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【縣青那の本棚】 停電の夜に ジュンパ・ラヒリ 小川高義 訳

  

 3月の中旬から終わりにかけて、ジュンパ・ラヒリの短編集『停電の夜に』を読んだ。

 このインド系アメリカ人の作家は、この初めての短編集で、ピューリッツァー賞を始め、アメリカの権威ある文学賞を総ナメにしたらしい。


 表題作の『停電の夜に』の感想を以下に書く。


 
 アメリカに住む、インド系の若い夫婦、シュクマールとジョーバ。二人とも親がインドから移民してきた二世で、アメリカで生まれ育っている。

 かつての幸せな夫婦生活には陰りが見え、妻は校正の仕事をして毎晩遅くまで家に帰らず、35歳にもなってまだ学生の身の夫は肩身の狭い思いをしながら日々仕事部屋に籠り、一向に進まない論文を書いている。

 冬の終わりのある日、電力会社から数日間の停電の事前通知が届く。遅い時間に帰ってきた妻は、廊下に鞄をずり落としたまま、スニーカーもその場に脱ぎ捨てた格好で、その通知を読み上げる。

 夫は台所で二人の為の夕食の準備をする。温めておいたラム肉の煮込みを鍋から出して、テーブルに並べる。

 二人は夕食を共にするが、会話ははずまない。暗い倦怠感が、二人の間には満ちている。

 夫の視点から物語は語られるが、どうやら妻が初めての子供を死産したことが、この夫婦の倦怠の原因になっているらしいことがわかる。妻は若く、妊娠中の状態は全く問題なかったはずだが、急変し、思いもかけず死産ということになってしまったようだ。

 運悪く、その時夫は大学の仕事でボルティモアに出かけていた。それも、妊娠中の妻が「行きなさい」と言ってのことらしく、誰も責めるわけにいかない。ただ、死産の後に2か月ほど同居して面倒を見てくれた妻の母親は、そのことを恨みに思って、口にすら出す。

 退院して戻った妻は、言うに言われぬ怒りを爆発させ、家じゅうのものをすべて、廊下に投げ出した。

 それからずっと、夫婦は擦れ違いの生活を続けていて、妻は持ち帰った大量の仕事を居間に陣取って行い、夫はベビールームになるはずだった部屋を自分の仕事部屋として使い、妻がそこに入りたがらないことを救いに思っている。お互いがお互いを避けて、会話をする時には無理をしているのがわかるほどになっている。

 そんな生活の中、停電の夜が始まった。ほんの数日間、夜8時から9時までの1時間だけだが、隣近所は真っ暗になった。

 妻が仕事に行っている間に、夫は懐中電灯を探し、ロウソクを用意しようとする。懐中電灯は電池が切れていて、ロウソクはいつかのパーティーの残り物が少ししかなかった。

 最初の晩、何とかかき集めたロウソクを、台所の窓に枯れていたアイビーの鉢に突き刺して、間に合わせにした夫。

 仕事から帰って二階に上がり、シャワーを浴びて下りてきて、暗い台所にロウソクが灯してあるのを見て妻は「いいわね。インドみたい」と言った。

 停電の初日の晩、妻は「昔インドの祖母の家でよくやらされていた」という、停電の間にひとりずつ何か話をする、というゲームめいたことをやろうと言い出した。

 少し戸惑う夫に、妻は自分から始めた。昔、付き合いたての頃に、彼のアパートに初めて遊びに行った時、こっそり住所録を見たことを告白した。お互いに〝今まで言ってないこと〟を告白しようというのだ。

 夫も、ずっと妻に黙っていたことを告白し始める。誕生日に妻にもらったベストを返品して、そのお金でホテルのバーに行ってお酒を飲んだこと。妊娠中の妻のお腹が出てきた時、自分でもなぜかわからないが、妻のファッション雑誌に載っていた細身のモデルの写真を切り取ってしばらくの間、隠し持っていたこと。些細な秘密を、夫婦はロウソクの灯りの中で互いに打ち明け合った。

 二日目、妻は夫にすり寄り、三日目、暗い居間のソファで夫は妻の顔に不器用にキスを始めた。二人はそのまま二階の寝室へ行き、互いの体を求めあった。

 停電は、四日で終わった。もっと長く続くはずだったのが、思いがけず工事が早く終わったというのだった。電力会社からのその旨の通知を見て、妻は「もうゲームは終わりね」と言う。

 台所で最後の暗いディナーを終え、二本目のワインを開けた頃、突然妻が電器をつけた。

 穏やかな顔で、妻は言った。「実は、アパートを探していたの。手頃なのが見つかった」と。

ひとりになりたい、というのだった。

 これがゲームの最後のカードだったのか。妻は停電の夜々を巧みに利用し、その告白をしようとしていたのだと気づいた夫は、突き刺すような言葉を口にする。

 「男の子だったよ。肌は、茶色というよりは赤かった。体重もけっこうあって、2キロを越えてたんだ」

 その言葉に、妻の顔が激しく歪んだ。死産の際、妻は眠っていて、ボルティモアから駆けつけて帰ってきた夫は、死んで生まれてきた赤ん坊を腕に抱いたのだった。

 そのことを妻は知らなかった。お腹にいる時、まだ性別は知りたくないといって、ドクターにも断っていた。性別を知らないことが、せめてもの救いだったと言っていた。

 夫は妻を愛していたから、赤ん坊の性別も、自分がその子を抱いたことも、妻には秘密にしていた。ずっと話さないつもりでいた。

 夫は夕食の皿を下げ、シンクに入れて、台所の窓から見える、近所の中のいい夫婦の並んで歩く姿をじっと眺めていた。

 すると、後ろの方が暗くなった。妻が灯りを消したのだった。彼女はテーブルに戻ると、泣き始めた。

 夫も、テーブルについた。二人は一緒に泣いた。

 「知ってしまったことに、泣けた」という、最後の一文がひどく印象的だった。

 それは互いのことなのだろう。この4日間、夫婦は互いに今まで秘密にして暮らしてきたことを、ほとんど全部さらけ出していた。おおかたどの夫婦の間にもあるに違いない、些細な秘密ばかりだったが、今夜のは違った。妻は出ていく為のアパートを見つけたと告白し、夫は妻の心をえぐるように、死んで生まれてきた赤ん坊の詳細を彼女に伝えた。

 けれどこれは、夫婦にとっての〝救い〟の物語なのだと思う。一緒に過ごすようになった頃からの秘密をひとつずつ、全部告白しあった夫婦は、ある意味で相手に対してかかげている夫としての、妻としての〝建前〟を脱ぎ去ったのだ。もうお互いに〝別れ〟は予感しているので、なりふりかまわず本当のことを言い合う。

 お互いの生活と心のうちとを、すべてあますところなくさらけ出し合って二人で一緒に泣いた夫婦は、これから回復の途につくことができるのだろうか。

 きっとできるのだろう、と思った。

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