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面白れぇヲカマ、って言われたかった

 私は見た目もぼんやりしているし、これまで運動神経も良かった試しがない。関西人ノリでボケられても、瞬発力がない上そもそもそれがボケなのかどうかの判断もつかない私には、上手いツッコみで返すことなど至難の業だった。
 そんな際立った特長もない私が全市共通小学生読解力テストを受けたとき、校内で唯一の満点を取った。元々勉強は得意だったけれど、皆の中でナンバーワンと賞賛されるのは初めてのことで本当に嬉しかった。だからというわけでもないが、人づきあいが苦手で独りでいる時間が多い私は、小さい頃本をよく読み、中学校では図書委員長も務めていた。

 高校には理系で入学したが、国語の担当教諭は現代文の活用も古文漢文の読み解きも、情感に流されずロジカルに整理して教えてくれる人だったので学ぶのが楽しくなり、理科数学より国語のほうがずっと成績が良かった。
 結局は理科系の大学に行ったのだが、それまでの経験の中で文章を読み書きすることは自分の中で小さな自信の核になっており、その後の人生においてもちょっとした文章を書く機会、例えば近しい人に書くお礼の手紙、メールやメッセージでコンパクトに要点をまとめて伝えること、ブログや内輪のメールマガジンでクスリと笑ってもらえるような小品を書くこと、そんな些細なことが得意であると自負していたし、そのようなことをするのがとても好きだった。
 働き始めてからはメールの文面に矛盾や齟齬を生むような表現がないか事前確認を依頼されたり、文書の簡単な校正、申請書類のQuality Controlの担当などが自然と回ってくるようになった。こことここの語順を入れ替えれば、この表現を少し変えればすっきりと理解しやすくなるな、そんな些細なことを改善するだけで、大したことのない作業にもかかわらず喜んでもらえたり感謝の言葉をいただいたりするのはとても楽しい経験だった。自分の得意なことで頼られるというのは他には代えることのできない悦びだ。だが私にとってはそれ以上に、書いたものを読んでもらうこと、それを褒めてもらうということは単なる快感以上のものがあった。
 私は、自分が書いたものはまさにそれが自分自身だと思っている節がある。書いたものは私を映す鏡とか私の一部とかではなく私そのもの全部なのだ。だからそれを読まれることは私を読まれること、褒められることは私自身称えられていることだと混同してつい喜んでしまう。

 だからこそ私は昔から、そんな蛮勇な行為である文章を書くことを生業とする人たちにとてつもない憧れを抱いていた。委員長として図書準備室に籠って児童小説や青春小説、推理小説などを読み漁りながら、どうやったらこんな発想が、こんな文章が書けるのだろうと作家さんたちを異世界の天才のように感じていたし、実際今もそう思っている。文章を書くことに対する憧れはあるけれど、これはごく一部の才能溢れる人たちにのみ許された職業で、私なんかが挑もうとしたら生活などしていけない泥沼に嵌まり、最終的にはホームレスとして土手の下で野垂れ死ぬしかなくなるだろう、とすぐにその気持ちを打ち消した。ただ、諦め切れない思いからか卒業文集では「将来の夢:詩人」とかおまえ意味を解って書いているのか?と当時の自分に問い正したくなるようなことを書いていた。

 そんな私も大人になってゲイコミュニティにどっぷり浸かるようになると、多少は反射神経が磨かれてキツめのつっこみも返せるようになり、テレビで観るいわゆるオネエの毒舌のような、ペラペラで楽しくて内輪受けに最適な会話を人並み、そこらのゲイ並みには展開することができるようになった。でも本当に面白い人は山のようにいて、私はその中でたゆたうだけで十分楽しかった。その中で出し抜いてやりたいと思っていたわけではないのだけれど、その楽しい人たちの中で「おもしれーヲカマ。」って一目置かれたい、話すことを通じて自分を表現することが不得手でも、書くことで私の面白さや可笑しさを発揮できないかなとぼんやり考えていた。

 そんな気持ちを抱えながら仕事で文書作成について多少関わる時期もあったが、自分の意志で文章を創作するということはほとんどしてこなかった。それは持病のせいで安定したコンディションとモチベーションを保てないせいであり、私にはそのような才がないという決めつけであり、書いたところでそれを読んでくれる人などいるわけないという諦めであった。
 文章を書くことがちょっと得意だと思っている中年男として、でも日々代わり映えのしない仕事をしながら既に人生の後半を過ごしていたある日のこと、異世界の天才だと思っていた人のひとり、エッセイストの紫原明子さんが文章を添削してくれるという会を見つけ、逡巡の上入会した。入会後半年は何も書けず悶々としていたけれど、最初の下手くそな原稿を提出してからはスローペースながらようやく書き続けることができるようになった。

 会に入ってからの一番の転機は、同じ会の中のメンバーで、プロのライターとして第一線で活躍されている方に、私の原稿を褒めていただいたことだった。その原稿はセクシャリティに関わるもので、その世界の外側にいる人にとってはキワモノとも読める文章であったが、紫原さんにもそのメンバーの方にも、物珍しさではなく筆致や視点を評価していただいたことが嬉しかった。紫原さんには毎回優しい言葉で褒めていただきつつ本質を突いた指摘や提案をいただき書くことのモチベーションとなっているが、インタビュー記事やニュース記事など紫原さんとは畑違いの分野で実際にプロとして面白い記事を書き続けておられるライターさんからも心から「あなたの文章、すごくいいよ!」ってメッセージをいただけたことはその後書き続けることの励みになっている。

 その後家族をテーマにした文章に思った以上の反響をいただき、SNSを通じて敬愛する漫画家さんや編集者さんに評価のコメントをいただくことができたのは驚きとともに幸福な経験であった。また有名無名を問わず様々な人の目に触れ、色々な形でリアクションを得ることができたのは本当に嬉しかった。私には楽しいと思ってやり続けている、と胸を張って言えることなど何もないと思っていた。だからこれまでずっと色々なことを言い訳に、書くことに挑戦することから逃げていたけれど、結局自分の行きつくところはこれしかないのだと思わせてくれるもう一つのターニングポイントになった。

 書き続けると、色々なことが見えてくる気がする。さすがに今から詩人にはなれないかもしれないけれど、少なくとも以前のように書くことを自分の生業のひとつにすることは絶対に無理な夢物語だとは思わなくなったし、たとえそのトライアルに失敗したからと言って土手の下で野垂れ死ぬこともそうそうないだろう。たぶん。
 紫原さんの主宰する会の目指す、自分と世界とを“自分自身で”掘り深めていく、にはそぐわないかもしれないけれど、いつかは書くことも含めて身を立てられるようになりたい。自分だけの劣情を詳らかにしていく中で、見知らぬ隣人が「それは私の話だ」と思うようなものを書いていきたい。そんな夢を静かに抱えて今日も遅れに遅れた原稿を書いている。

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