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がまんした涙 ため池 そっと放してやりたいけれど

 親水公園で泣いてた子、さっきまでの賑やかさが嘘みたいにすやすや寝てる。僕もよく泣くすぐ泣く子どもだったけど、子供が人前で泣かなくなるのって何歳からなんだろう。大きくになるにつれて、感情に任せて涙を見せずに生きていけるようになるけど、これっていつからなのかな。

 そう言えば僕も泣き虫だったけど、いつの間にか全然泣かなくなってた。僕らの子供の頃は「男が泣くのは親が死んだときくらい」とか言われていた時代だったから、そういう雰囲気も影響してたのかも。泣かないということは弱小な自分を克服できた証拠で、涙を見せない自分は強い人間だって思い込みたかったんだよね。おとんが亡くなった時も、葬儀でも焼き場でも、結局最後まで涙は零れなかった。

 しばらく涙を流さなくなると、涙が溢れそうなシチュエーションでも意地になって必死で泣くのをこらえてた。感動的な映画を観ても、本当に悲しい出来事が降りかかっても、別のことを考えて気を紛らわせたりして、意固地なほど涙を避けてた。人前で泣く人を心の中で小馬鹿にしながら、僕はそんな人たちとは違う強い男です、って言い通すために。そうやって歳を重ねて頑固になっていくうち、涙を流さないだけじゃなくて、いつの間にか素直に打ち解けることもできなくなってた。

 本当に好きで好きでたまらなくて、傍に居られるならその手に触れられるなら何でもします神様、って思い詰めるほど好きな人がいたんだよね。でも思いを告げる直前に、その人に彼氏ができたことを知ってしまった。いい友達のままでいたいんだったら、告白なんか絶対すべきじゃなかったけど、思いを伝えるだけでいい、って一方的に告白して、当たり前のようにふられてしまった。告白のあと「やるだけのことはやった」「新たな気持ちで仕切り直そう」といった清々しさもなく、焼け野原のような気持ちのまま、涙も流せないままここまで来てしまった。あの時泣けなかったからじゃないけど、伝えた気持ちは行き場のないままに胸の奥に仕舞われたまま。涙を我慢するときみたいに胸の奥の紐をグッと締めておかないと、今でもあの時の気持ちが溢れてしまいそうなのにね。
 三年経った今も、僕らはずっとぎくしゃくしてて、以前みたく何気なく言葉を交わすこともできない。

 私僕と同じゲイの友人、ブリ江も同じ轍を踏んだって。相手がヘテロセクシャルで望みがないことは承知した上で、どうしても気持ちを伝えたくて、仲の良かった同僚に告白したんだ。その後も話はするけれど、やっぱり以前のようには話せないって。告白前に一度相談してくれたとき、僕と同じような思いするんじゃないかって、気持ちを打ち明けること勧めなかったんだけれど、それでも伝えずにはいられなかったんだ。本当は仕舞っておくべき気持ち。そうすれば僕もブリ江も今でも相手と安寧に過ごせていたはずなのに。

 涙をこらえていたとき、表面張力いっぱいまで我慢した涙は、その後どこに消えて行くのかな。

 本当は僕も泣きたかった。大人になって悲しい苦しい辛い、でもそんな気持ちを表に出すことができないときはいつも、いつもみぞおちの上、心臓の底あたりのため池、重い水が溜まっている。
 そこに溜まっている流せなかった涙と、澱のように底深く沈んだ思い。今日みたいに暖かくて穏やかな日は、滔々と静かに流れる河にそっと放してやりたい。何年も何十年も密かに仕舞いこんでたものだから、ほんの少しずつ。そっと、そっと。

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