好む私も過去にはいたと思うけど、いまはじっと話を聞いて、「こんな考え方もあるよね」と話せるようになっている。


SNSの使い方も変わった。

いま私の考え方として、SNSにはマイナスな気持ちをまったく出さないのがいいというわけではない。時には出してもいい時や、出さないといけない時があると思う。

大事なのは、出し方とこめる思い。

ただただ不満や愚痴を垂れ流すことは野蛮だと、私の価値観では思っている。だから、書くとしたら何を伝えたいのだろうと、一旦立ち止まって考えるようになった。


こんな期間を経て、私は気持ちを出すのが上手になった。あくまで客観的にではなくて、主観の話。過去の私と比べての話。

ちょっと生きやすくなったと思う。

感じたことを出さずに閉じ込めるのではなく、ちゃんと気持ちは出しながら、しかも共感してくださる方と出会いながら、過ごせるようになったから。


今日はただただそんな話。私の過去と現在を見比べてみた話。

私の現在地の話。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️