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君に銃口を向けても引き金を弾けない #未来のためにできること

文藝春秋とnoteで「#未来のためにできること」をテーマに「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024」とした投稿コンテストです。以下本文になります。(本文1,000字以内)


朝起きて歯を磨いて眠りにつくその一日の間に、君は何人の障害者とすれ違ってきただろう。障害者とはどこで出会えるか振り返ってみて欲しい。人が行き交う渋谷のスクランブル交差点か。世界一乗降客数の多い新宿駅か。でもそこには『障害者』のタスキを掛けた人なんて一人も居ない。それならばと、きっと君はたまたま見かけた車椅子や白杖の人を見て障害者として1カウントとするだろうね。本当は隣にいるかもしれないのに。

君は電車で見かけたヘルプマークの人に、席を譲ろうとしなかった。譲る気持ちさえなかった。そのヘルプマークの人間は、見た目で分からなくても内部障害を患ってて、平衡感覚を保てない人かもしれない。でも君は譲らなかった。疑っただろう。ヘルプマークの対象者かどうかを。
目に見えない障害は愚かだ。足が無い人や目が見えない人、分かりやすい障害を持つ人を障害者としか呼べない想像力の欠けらも無い人達でこの国は出来ている。だから譲らなかったんだろ。
『本当に障害なんてあるのかよ』って、ヘルプマークの人に思ったんだろ。

この世界は何が正しいんだろう。
政治に真正面から向き合う姿勢か、歴史を振り返って戦争の悲惨さを忘れないとか。
いや、そうじゃない。この世界では健常者が全て正しい。

ドラマやテレビに、バラエティに、当たり前に障害者が出ているのを見かけるだろうか。友達と遊ぶ予定を立てるときに、「ごめんその日は診察だ」と言われたことがあるだろうか。国会議事堂に、バリアフリー席はあるだろうか。

知らない間に健常者のフツウに染まったこの社会は、障害者を排除している。どこかのテレビでは障害者の”カワイソウさ”を訴えて募金活動をしてる。障害者自身は障害を受け入れようとあがいているのに、社会が「障害」を作り続ける限り障害者の苦悩は消えない。おかしなサイクルが回ってる。

「社会」は個人の集団だ。社会を変えるには、君が変わらなくちゃいけない。君が障害者差別を気づかない間にしていることに私は苛立ちを隠せない。君にも妊婦や老人の体験のように、『1日障害者チケット』があればそれを使って差別をじっくり味わってほしい。

差別をする君に銃口を向けたい。でも引き金は弾けない。
だって差別をする人間は君だけじゃないから。
君を作り出した、「社会」なんだから。

障害者と健常者と区分けせず、
人として当たり前のように生活に溶け込める、
そんな未来を願っている。

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