コーチの私がカウンセリングを受けたら、エゴなのか期待なのか、よくわからないものがあった
ついさっき、3回目のカウンセリングを受けました。
今日のセッションはなんというか、「これだ!」という答えにはたどり着かないセッションでした。
手元に残った歯切れの悪いモヤモヤも含めて、これが継続してカウンセリングを受けるということだよなと思います。
▼前回の記事
前回の宿題
前回のセッションで話したのは、「私の中には過去の私が作ったアラートがあって、それをいまはもう鳴らさなくていいと声がけをしてみる」ということでした。
これは正直、とてもうまくいったと思います。
アラートとは、誰かとの関係性が第3者によって変わりそうなときに鳴るものでした。それも、私にとっては危機を感じる時に鳴っていました。
このアラートを、鳴らさなくていいと自分に声をかける。
やってみたら、周りの方との関係性の受け止め方が変わったり、例えアラートを止められなくても「そんなこともあるよね」と自分にOKが出せたり。
思っていたよりも、すんなり受け入れられたと感じています。
新たに生じたもの
でも、今回のセッションを見越してなのか、ただの偶然なのか、新たな嫌なものも湧いてきました。その1つが「誰かに対する優越感」です。
人間関係を築く時、「大事な場所を取られたくない私がいる」のは前回のセッションで言葉になったことでした。
そのアラートはそこそこ消せたように思ったのだけど、次は「関係性の中での優劣」を判断する私、「優越感」を感じる私が出てきたようです。
なぜこんな私がいるかといえば、前回に引き続きルーツは高校生。
スクールカーストを強く感じて、生き残り戦略を常に考えていた頃の私が作った人格の1つのようでした。
セッションでわかったこと
それで、セッション中に実はもう1つわかったことがあります。
それは「誰に対しても誠実でありたい」と願う気持ちの存在です。
これも、高校生の私にルーツがありました。
高校生の私は、時にはカースト上位の子にいい顔をして誰かを傷つけ、時には同様に誰かから傷つけられていました。
こんな思いはもう二度と自分にも誰かにもさせたくなくて、誰に対しても誠実で忠実でありたいと思っているようです。
これが結構厄介で、この矛先は私だけでなく他の誰かにも向いているようです。
最近、なんだか身の回りで急速に成り立っていく人間関係。そこで繰り広げられる会話を目の当たりにして、なんでこんな話をするんだろうと思うことがあります。
誰をも傷つけない話を要望するのは、一見すると誠実であるように思います。でも、一歩引いて見れば、自分の価値観を誰かに押し付けるエゴ。
そんなふうに、いま私の中にある感情を受け取りました。
エゴなのか期待なのか、よくわからないものがある
今日のセッションはここまでです。冒頭に書いた通り、明確な何かの答えが出たわけではないセッションです。
でも、それでいいんです。いまの私は。
自分ひとりでは向き合いたくなかった感情を言葉に出して、それがどんな経験からきているのかを明らかにした。これだけで、今日のところは自分に花束を贈ります。
こんな感じで、結果を求めすぎず、ゆっくりでもいいと自分にOKを出しながら向き合っていきます。
最後にカウンセラーの方からもらった、「自分を守る行動もOK」「まずは自分を守ること(その先で初めて誰かを守れる)」という言葉を大事にしながら。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️