愛だの恋だの言うおっさん

男の人をこよなく愛するおっさんです ・人を好きになることの可笑しさや面白さ ・老母との…

愛だの恋だの言うおっさん

男の人をこよなく愛するおっさんです ・人を好きになることの可笑しさや面白さ ・老母との二人暮らしのしんどさ愛おしさ ・メンタルを患ってからリカバーするまで、その後の安定をキープするための奮闘 など 今後も細く長く書き続けるため、ひとことでもコメントいただけると励みになります

最近の記事

男がいないと趣味のひとつも持てやしない

 ファミレスに行ったとき、最後までメニューを決められない人ってどこにでもいる。大して好き嫌いやこだわりもないのに、延々とメニューを凝視して。そもそもファミレスのメニューに大ハズレなんてそうそうないし、もしも選んだものがイマイチだったとしても、「もひとつやな」とか言いながら食べてればいいのに。些細なことでも損したり後悔するのがイヤな、くだらないセコさが原因でいつも決断力に欠けている人、誰であろうそれは私のことである。  仕事で選択に迷う場面は多いけど、悪手を取っても自分の

    • 親の寿命と子の通信簿

       私の勤める薬局は、50年ほど前に造成された公営住宅内にあるため、90代以上の超高齢者の患者さんも少なくない。皆さん耳が遠かったり足がおぼつかなかったりするけれど、思考はクリアな方も多く、それだけで尊敬の眼差しを向けてしまう。  毎月目薬の処方箋を持って来てくれる91歳の女性。隣の市営住宅で独り暮らしのようだけれど、いつもシルバーカーを押して元気に来てくれる。私の母は現在76歳。母は15年後この女性と同じ歳になっても、同じように元気に居てくれることは難しいだろうなとつい比較

      • 芸術が教えてくれること

        半年ほど前からピアノを弾くようになった。取り立てて秀でたもののない平凡な人間なりに、芸術を楽しんでみたいと思ったのだ。 隣町の美術系高校の吊り広告に、こんなことが書いてあったのを思い出す。 「生きることは愛すること 芸術はそれを教えてくれる」 小学生の頃、ピアノを習い始めた姉が羨ましくなった私と妹は、続いてその門を叩いた。しかしながら結局、ふがいない私たち姉妹は、誰一人として弾けないまま現在に至っている。その間ピアノはリビングの隅で埃をかぶっていたわけではなく、私は大

        • 友達欲しさに、恋愛に手を染める

          友達が欲しくて欲しくて欲しくて仕方なかった。小さなころからずっと。 女きょうだいの中で育った私は、幼少期の大半を姉妹あるいは隣家の三姉弟に遊んでもらっていた。身内としか関りを持たずに育った私は、教室で仲間を作ることが苦手で、友達関係を上手く築けずにいた。小学生の頃は、できもしないのに野球の輪に入れてもらっては、デッドボールを避け切れずに泣いて帰ったりした。当時男子の間で流行っていた、ガンダムやキン肉マンに一切興味がなったから、共通の話題で盛り上がることもできなかった。暇を持て

        男がいないと趣味のひとつも持てやしない

          紫原明子さんを知っていますか   「大人だって、泣いたらいいよ    紫原さんのお悩み相談室」

           八年前、三十代前半でまだまだ世慣れていなかった私は、誰にも言えないことで、ひとり悩み苦しんでいました。大好きで大切だった彼氏からスキンシップを避けられるようになり、ついにはセックスを拒まれるようになってしまったのです。  NHKの朝の番組で特集が組まれる現在ほど、当時セックスレスは一般的にオープンな話題ではなかったですし、相手のあることなので、彼氏を知る友人には相談できずにいました。それでも恥を忍んで昔からの友人に相談しても、下手だからなのかな?どうしたら上手になる?色

          紫原明子さんを知っていますか   「大人だって、泣いたらいいよ    紫原さんのお悩み相談室」

          もしもあの日に戻れたら

           おなかが痛くてトイレに駆け込む。子供のころから腸が過敏で、ちょっとした心配事やストレスですぐにおなかを下す。おなかが痛いときは何かしらピンチに陥っている時なのだからか、普段は「結局神様なんかいねえよな」とか言っているくせに、トイレでだけは腹痛に身をよじりながら神様に祈ってしまう。  「おなか痛いよう、このところ辛い日が続くよう、神様しんどい、助けて……」  トイレの神様は毎日きれいにしてたらべっぴんさんにしてくれるって歌ってたけれど、他人の悪意や乗り越えられそうもない仕事

          もしもあの日に戻れたら

          ちょっと体重が増えただけ

           子供のころからやせている人に憧れていた。私自身は決して肥満児というほど太ってはいなかったが、ぽちゃぽちゃした自分のおなかが好きではなく、プールの授業ではひょろっとした手脚の子やまっ平らなおへそ回りの同級生を密かに羨ましく思っていた。  自分がぽちゃっとしているから、というわけでもないのだが、理想とする男のタイプも「ちゃんと食べてる?」って心配したくなるような、やせっちょで臀部にも肉がついてなさそうなにいちゃんおっちゃんばかりだった。  私自身は身体を動かすことは好きだ

          ちょっと体重が増えただけ

          踊り場に暮らす

           喉が渇いたら水を飲むように、尿意を催したらトイレに行くように、朝になったら目を覚ます。近くで小鳥が鳴いている。もう目覚まし時計をかけなくなってどのくらいになるだろう。機械音で睡眠の中から引きずり出されることに耐えられなくなって目覚ましを一切なくしたら、自然と朝の光で目が覚めるようになった。万が一寝坊してもまあそれはそれでいいや、と腹をくくってしまうと意外なほど寝過ごさない。  とはいえじゃあそこから機嫌よく朝の支度に移れるかと言えば全然そんなことはなく、鬱フェーズに入って

          うつ病って言えなかった

           ご多分に漏れず、時々生きることが辛くなることがある者の一人だ。いや時々ではない、結構な期間、周期的にダメな時期が来る。私は双極性障害があるらしく、いわゆる躁うつ病の一種ということなのだ。~らしく、~ということなのだ、などと回りくどい表現をついしてしまうのは、長きにわたってこの病気にかかづらわっているのに、未だに自分のものとして捉えられていないせいなのだろう。  十何年以上もかけた治療と投薬のおかげで、それなりの社会生活は何とか送れている。朝起きて夜きちんと眠ること、日

          うつ病って言えなかった

          がまんした涙 ため池 そっと放してやりたいけれど

           親水公園で泣いてた子、さっきまでの賑やかさが嘘みたいにすやすや寝てる。僕もよく泣くすぐ泣く子どもだったけど、子供が人前で泣かなくなるのって何歳からなんだろう。大きくになるにつれて、感情に任せて涙を見せずに生きていけるようになるけど、これっていつからなのかな。  そう言えば僕も泣き虫だったけど、いつの間にか全然泣かなくなってた。僕らの子供の頃は「男が泣くのは親が死んだときくらい」とか言われていた時代だったから、そういう雰囲気も影響してたのかも。泣かないということは弱小な自分

          がまんした涙 ため池 そっと放してやりたいけれど

          面白れぇヲカマ、って言われたかった

           私は見た目もぼんやりしているし、これまで運動神経も良かった試しがない。関西人ノリでボケられても、瞬発力がない上そもそもそれがボケなのかどうかの判断もつかない私には、上手いツッコみで返すことなど至難の業だった。  そんな際立った特長もない私が全市共通小学生読解力テストを受けたとき、校内で唯一の満点を取った。元々勉強は得意だったけれど、皆の中でナンバーワンと賞賛されるのは初めてのことで本当に嬉しかった。だからというわけでもないが、人づきあいが苦手で独りでいる時間が多い私は、小さ

          面白れぇヲカマ、って言われたかった

          手をつないで

           その日私は、彼氏と明石で玉子焼き(明石焼き)の有名なお店に来ていた。左利きの彼がオーダー用紙に記入するのを見て、ふと昔のことを思い出した。  江國香織の小説にいた、彼氏と手をつないだまま食事ができるよう、左手でごはんを食べる練習をする女の子。江國香織らしい何とも独特で浮世離れした世界観に笑ってしまったけれど、現実世界の私にとっては恋人と手をつなぐということはもっと現実離れしたできごとだった。  あの頃若いゲイは、いや若くないゲイだってみんな二丁目や堂山や木屋町のゲイバー

          セックスは友達のはじまり

           「今家を出ました、30分後には着くと思います」  「了解しました」  私たちの交わすLINEは極めて事務的だ。スマホをポケットに仕舞い深夜の空いた国道を飛ばす。  SNSで知り合ったのはずいぶん前のことだが、私たちは名前、年齢、職業やパートナーの有無さえ互いのことを何ひとつ知らない。私が知っている彼は、潔癖で神経質でシーツはいつも清潔で皴ひとつないこと、童顔に釣り合わず臀部、臍から胸にかけて毛深くて、右腋の奥とお尻の内側に双子のほくろがあること、乳首に最も敏感に反応して

          セックスは友達のはじまり

          弱小な私だって、いつかは立ち向かわなくてはいけないから

           Twitterで起業家さんや名前の後ろに「@●●を△△に!」「@▲▲を□□の力で解決するひと」みたいなのをつけてる人たちの、ちょっといい言葉をやたらとイイねする人をうっかりフォローして以来、私のタイムラインはずいぶん屈強な言葉で溢れるようになってしまった。  そうは言ってもTwitterというプラットフォーム、賢い人たちは前向きな言葉だけを並べているわけではなく、みなさん過去の挫折や立ちはだかる困難なんかも、ユーモアを交えながらつぶやいておられる。いずれにしても今の私には、

          弱小な私だって、いつかは立ち向かわなくてはいけないから

          いつまで拗ねているつもりなのだ

           朝、母の朝食用のパンを買って帰ってきた途端、衝動的にパンの入った袋をキッチンに投げつけてしまった。焼きたてのパンたちは有料レジ袋に入ったまま壁にぶつかり、静かに床に崩れ落ちた。  袋の中のパンが無事なことはわかっている。今日買ってきたのはプラスチックパックに入ったミックスサンド、ホットドッグ、レーズンくるみパン、バナナデニッシュ。多少の変形はあれど、どれもこの程度の衝撃で潰れるほどやわなパンではない。  私はわかっているのだ、この衝動の原因を。パンはまだそこそこあるのにわざ

          いつまで拗ねているつもりなのだ

          私と母の8050問題

           いつも通り遅く起きてきた母がリビングに来るなり、「朝刊あらへん。」と言う。 ああ、今朝はまだポストを見に行ってない。でも私は母が起きてくる前に洗濯物干して風呂掃除して昨晩洗った食器を片付けて朝ごはんを食べるところだ。見るヒマのない朝刊のことなんか忘れている。私は瞬時にカッとなって「あらへんかったら取りに行ったらええやん、もう!」と言って踵を返してポストに向かう。  45歳独身の私は今、実家で75歳の母と暮らしている。母は重度の糖尿病で人工透析を受けており、両膝とも人工関節