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芸術が教えてくれること

半年ほど前からピアノを弾くようになった。取り立てて秀でたもののない平凡な人間なりに、芸術を楽しんでみたいと思ったのだ。
隣町の美術系高校の吊り広告に、こんなことが書いてあったのを思い出す。
 
「生きることは愛すること 芸術はそれを教えてくれる」
 
小学生の頃、ピアノを習い始めた姉が羨ましくなった私と妹は、続いてその門を叩いた。しかしながら結局、ふがいない私たち姉妹は、誰一人として弾けないまま現在に至っている。その間ピアノはリビングの隅で埃をかぶっていたわけではなく、私は大学生になって合唱団に入ったのをきっかけに、リベンジを目指して再度ピアノ教室に通い始めるようになった。自分では連日頑張って練習してレッスンに臨んでいたつもりだった。だがそれでも先生に、「もうちょっと練習して来ないとねえ」と言われるようになってからは、自分にはやはりピアノは不向きであると諦めがついてしまい、それ以降ピアノから遠ざかるようになってしまった。
 
そこからさらに二十余年が経ち、相変わらずピアノが弾けないまま、私は社会人合唱団に入団した。ここ数年はコロナ禍で合唱に対する風当たりも強く、練習もままならない状況下団を離れていく仲間も増えていた。そんな中、仲の良い団員が駅のストリートピアノで連弾する姿がテレビで放映されるのを見た。その番組では友人たちの演奏の他、コロナ禍の中ひとときの安らぎを求めて弾くエッセンシャルワーカー、愛する人を早くに失った苦しみの中から、ピアノを杖にここに至るまで再生した信金職員などがナレーションなしで淡々と映し出されていた。心の中で眠っていた何かが疼くのを感じた。何かを抱えながらも、彼らがみな軽やかに演奏する姿に心を奪われた私は、この頃から心のどこかで、自分もあのように市井の一人として音楽を楽しみたいと感じていたのだと思う。
ほかにも原発事故後仕事を失った東北の漁師が、時間を持て余してピアノを始め、一日十何時間も練習して最終的にフジコ・ヘミングと共演した話、ショッピングモールや街角のピアノ演奏から火がつき、たくさんの人たちを励ます存在となったハラミちゃんをはじめとするYouTuberたち。そんな小さなトピックたちが、無意識のうちに私の心にざらざらとちいさな引っ掛かりを残し、夏の終わりのある日、私は導かれるかのように楽譜専門書店の棚の前に立って、初心者用の基礎の基礎の曲集を選んでいた。
 
話は変わって数カ月後、私は様々な巡り合わせを経て、まだ暑さの残る奄美大島の田中一村美術館に来ていた。ここに来るまで、私は田中一村という人のことを一ミリも知らなかった。レンタカー屋のおばちゃんに勧められたけれど、美術館は見るだけでエネルギーを消耗して疲れるんだよな、と迷っていた。
でもやっぱり地元の人の教えは頼ってみるか、と行ってみるとまさにそれは正解で、懸念は杞憂に終わった。
田中は自らの描きたい、描くべきものを探して日本を転々とし、ついには全てを投げ打って奄美の地に辿り着いた。この地で花、鳥、草、木など繊細で美しい自然を描き続け一生を終えた画家だという。展示されている数々の絵を、細部まで目を凝らす。緻密な墨絵の一筆一筆のむこうに、身を削るようなストイックさが垣間見える。過不足ない美しい自然がただ描かれた作品たちは、田中が生活すべてを芸術に注いだことの疑いのない証左であった。一方で、この艶やかで麗しい草花や鳥たちの作品群を眺めながら私は、相反する感情が染み出してくるのも感じていた。
田中にとっての芸術人生は苦悩の連続だけでなく、禁欲的とも言える精巧な自然世界を描くことが、逆に彼自身の慰みになっていたに違いない。四方の隅々に至るまで凛と張り詰めたその表現世界は、優しい視点で奄美の大きな自然を捉えた、と収まり良く評するには違和感が残る。私はその反対、このひりひりとした野性世界の緊張感の向こう側に存在する微かなあたたかみを感じた。静謐な森の草に止まるモノクロの蝶、しなる花。こんなシビアな世界の中にも、彼は安らぎを感じていたのだ。これら美術表現を通して、この世界はただ美しいものであると田中は信じている、そんな風に思えた。
  
興奮冷めやらぬまま、私はミュージアムショップで来年の田中一村カレンダーと黒糖シャーベットを求め、なかなか解けない氷菓を少しずつ掬いながら、来年眺め続けるであろう美しいカレンダーの絵たちを味わった。旅が終われば家でまたピアノが練習できる。楽譜書店で選んだ曲集のタイトル、「わたしはピアニスト」。
楽譜を見て独り練習している分には楽しいだけの存在だったけれど、連弾でテレビに出た友人が指導してくれるようになってからは、音楽に向きあう心持ちがまた変わってきた。研究職に就きながら、アマチュアピアニストとして演奏活動する彼のレッスンを受けていると、普段見せる人あたりの良さそのままに、時折指導者としての信念や、芸術に向き合う真摯さに触れることがある。和やかな練習の中、自然と姿勢を正してしまうような、知らぬ間に横面を張られたようなひやりとした心持ちになる。
全く及ぶところではないけれど、私も田中一村や彼を倣って、地道に芸術を楽しみ続けたい。レッスン後の反省会を兼ねた飲みの場で、また大学生のときのように「もうちょっと練習して来ないとねえ……」って言われないよう、たくさん弾きたいと思う。
 
生きることは愛すること 芸術はそれを教えてくれる

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