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#奇跡
私たちがしていく実践は、神、愛、光、喜び、平安、静けさにフォーカスしていくというものではない
コースという霊性の道の特徴的なところコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、私たちが知っておかなければならないのは、コースは非二元の霊性の道ではありますが、愛や真理について学んでいくようなスピリチュアリティではないということです。
そのことについては、コースのテキストの序文ではっきりと述べられています。
それはどういうことかというなら、私たちがしていく実践は、いわゆる、神
「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか
「奇跡に難しさの序列はない」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で奇跡の第一原理として示されている概念が、「奇跡に難しさの序列はない」というものです。
この概念は、コースを実践していくうえで、もっとも理解しておくべき重要な考え方です。
というよりも、私たちがこの世界の夢から自由になっていくために必ず修得しなければならない考え方であるということを知っておきましょう。
むしろ、
すべてが愛だと知覚されていないなら、そのような知覚になるまで訓練するしかありません
なぜ私たちは学びと訓練が求められているのか?すべては愛です。
すべては完璧です。
あなたもそのままで完璧なのです。
そのままですべてが愛の現れでしかないのです。
いまここにリラックスしてゆだねていればいいのです。
だいじょうぶ、、、大丈夫、、、
というようなことが、ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティで語られている内容です。
そして、それは確かに真理を述べているといえます。
訂正していくためには、誤りを見つけ出していく必要がある
誤りと訂正当然のことですが、訂正がなされるためには、誤りに気付かなければ、その訂正がなされることはありません。
もし誤りに気付くことがなかったとしたら、それは誤りのまま保持されることになります。
そうであるなら、もちろん訂正もなされません。
ですから、言いたいのは、「誤りを認識すること」がいかに重要かということです。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践でいえば、「自分は誤っ
このコースは「奇跡」という手段を使ってこの世界の夢から目覚めていくことを目指している霊性に道である
コースはそんな容易い道ではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えている内容を理解していくにつれて、じつは、このコースはけっして喜んで学んでいけるようなものではないと分かってきます。
むしろ、とんでもない霊性の道を歩みはじめたと実感することになるといえましょう。
もし最初からその教えの内容が分かっていたなら、ほとんどの人が学ぼうとは思わないでしょう。
それが、コースの教えを真に理解するコー
二元性の思考体系に洗脳されていることに無自覚な私たち
「脱・洗脳」のスピリチュアリティ「コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶ」という言い方をしますが、何を学ぶのか?というなら、実際は、これまで学んできたものから自由になっていく方法を学ぶのだと言うことができます。
つまり、コースを学ぶことは、何かを付け足していくような学びではないということです。
むしろ、付け足していくような学びとは真逆の道であり、学んできたものを undoing(取り消し)、u
あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要です
コースの学びはどのように深化していくのかコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びの深化とは、どんな感じなのか?
ということについて、私自身のコース学習の経験から述べてみたいと思います。
コースの歩みは、たとえその教えを分かったつもりでも、コースの学びが深まっていくごとにその分かったという理解がまた崩壊していく、という、まさにその繰り返しだといえます。
自分は分かっていなかったことに気づくたびに
壮大な夢のドラマから目覚めていくために
私たちは壮大な夢のドラマを見ている自分は何者なのか?をすっかり忘れてしまっている、それが私たちです。
「自分は人間である」とすっかり信じ込んでいて、その人間としての主人公の人生をより良くしようとあくせく生きているわけです。
それが、大いなるジョーク(冗談/嘘)であるにもかかわらず、です。
何のために生きているのか?
なぜここ(この世界)にいるのか?
そんなことに疑問すら抱くことがありま