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親の寿命と子の通信簿

  私の勤める薬局は、50年ほど前に造成された公営住宅内にあるため、90代以上の超高齢者の患者さんも少なくない。皆さん耳が遠かったり足がおぼつかなかったりするけれど、思考はクリアな方も多く、それだけで尊敬の眼差しを向けてしまう。
 毎月目薬の処方箋を持って来てくれる91歳の女性。隣の市営住宅で独り暮らしのようだけれど、いつもシルバーカーを押して元気に来てくれる。私の母は現在76歳。母は15年後この女性と同じ歳になっても、同じように元気に居てくれることは難しいだろうなとつい比較してしまう。
 
 母は週3回人工透析を受けながらも、一部介助を受ければ身の回りのことは何とか自分でできている。それでも年々、いや月単位で、母自身ができることの範囲が狭まっている。横になって体を休めている時間も長くなっているようだ。
 2022年に発表された日本人女性の平均寿命は87.57年。平均寿命まであと11年。それまで元気で生きてあげさせられるだろうか。
 
 20年近く前に亡くなった父は、アルコール依存があった上、長年働いていた会社を一言の相談もなく辞めてしまう困った人だった。その上退職後に始めた事業を軌道に乗せられず、晩年はずっとふらふらしていた。
 母の稼ぎは決して多くなかったが、継続して働きながら家を維持してくれていた。私たち三姉妹が道を外れることなく成人できたのは、お金の面だけではなく、母が安定した家庭を保ってくれたおかげであると感謝している。
 だからというわけではないが、長男で終身独り身が確定している私が、必然的に母の最期をケアすることになるであろうな、ということは幼い頃から何となく覚悟していた。
 
 10年ほど前、母が体調を崩して独居が厳しくなったのを機に、私は実家近くに異動を希望し、母と一緒に暮らし始めた。父という共通の敵がいた歴史のある分、母と私たち姉妹の関係性は元来良好であったが、やはり長く一緒に暮らすとここそこに不満も出てくる。ありふれてはいるが、家事のやり方、節約に対する考え方、買い物の中身と量、そして何より母自身の体調管理について。
 母は長年の生活食事習慣の乱れが主因で数十年糖尿病を患っており、その間何度も何度も教育入院やリハビリ目的の老健施設への短期入所を繰り返してきた。感染症で緊急入院すると聞いて、職場から駆け付けたことも、帰宅したら低血糖発作を起こしていて慌てて救急車を呼んだこともあった。壊疽を起こしてしまった両足の第二趾はもうない。手術のたび涙を流して心を入れ替えて頑張ると言っていたのに、夜中トイレに起きると、餅やトーストの香ばしい匂いが充満していることも、十回や二十回ではなかった。
 
 長生きしてほしい私たち姉妹が強く言えば、そのたびに母は反省するのだけれど、結局食べることをやめられない母は菓子パンなどを部屋に隠して、私たちの目を盗んで食べる。
 盗み食いを経験したことのある人ならわかると思うが、そんな風にして食べる時は、決して「おいしいなあ」、と味わう幸せな食事じゃない。だから妹と話し合って決めた。何をいつ食べようとそれは母の選んだ人生だから、間食について責めたり言及するのはもうやめようと。
 結局今も唐突な深夜の食事はなくなっていないけれど、せめて楽しんでおいしく食べていてほしい、と思うようにしている。
 
 そうは決めたものの、全て割り切れるものでもない。私は詰め込み教育を受けた世代の末裔として、定期テストでは最低でも平均点以上は取らないといけない、といった刷り込みが今もある部類の人間だ。自分の母親についても同様に、自分がケアしているんだから、せめて平均寿命までは生きてもらわないと落第、みたいな風に考えている節がある。だいたい自分の親の寿命を自分の評価と同一視するなんて、どう考えてもナンセンスだ。そんな考え方、自分でも明らかにおかしいことはわかっている。結果的に母が機嫌よく長生きできたとしても、逆に母や私の思うような最期を迎えられなかったとしても、いずれにせよそれが生涯を全うしたということだ。自分がどれくらい生きられるのかさえ自分で決められないのに、親のそれをコントロールできるだなんて思い上がりも甚だしい。
 それでも私がそのように感じてしまうのは、きっと母の死後、「でも寿命までは生きてくれたんだから、私も頑張ったよ」って誰にではなく自分に言い訳したいからなのだ。
 
 私は偏差値教育真っ只中、他者との比較という評価軸で生きてきた団塊ジュニア世代の人間だ。母親の年齢と平均寿命と比較することは、もっと健康に気をつけてやれば、ストレスない生活を送らせてやれば、という後悔を贖うための免罪符、あるいはケアする者の通信簿だと思い込んでいる。
 そしてその偏見は返す刀で自らにも向けていて、私たち壮年の人間は迷惑をかけずピンピンコロリと逝くべきだ、という同調圧力で自縄自縛していたりもするのだ。


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