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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2022年5月の記事一覧

兄弟よ、地獄に落ちる一歩を踏み出してはならない

兄弟よ、地獄に落ちる一歩を踏み出してはならない


自我と同一化していることを自覚するコース(奇跡のコース/奇跡講座)を実践していくようになるにつれて、私たちは、毎瞬毎瞬、

自我の教師か?聖霊の教師か?

その選択肢にいるのだということを自覚するようになっていきます。

でありながら、常に、自我を教師として選んでいるということも自覚するようになっていきます。

そのことについて、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の中でイエスは以下のように私たちに

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私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない

私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない

私たちはこの世界の被害者ではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていくと分かるのですが、自分は常に何かや誰かに対して裁き、咎め、攻撃をし続けていることに気づくようになっていきます。

つまり、自分は自我と同一化してしまっていることを自覚するようになるわけです。

そのたびに、またその自分を咎めたりします。

そこで私たちがコースの実践でしていかなければならないのは、そのような自分(自我)

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ワンネスをこの幻想世界の中に反映した知覚とは

ワンネスをこの幻想世界の中に反映した知覚とは

幻想としてすべてを同じとして見る巷のノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティでは、「この世界は幻想、すべては愛でしかない、だから大丈夫」というふうな見方をしていて、その実践は「平安になりましょう、リラックスしましょう」というふうな学び方をしているといえます。

ただし、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、同じノンデュアリティのスピリチュアリティではありますが、その学び方も実践の仕方もまったく

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信じることが必要なのではなく、受け入れることが必要である

信じることが必要なのではなく、受け入れることが必要である

「信じる、信頼する」について「自分を信じましょう」

「自分の直感を信じましょう」

というようなことを、スピリチュアルや自己啓発では推奨されています。

ゆえに、スピリチュアリストたちは、そのような実践をしようとします。

ここで私たちが理解しておかなければならないのは、

信じようとするとき、信頼しようとするとき、それ自体がもはや信じていない、信頼していないということが前提となっているというこ

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自分は何のためにここにいるのか?本当にすべきことは何なのか?

自分は何のためにここにいるのか?本当にすべきことは何なのか?


時間と宿命の奴隷から自由になる人生にはすべきことがたくさんあるかのように見えます。

たしかに、この世界(形態レベル)においてはそうです。

この世界の中において、何もする必要はないということはあり得ず、この世界で生きるためにすべきことが次から次へとやってきます。

そのようにして、私たちは時間と宿命の奴隷になっていると言うことができます。

でも、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学

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私はもっとお金が必要です

私はもっとお金が必要です


ひたすら不幸や惨めさに献身している私たち「私はもっとお金が必要です」

「お金はないよりも、あったほうがいいに決まっている」

それは誰もがみんな共通して信じている信念です。

それは、たとえ大金持ちであろうと、貧乏であろうと、そういうこととは一切関係なく誰もが抱いている信念だといえます。

「お金なんてまったく要らない」と本気で思っている人などいるのでしょうか。

つまるところ、このマネー社会

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なぜ孤独を感じるのか?

なぜ孤独を感じるのか?


「神から離れる」「神から分離する」とは?「神から離れる」「神から分離する」とは、いったいどういうことなのか?

コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学びはじめたばかりの頃というのは、その意味がなかなか理解できないどころか、まずピンと来ないでしょう。

それは学びを深めていくことによって、その意味が腑に落ちてくるようになるといえます。

コースの学びにおいて言えることは、受け入れられる準備が整ったと

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