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コーチの私がカウンセリングを受けたら、大事な場所を取られたくない私がいた

少し前からカウンセリングを受け始めて、先日2回目を受けました。

私は誰かと深い関係性を築くことにモヤモヤがあって、それはセクハラのトラウマが作り出している。

1回目ではこんな話をしたけれど、これは正直いままでもわかっていたことでした。

この先も、私はこのテーマと向き合っていく覚悟があるか。そんなことを考えながら終わったセッション。

結果的に2回目のセッションには心から満足しています。

▼前回の記事


2回目のセッション前に起きたこと


2回目のセッション当日、実はちょっと心がざわざわすることが起きました。

翌日に遊びに行く予定が少し変わってしまって、初対面の子が来ることに。これ自体はとっても些細なことなのだけど、私の心はざわつきました。


なんだか、思っていたような時間を過ごせない気がする。かといって、初対面の子に来ないでというのも違う。大人げない。

もともと会う予定だった方に、いまの私は全幅の信頼を置いています。だからこそ、「初めての子が来る=心が落ち着けない」とギャップを感じて、ざわざわとしていたようでした。


セッションで気づいたこと


今回のテーマは、前回のテーマ(関係性とセクハラのトラウマ)とはまったく違うもののように思えました。

実際出てきた話はどんどん乖離して、私が中学生・高校生だった頃にまで遡ります。


当時の私はスクールカーストの強いところにいて、日々危機感を感じていました。特に高校2・3年生の2年間は、疲弊したなと思います。


授業で起きる「○人で分かれてね」に、私はちゃんと混ぜてもらえるのだろうか。次の運動会や文化祭で、私はヘマをしないか。

でも、一番に私を苦しめていたのはこれだったようです。

明日のお昼ごはんも、こうして誰かと食べれるだろうか。


大事な場所を取られたくない私


私にとって、友達とは居場所でした。

お恥ずかしいことに、私はいま2人で会える中高時代の女の子の友達は1人しかいません。中高一貫だったし、同級生は300人いて、学年の2/5は女の子だったのに、です。

6年も一緒に学んだのに、いま2人で会える同性の友人は1人だけ。

なぜかといえば、友情よりも居場所を求めすぎるあまり、取り繕った私で過ごしていたからです。


この感覚は、30歳になったいまも、まだ私に残っているようです。

私がせっかく見つけた場所を、誰かに取られたくない。

だから、新しい誰かが輪に入ることを極端に警戒するし、実は自分の都合でタイミングを作ろうともしてしまいます。大変お恥ずかしながら。


高校生の私が作ったアラートは、いまでも機能しています。

でも、大人になったいまの私には、これは必要のないものです。


初回のカウンセリングを受けた時、一番いいのは行動をしてみることだと教えていただきました。

今回のセッションから私が選択する行動は、「そのアラートはもう鳴らさなくていいよ」「居場所の奪い合いではないんだよ」と、私に声をかけること。

でも、いままで10年以上持っていたものは急にはなくならない。だから、「そんなことない!」と心が反応した時は、「そうだね」と声をかけるのもいいと教えていただきました。


この行動をとってみて、私に世界はどう見えるか。劇的には変わらないかもしれないけど、いまはすっごく楽しみです。

こうやってトラウマを解いていきたいと思います。



7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️