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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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#真の知覚

真理を幻想の中に持ち込むのではなく、幻想を真理のもとに運ぶこと

真理を幻想の中に持ち込むのではなく、幻想を真理のもとに運ぶこと

心を自覚した状態(マインドフルネス)とは非二元、つまり、一元論のスピリチュアリティというものは、本来、この世界の夢から目覚めていくための霊性の道であるわけです。

もちろん、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)もその中の一つの道でです。

では、目覚めるとはどういうことなのか?

というなら、自分が経験しているものすべてに対して、「これは自分が見たくて見ている夢(幻想)にすぎない」と自覚して

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コースを他のスピリチュアリティ、セラピー、ヒーリング、自己啓発といったものと融合させることについて

コースを他のスピリチュアリティ、セラピー、ヒーリング、自己啓発といったものと融合させることについて


コースを学んでいるその目的は何なのか?ときに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)をセラピー、ヒーリング、自己啓発、あるいは、他のスピリチュアリティと融合させたり、混ぜ合わせたりしているケースがあったりします。

そのことについて述べてみようと思うわけですが、

そのためには、まず、

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?

についてはっきりさせておく必要があ

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それらは太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だから

それらは太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だから


今自分がどのような状態なのか!その真実を自覚/認識するときコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていくためには、まず最初に、その土台となる形而上学をしっかりと理解していくことが必須だといえます。

というのも、コースの実践では、聖霊と共に幻想(自我)を直視することをしていくわけです。

そしてそのためには、

聖霊はどのような考え方(思考体系)で、
どのような視点から、
どのように

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霊的に成長するとは?霊的に大人になるとは?

霊的に成長するとは?霊的に大人になるとは?

自分の真実について知る必要がある形態の上では、私たちは子供の状態から成長していって大人になっていきます。

ただ、見かけ上は大人になっていったとしても、私たちのその中身はまったく子供のままだと言うことができます。

何が子供のままなのか?というなら、

ようするに、

自分が何者で、何をしているのか?
何が自分を幸せにするのか?何が自分に苦痛、苦しみをもたらすのか?

私たちはそういったことについ

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「ただ在る」という神の在り方を修得する

「ただ在る」という神の在り方を修得する


「私はいない」といくら知っていても意味をなさないその理由ノンデュアリティのスピーカーさんたちがよく言葉にする、

「私はいない」

という概念は、たしかに真理を述べているとも言えますが、ただし、それだけでは不十分だと言うことができます。

それは「行為者はいない」ということを意味するわけですが、そのことをいくら知ったところで、ほとんど助けにならないからです。

なぜなら、私たちは「私(自分)は存

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イエスや聖霊が見ているもの


自我を咎めずに見るコース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちは「自我を咎めずに見る」という実践をしていくわけですが、

自我を咎めずに見るとは、いったいどういうことを言うのでしょう?

「咎めずに」とは、つまり、「ジャッジ(価値判断)なしに」ということです。

ただし、ジャッジなしに見るためには、すべてを全一に虚偽(幻想)として見る以外にないということです。

そのように見ることのできる視点

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想念はその源を離れない、投影が知覚を作り出す

想念はその源を離れない、投影が知覚を作り出す


この世界には問題などないこの世界には問題がたくさんあるかのように見えます。

それが世界の情勢であったり、あるいは個人的な仕事上の問題であったり、人間関係の問題であったり、健康の問題であったり、経済的な問題であったり、、、たくさん問題があるかのように見えます。

でも、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えに基づいてその実践をしていくならば、外側の世界には何の問題もないということが体験的に理解さ

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聖霊/イエスとの完全なる同一化を目指して

聖霊/イエスとの完全なる同一化を目指して

兄弟の中にキリストを見るとは?「兄弟の中にキリストを見る」とは、どういうことをいうのでしょう?

私たちはつい言葉通りに、そのように見ようと実践しがちになりますが、実際の実践はそうではありません。

そもそも、兄弟をキリストとして見ようとしても、そのように見れるものではありません。

ましてや、その対象(相手)が自分にとっての憎悪の対象者であるならば、なおさらのことです。

私たちが知っておかなけ

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どのようにしてこの世界を超越していくのか?

どのようにしてこの世界を超越していくのか?

忘却のベールを超えて、この世界を超えていくまるで外側には世界が存在するかのように、私たちは知覚しています。

まるで外側に他者がいるかのように、私たちは知覚しています。

それが私たちが知覚している世界です。

それらの知覚がすべて、真の原因を隠すための影にすぎないと気づくまでは、ずっとそれらがリアルに知覚され続けます。

言い換えるなら、真の原因(真実)を思い出させないために作り出されたのがこの

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コースが神聖なのではなく、その内容が神聖なのだということ

コースが神聖なのではなく、その内容が神聖なのだということ


コースの学びが深化していくときコース(奇跡のコース/奇跡講座)の教えを理解するようになってくると、つまりコース形而上学を理解するようになると、ときに、兄弟に対して、あるいは自分自身に対して、コース形而上学を武器にして咎める、裁く、攻撃する、ということをしてしまうことがあります。

実際に、この私もそうでした。

コースの教えを歪曲している他のコース学習者に対して咎めたり、裁いたり、あるいは、コー

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空想のストーリーの向こう側

空想のストーリーの向こう側

肉眼で見ている世界を看過していくときコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は私たちについて、「私たちは何も考えていない、何も見ていない、何も聞いていない、何も感じていない」と、あらゆるところで述べています。

その一つとして、ワークブックの最初のほうのレッスンでも次のように述べてあります。

それが意味するのは、

私はいない、

世界は無い、

ということです。

通常の私たちは、ここには世

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