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#象徴
言葉に騙されないように、言葉も象徴にしかすぎない
これは概念を弄ぶコースではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)学習の歩みは、「形而上学の学び」と「形而上学に基づいた実践」の両輪によって進んでいくといえます。
つまり、理論的な理解と、その理論に基づいた実践を通して、コースの学びは深まっていくということです。
そのどちらかがおろそかになってしまうなら、その学びが深まっていくことはけっしてあり得ないということです。
そして言えるのは、学びが深
分裂した心を癒すには、統合ではなく、もともと一つであることを思い出すだけ
キリスト教用語で書かれてあるがゆえに、私たちがつい勘違いしてしまうことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とは何か?
簡潔に言うならば、コースはキリスト教用語で書かれた一元論のスピリチュアリティだといえます。
ときに、コースがキリスト教用語で書かれてあるがゆえに、どうしても馴染めないという方もおられます。
実際に、そういう方々を私もたくさん見てきました。
ただ言えるのは、一元論のス
「聖霊に明け渡す」「聖霊にゆだねる」ということについて
聖霊とは?コース(奇跡のコース/奇跡講座)でいう「聖霊」とはいったいどういうものなのでしょう?
コースでは、聖霊(ホーリースピリット)について教師、守護者、導き手というふうに述べています。
私たちが気をつけておかなければならないのは、私たちは聖霊について、つい、その言葉通りに解釈してしまうということです。
いわゆる、ハイアーセルフとか守護霊といった類いの存在として、つまり、自分とは何か別の
『ア・コース・イン・ミラクルズ』のイエス、聖霊について
コースの教えを通して言葉を超えていくコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくと、つまり、コースが教えていることの内容を真に理解するようになると、コースそのものがすべて比喩で書かれてあるということが分かってきます。
コースはキリスト教用語や心理学用語を使って書かれてあるわけですが、その内容は純粋な非二元の教えであり、つまりは、この世を超えたもの、言葉を超えたものであるということです。
コースの学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
この世界に神聖なものなどないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくとき、どのような知覚になっていくのか?
そのことについて書いてみたいと思います。
まず、コースの思考体系が根付いていくとき、この世界のもの、そして、この世界で起きていること、そのすべてが自分とは無関係ではなく、むしろ、自分に属するものというふうに知覚するようになっていくといえます。
そう、すべてが自分の心の中で