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一族に息づく、河井寛次郎の美の精神。シンプルな言葉に生きる力が湧く ~NHK日曜美術館~

こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。

NHK日曜美術館

わたしは、NHKで放映されている日曜美術館を毎回録画しています。
気になる展覧会や芸術、アートは色々ありますが、その全てに出かけて行って観ることは叶わないため、こうしてテレビでじっくりと鑑賞できる機会は貴重です。
今回は、陶芸家の河井寛次郎。「美は喜び 河井寬次郎 住める哲学

無位無冠の「生涯一陶工」河井寛次郎の家

河井寛次郎は日本を代表する陶工、陶芸家。人間国宝も文化勲章も辞退し、無位無冠の「生涯一陶工」として晩年まで創作活動を行った人です。
河井寛次郎は自宅を自ら設計し、寛次郎の没後は「河井寬次郎記念館」として一般に公開されました。

寛次郎は、飛騨高山や朝鮮の農家が好きだったそうで、それをイメージした家になっているようです。
古民家風の大きな梁の張り出たオープンな造りのなかに、朝鮮式の板組の床や引き出し付きの階段、多くの芸術家たちと団らんした囲炉など、寛次郎の美意識に貫かれて設計されています。

家族が半世紀守ってきた家

驚くのは、この記念館を寛次郎のご家族・子孫の方々が運営していることです。
年に2回は一族総出で大掃除をし、展示品の入れ替えも家族がおこなっています。

寛次郎亡き後に、苦悩の末記念館として開いた婿養子の館長さん、
資格を取り記念館の学芸員となったお孫さん、
寛次郎記念館を見て育ち宮大工になったひ孫さん。
一族の皆さんが、河井寛次郎という芸術家の偉大さを腹の底から感じて、その哲学を継承して維持していることが伝わってきました。

伊勢神宮の式年遷宮にも参加したという宮大工のひ孫さんが、愛おしそうに、幅の揃っていない組板の床を見つめて「美しいとしか思えない」と語り、わざとざらつきの残る柱に寛次郎の思考プロセスを見出すシーンは、何とも感動を呼びます。
世代を超えて美意識や美の哲学が伝わり、そこに寛次郎が生きていると感じました。

寛次郎の残した言葉

河井寛次郎は多くの言葉を残していますが、そのどれもがシンプルで本質をついているものが多いです。

「暮しが仕事 仕事が暮し」
この言葉には、美しい暮らし、正しい暮らしから、美しい仕事や正しい仕事が生まれるという、寛次郎の信条が表れています。
日常の暮らしから生まれる美を追究し続けた河井寛次郎は、民藝運動の提唱者の一人でもあります。

「飛喜天動」
床の間(のような展示エリア)に掛けられていた直筆の掛け軸に描かれていた言葉です。喜びながら仕事をして天を動かす、というような言葉、と陶芸家のひ孫さんが解釈されていました。
ダイナミックで躍動感のある言葉のなかに、明るさが灯ります。
そういう、仕事、暮らしを、わたしもしたい。

「新しい自分が見たいのだ──仕事する」
自分を型にはめずに、新しい自分に会うという動力に突き動かされて励む力強さと、人間の業のようなものを感じる言葉です。

この記事を書くために調べている最中に、河井寛次郎記念館の学芸員の方の記事を読み、この言葉も知りました。
「此世は自分をさがしに来たところ、此世は自分を見に来たところ」
わたしはこの言葉に接して、霧が晴れるような思いがしました。

しめ縄を一年中飾る理由

記念館では、一年中飾るしめ縄を年末に取り換えるのが慣習だそう。
これは、河井寛次郎夫妻の考えに基づきます。

「自分の願いというのは、毎日がお正月のようであってほしいと。
お正月というのは、お互いがおめでとうと言いおって、
頭下げおうて、そして感謝をして
よい一日を過ごしたい よい一年を過ごしたいと みんなが願うと。
そういう願いで日々を過ごせたら 私は一番幸せだと思う」
という風なことを言うておりましたのでね

番組中の河井寛次郎の婿養子の館長の敏孝さんの言葉

ぐっときます。
こういう精神性で、毎日を暮らしたい。心に刻みました。
いろいろな気づきを得た、とてもよい番組でした。

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