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OnlyOneの生き方

こんにちは!aikoです。
初投稿から時間が空いてしまいましたが、前回の自己紹介の続編ということで今日はaikoの体験&キャリアについて略歴ですが少し綴りたいと思います。

01. 幼少期

人見知りながらもお友だちは沢山、幼稚園大好き。
自然の中で伸び伸び育つ٩(ˊᗜˋ*)و
好奇心旺盛、天真爛漫、歌うこと&おしゃべり大好き女児♥(≧◡≦)
昔話や絵本、世界名作アニメ劇場を好んで観ていた。
兄、従兄弟など周囲に男の子が多かったせいか遊びの幅も結構広く、見てる側からは危なっかしいおてんば娘(;'∀')

02. 小学生~高校生時代

小3~小6でいじめにあい、中3の時ある出来事をきっかけにフラッシュバック→不登校。(臨床心理士の先生と出会いスクールカウンセリングを受ける)
高校に進学するも高2で自主退学し、独学で大検(大学入学資格検定試験)に一発合格、短大を受験→進学φ(._.)
小~高校は、原因やキッカケは表面的にはそれぞれ違うけど根底は同じ。
曲がったことが大嫌い&正義感が強すぎると世渡り下手になるものです(இдஇ; )まだ子どもだったしー(இдஇ; )

03.進路

幼い頃から音大へ進学する夢を抱いていたが、いじめをキッカケにボロボロになっていった心と体゚・。(。/□\。)。・゚
カウンセリングをきっかけに自分を掘って掘って掘りまくりながら自分と向き合い、その他いじめや不登校、教師の在り方、取り巻く環境などあらゆる問題の根本や、子ども・大人問わず他人に危害を与えてしまう加害者の生い立ち、環境、立場、気持ちを想像、考えるようになり、次第に臨床心理士として心のケアをする仕事に就きたいと思うようになる。

しかし、その当時少年犯罪やいじめによる自殺などのニュースが社会問題となるくらい多く、それらを日常的に目にする。
そんな中、臨床心理士の先生と話したり、自分なりにそれらを分析し、幼少期の親子の愛着形成や人格形成期の重要性を強く感じたことから、まず最初に「幼児教育・保育」を学んだ後に「心理学」を学ぼうと決意する。(短大へ進学した後、4大へ編入を現実的な視野に置いて進学を決める)

04.短大~大学時代、ダブルスクール

大量の資料を大学から取り寄せ吟味し、自分にとってベストな環境・カリキュラムがある大学へ進学。短大幼児教育科を首席で卒業。
その後、保育士資格取得のため専攻科へ進学、専攻科卒業後、更に心理学を学ぶために大学3年次へ編入。

また、専攻科時代には集団保育とは別に「家庭保育」に関心を持ち、ダブルスクールにて「英国式チャイルドマインダーの資格」を取得。
子どもにとって家庭内で起きていることは良くも悪くも大きな影響を与え、それらは集団保育に関わる者としてだけではケア・サポートするには困難であると考え、あまりない形だが自分は母子、家族、それに携わる人達の中に入って、一見見逃してしまいがちな問題も家庭に近いポジションでケア・サポートしたいと考える。今思えば、私には根本にホリスティックな視点と考え方が昔からあったように思う。
その他、在学中から劇団四季の託児ルームや(実は一時期ライオンキングパンフレットに載っていた私(//∇//) )、その他施設や個人宅、依頼場所への訪問保育サービスをスタートさせる。

05.フリーランス時代、シンガー時代

大学卒業と同時に独立し、フリーランスで24H訪問保育・子育て支援事業をたった一人で開業。約7年半活動したが、椎間板ヘルニア発症のため泣く泣く閉業。
その傍ら、自分にとって幼少期からなくてはならない音楽の道で不登校時代から密かに動いていた。短大時代には某芸能事務所のオーディションに受かりシンガーとしても都内のLiveハウス、Bar、CLUB、アウトレットモール、イベント等に出演。音楽を通しても、作詞にしてもやはり伝えるメッセージは自身の活動と一貫している。

06. 海外短期留学&現地の家族関係・幼児教育を体験

27才、海外に住む友人や海外と縁のある人に不思議と度々出会う。
その中で海外に関心を持ち、背中を押され数か月後には単身カナダへ。
翌年にはNZへ渡り以前から関心のあった海外の育児、保育環境、家族関係を自分の肌で感じ学びたいと思い短期間ではあったがカナダ、NZともに5人子どもがいる家庭にホームステイしながら語学学校に通い、現地のチャイルドケアセンターやマザーズヘルプを経験。
異文化に関心を持つと同時に日本と海外の違いに目を向け、その後の価値観を変える気付きが多々生まれる。

07.オフィスワーカーとして働く

24H訪問保育・子育て支援事業閉業後、そして帰国後は、これまでの対人スキルなどを活かして日系、外資系、財閥、官公庁、法人、研究所、メーカー、金融、保険、教育、マスコミ、ベンチャー等々、あらゆる業界での就業する(派遣、正社員)。
職種は主に人事部にて採用・教育担当やメディア制作関連、海外赴任者サポート等に従事。
他にも、派遣社員やアルバイト経験としては約十数社程で営業、一般事務、営業事務、データ入力、飲食接客、イベント、ディレクション、倉庫作業、軽作業等々、あらゆる職種を経験。
これだけ色々なことをやっていると転職をする度、一貫性のない人、飽き性の人というレッテルを張られることも多々あったが、そんなの関係ねえ!w自身のルーツというか、直接話をすれば分かる人はすぐに分かってくれた。
ある意味、それらの経験があったから社会の構造や自分の向き不向きなどもわかった。今では多種多様の経験・体験は、私だけのOnlyoneの強みと言える。

そして、なぜ私が一か所に属さずこのような働き方を選択したかについては、様々な職種のママさんや家庭への訪問保育をしていた時に働くママさん達のサポートをする中で私自身が社会で働く女性の姿や存在をよくわかっていないということに気付いたことも一理ある。
「女性の企業内での立ち位置」や「女性の就業環境・社会の暗黙のルール」を私自身が実際に体験していないことには、働くママさん支援に限界があると感じたから。なので、偶然にも導かれるように人事に従事出来たことはその点からも組織を幅広く色々と知ることが出来た。
 

08.実際に企業で働いてみると

子どもの頃から観察力や洞察力が鋭く、周囲の変化や心模様にもとても敏感なことに加え、正義感が強く曲がったことが大嫌いな頑張り屋さん気質だったため、私は一般に「社会」と言われる日本の組織社会に違和感を感じることが多々あった。(これはある意味小学生~高校生の頃の私もそういった感覚からいじめや不登校、更に自主退学する流れになったこととも通ずる)

企業(組織)で働く中でとても生き難さを感じ、古い体質の残る日本社会の歪みや理不尽極まりないこと等を目の当たりにする度、本当に色々と感じることがあり、なんとか変革しようと日々奮闘しながら自他のバランスを取ろうと必死で常に戦闘モード(><)常に交感神経ON状態!(;´Д`A

ですが、そんなモードもいつまでも続くはずもなく、次第に「適応」という言葉の持つ意味に葛藤し、どうしたら不平等かつ理不尽な環境、あらゆる面で偏りが多い社会でストレスと上手くつき合いながら「自分らしく生きられるのか?」ものすごく日々日々模索し試行錯誤した。
そして、組織ってのは大きければ大きい程、個の力や少数派の声だけでは改革するのは本当に大変だし変わらないことを悔しくもつくづく実感する。
結果(働き過ぎ&ストレス超過多で心身ボロボロにもなり)、自分の居場所、適職、合う環境はここではないとやっと決心がつく。
要するに、自分が変わる道を選ぶ

 そして、これまでずっと貫いてきた信念と変わらずやりたい道があることを激しく再認識し、大きな組織に属さず、これまでの自身の体験経験スキルを活かして自分なりの生き方であらゆる人をサポートしていこうと退職を決意する。
 

09.無駄なことは一つもない

自身のこれまでの人生は「山あり、山あり山あり・・・、谷あり、谷あり谷あり山あり・・・」であったけれど、そのどこを切り取っても今となれば無駄なことは一つもないし自分に誇れる【Only oneの人生】だと自負している。
そして、そう思える根底には、、

あーーーーーーー、、、気付けばまた止まらなくなってたー!!!
アタ◝(´×д×`三꒪д꒪ ;)◜フタ アタ◝(´×д×`三꒪д꒪ ;)◜フタ
長くなってきてしまったので今日はこのくらいにしておきます。

こんな長文なのに最後まで読んでくださりありがとうございます。
これで略歴っていうのだから我ながら恐るべし!(꒪ꇴ꒪|||)
しかも冒頭「少し」って言ってたのに(☉ε ⊙ノ)ノ エッ?

この続きやその後に続く更なる経歴は、またの機会に綴りたいと思います。
貴重なお時間を使って読んで下さり感謝します(。uωu)ァリガトウゴザイマス♪

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