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セックスは友達のはじまり

 「今家を出ました、30分後には着くと思います」
 「了解しました」

 私たちの交わすLINEは極めて事務的だ。スマホをポケットに仕舞い深夜の空いた国道を飛ばす。

 SNSで知り合ったのはずいぶん前のことだが、私たちは名前、年齢、職業やパートナーの有無さえ互いのことを何ひとつ知らない。私が知っている彼は、潔癖で神経質でシーツはいつも清潔で皴ひとつないこと、童顔に釣り合わず臀部、臍から胸にかけて毛深くて、右腋の奥とお尻の内側に双子のほくろがあること、乳首に最も敏感に反応して円を描くように舌を這わせると寡黙な彼もこの時は声を漏らすこと。

 寝室は高級なビジネスホテルのように飾り気なく調和しており、間接照明の仄暗い部屋にはわずかに香油のような匂いがする。挨拶もなく部屋に入ると私たちはゆっくりと唇を重ねる。舌を絡ませながら脱がせやすい互いの着衣に指を掛け、床に投げ散らかす。
 年下だが主導権を取るのはいつも彼の方だ。私はそっと下に導かれ、本当はすぐにでもそこに辿り着きたいくせに、促されるままにという素振りで口に含む。でもそんなお約束もそこまで、互いの性器に触れてからは憚ることなく声を漏らし全て放り投げてあられもない表情で互いを求め合う。
 射精あとはぬるりとした互いの体液を拭き取り、静かに横たわって紅潮した身体が冷めてきたところで次第に帰り支度を始める。
 
 他の人たちもセックスをこれくらい希薄な関係で楽しんでいるものなのだろうか。私はいつか互いのセックスに飽きてきた頃セックスしないフレンドにならないかな、と思っている。帰るまでの短い時間、柔らかくなった空気の勢いに任せて少し言葉を投げかけてみた。甘い気持ちになって顔の愛らしさや気持のいい身体を褒めてみる。どこか彼の機微に触れるかもしれない。私にとってセックスは友達の始まりなのだ。

 これまで付き合ってきた人たちとは、別れた後も何らかの形で繋がっていることが多かった。別れた相手とは一切連絡を取らないと言い切る友人は結構多いけれど、よっぽど酷い別れ方をしたのでなければもったいないなと思ってしまう。本人も自覚していない美点、忌避すべき食べ物や話題なんかも互いに熟知しているのに、恋愛関係が終わったからってすべて無に帰してしまうのは惜しい気がする。

 私はいじめられていた訳でもないのに、友達のいない子どもだった。だから中年になった今も友人関係を維持することに熱を注いでしまうのかもしれない。小学生の頃は姉妹やその友達、隣に住んでいる少し年上の三人姉弟に遊んでもらっていたけれど、彼らも中学生になる頃には同い年の友達たちと遊ぶようになり、私はひとり家で進研ゼミばかりしていた。同学年の友達と遊ぶのが苦手で、特に野球のような複数人との関係性の上に成り立つ遊びはからきしダメだった。運よくボールを捕ってもどこへ投げたらいいかわからないし、デッドボールを避けることさえ知らずたんこぶを作って泣きながら家に帰ることもあった。未だにどこに投げれば相手を刺せるのか、味方を守れるのか、よくわからないままボールを投げている。

 他人と一から人間関係を作るのが苦手。だからこそ部活や生徒会、サークルなんかで中心的な役割を引き受けては、皆と手間や面倒をトレードをすることで周りとの人間関係を作っていった。いつの間にか私はこうやって友達を作る方法論が確立していった。

 そうは言っても大人になると一から友達を作るのは難しい。仕事関係の人たちとは利害関係が発生するため気の置けない話はできないし、そもそもこの歳まで独身で老親と同居している私と価値観近く話ができたり、共感し合える人など生活圏内にそうそういない。ましてやセクシャリティが違えば前提となる考え方も異なることがほとんどだ。
 だったら手っ取り早くゲイ同士つるんでは明菜の現状を案じたり、吉原炎上の西川峰子や疑惑の桃井かおりのモノマネの似てなさを争ったり、人知れず仲間由紀恵withダウンローズ結成15周年を祝ったりしてるほうがずっと楽しい。

 ゲイの内々で汎用される慣用句に「ふだんはノンケ生活っす」というのがある。これはふだんゲイらしいイベントもラッキースケベもなく、見た目ヘテロの人たちと変わりのない生活をしています=しばらく殿方との色恋も御座いません、という清純アピールだったりするのだが、言外に俺はゲイ同士ばかりでつるむ世界に染まり切っていないし社会人としてまっとうに溶け込んで生きてますよという意味合いも含んでいたりする。

 しかしながら男は一国一城の大黒柱として立身出世を目指すべきだ、という往年の価値観が崩れた今、嗜んでおくべき普通っぽさなど私には何の役にも立たなくなってしまった。そんなことより私は残りの人生孤独感に苦しまずにいられる友達が欲しいのだ。
 人生の佳境を迎えたときに寂しく生きていたくない。子どもの頃からずっとそんなことを考えてきた。幼い頃は、もし親が死んだら孤独に苛まれて絶対に生きていくことなどできないという考えに取りつかれ、気が狂いそうだった。だから大人になってからは人並みに給料をもらっていても過剰に倹約して生活費をとことん切り詰め、老後金銭的に困らないよう闇雲に蓄えに回すことに躍起になっていた時期があった。
 それでもやっぱり地域医療に関わる仕事をしていると、現在比較的潤沢な年金をもらっているご老人でも、行き場のない寂しさを抱えている人は少なくないと感じる。

 私が今持っている預金、証券、そのうち相続するであろうごくわずかな遺産、それとは別にもし独りになったときや鬱に陥った時、「大丈夫?動けるか。」「一緒に病院行こうか?」と気にかけてくれる人、万が一急に無職になって行き場がなくなってしまったとき「うちでごはん食べていきなよ」「家が決まるまで少しならウチにいていいよ」と言ってくれる人、実際これまでそんな風に声を掛けてくれたことのある人たちを思い浮かべてみる。ゆう君、わんちゃん、ヴィヴィアン...うん、きっと何人かはいる。あくまで現時点では、だけれど。
 子や孫がいたからと言って老後の安寧が約束される時代じゃないけれど、そもそも最初からその選択肢が存在しない私にとって、もしもの時に手を伸べてくれる友人がいると思えることは、それだけで大事な資産だ。

 もうずいぶん前だが、あるSNSの同業者ゲイのコミュニティで、歳をとったらみんなで住めるゲイのケア付き集合住宅を作りたいね、なんて夢物語を話していた。各自の医療介護系のコネクションをたよりに、まるで映画「メゾン・ド・ヒミコ」のような緩やかな共同体を思って。
 でもやっぱりそんなのはまだ形になっていない。その後はコミュニティを主宰していたカップル二人の共通の愛人として短い間寵愛を受けたあと、今は距離を保ちつつも時折同業者として情報交換やヘルプを出したりしている。だからだろうか、別れたあと全くの疎遠になるなんてもったいないなって思ってしまう。袖振り合う以上のことしたんだし、だったらもっと楽しもうよ。

 件のセフレ宅からの家路、運転中いつものタイミングでLINEが入る。「ありがとう」「よかった」「またね」。無機質ながら会う前より気持ちの動きがほんの少しだけ言葉に交じる。僕らは快楽だけを求めてこうやって会っているしそれで十分、他人の気持ちを自分の資産にしようだなんてこともちろん考えないけれど、これまでの経験上きっと関係性はこれからどんどん変わっていく。体目当てから心を目当てに、とかあり得るだろうか。そういう気持ちの移ろいを考えるのって軽薄でちょっと悪趣味で、でも面白いなって思う。気味の悪い思い出し笑いをしながらひとり、ミラーに映る自分の着衣に乱れがないか確認する。信号が青に変わった。慌ててアクセルを踏み込み、年老いた家族が眠る家を目指す。

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